シャツを作ってやろう。と、決めました。
うちは記念日とかお祝い事には疎い家で、クリスマスや誕生日ですらあらためてギフト交換をすることはありません。美味しいものを食べる、少々値の張る品を思い切る、上等のケーキを買う――口実としてそれらの日は機能してはおりますがセレブレーションの含有量は乏しい。そりゃあなかには気持ち的にプレゼントしてほしい!性質の物欲もありますので、そういうのはおねだりしたりもするんですが。
それでもツレが60の坂を登りはじめたころから、なにかあげたいなー的な思いが自分の中で湧いてきたのは不思議なことでした。なんやかやゆうてきばってきはったし、ここはひとつ「お疲れさん」の気持ちを形にして贈りたい。しかし、わたしのツレというのが大変にものをあげるのが難しいひとなのでした。
たとえばわたしならば洋服でも雑貨でも骨董でも玩具でも海老モチーフでさえあればなんでも嬉しい人間です。ところが奴は英国人にあるまじき蒐集気質がこれっぽっちもない人間なのでした。では趣味はというと、映画や読書、あとはトランプの「コントラクト・ブリッジ」なる遊びで、これまた記念品になりにくいものばかり。
それではなぜシャツに決めたのか。とりわけお洒落でもなくファッションにも興味がないのに。というか着るものに高いお金を出すことに批判的ですらあるのに。いえいえ。自己満足ではありません。ちゃんと理由があるのです。
これはツレだけの話ではなく、似たような年回りのおっさん連中にはありがちな話ですが、彼らのワードローブにはしばしば2種類の服しか見当たりません。ひとつは仕事服。宮仕えならスーツ、あとは現場に合わせた作業服など。もうひとつは家服。スエットの上下に代表される楽ちんな服装。別にそれらが悪いわけではない。実務的で実用的。いわゆるひとつのプラクティカルというやつです。
けどね、定年退職したらそれだけじゃ困るんです。もちろんツレだって仕事と家以外の場所にも暮らしがありました。観劇したり外食したり、招かれたり招いたり。けれど彼はどんな状況にも仕事服か家服(ツレの場合はTシャツ&ジーンズ)、あるいは珍妙な両者の併せ技で参戦していました。でもさ、それが許されるのって「働くおじさん」だからなんですよ。が、もうそのエクスキューズは通用しない。
アフター定年には仕事服と家服の間にある【半ば服】が必要。なのでした。でないと格好いい悪いじゃなく、センスどうこうでもなく、行き場のないひとっぽく目に映るんです。職場と自分ち――家庭ではない――以外にいられる場所のない哀しいひとに少なくとも外見的には見える。ツレがそんなふうになっちゃうのは避けたいというのは愛というより親心(笑)。
でもそれだけではシャツにする決め手にはならない。60男でも気恥ずかしくならないカジュアル系のデザイナー服だっていくらもあります。だけど半ば服にしようと思い立つと同時に、アイテムはシャツ! と決めていました。なぜって京都には「MORIKAGE SHIRT」があるからです。
わたしはつねづね、モリカゲのお仕立てシャツこそ半ば服の最高峰だと考えていました。個人的に知っている範囲では「一澤信三郎帆布」の社長がいつもここのシャツをしゅっと、まさにしゅっと着こなしておられて、それが社長の会社における在り方みたいなのを、ひいては一澤の鞄そのもののキャラクターまでをもみごとに表わしている気がしていて、よろしおすなあと拝見していました。
一澤がかくも京都的であるように、同じ意味でモリカゲもとても京都的。あちらの鞄も通勤用でなく、かといってビニール袋代わりのエコバッグでもなく生活のなかで絶妙なポジショニングについていますが、こちらのシャツもまた公でも私でもない、ハレでもケでもない空間に心地よさげに自然に馴染む。機能性(技術)の高さがこれ見よがしでなく、むしろ美的なインプレッションになっている。
すなわち、これ、【用の美】の極み。
近ごろは家服の枠を拡大したようなファストファッション全盛のご時世です。仕事服も安売りのチェーンを覗けばなし崩し的に矜持を忘れたビジネスカジュアルがいっぱい並んでいる。けれど、そういうのと半ば服であることを目的に作られた洋服というのは全く違うものです。
小顔でスタイルがよければどんな服だって似合うし、センスがあればどんなアイテムだって着こなしてしまえます。だからファストでもチープでもなんでもこい。だけども世の大半はそうじゃない。ましてやアフター定年ともなれば。ちゃんとした半ば服のなにがいいって、体形やコーデ力、もはや取り戻しようのない若さまでをもそれらが補ってくれるところにあります。つまりは、もはや逃げ口上は使えないし、誤魔化しも効かないところに立っているのだから多少値は張ってもまともなものを身につけましょうよ。って、ことなんですよね。うん。
ただ、半ば服で過ごす空間といっても仕事服と家服以外を必要としない忙しい人生を送ってきたかたがたはピンとこなかったりするかもしれません。具体的には地域との「ソーシャライジング」だったり、毎日の食卓を充実させるための「ショッピング」、健康維持も兼ねた「お散歩」といったところでしょうか。
そんなもの? とおっしゃるかもしれませんが、アフター定年にとってはどれもが日々を充実させてくれる大事な営みです。丁寧にやってると想像以上に時間もかかるし、楽しくはあるけれどそれなりに気力もいる。クオリティを向上させようとしたらけっこう頭も回転させねばなりません。これからはそれらが繰り返される場が仕事の第一線に相当するわけですから、どれほど半ば服が大切か。
モリカゲのシャツは馴染みのカフェで顔見知りの常連たちと会話したり、クロスワードを一緒に解いたりするとき、知人の個展を拝見しにギャラリーを訪れるとき、あるいはお見舞いやお孫さんのお誕生会、そういったシーンで真価を発揮します。だから半ば服の最高峰というのです。なぜなら、それらの空間においては人間がインテリアだからです。そこにいる他の人々の気分を上げるも下げるも客次第。
ブラックタイやシャンパンレセプションは別として、ほとんどのパーティやBBQなんかもそうですね。そういうところで仕事服や家服を目にすると、だからって不潔でなければ厭な感じはしませんが、やはりどこか違和感がつきまといます。そして違和感はストレスです。できれば避けたいもの。
散歩や買い物なんかはそれこそ家服で充分じゃない? という声が聞こえてきました。おっしゃる通りなんですが、ほぼもれなくそれに随行する身としてはできればしゅっとしといてほしいわけです。それにね、ぴっちり身の丈に合った服を着て歩くというのが、どれほど快い行為であるかを日常のなかで知ってほしかったというのもあります。だって、ここがツレのホームステージになるわけですから。
それにしてもモリカゲシャツでオーダーしてゆく過程は愉悦に満ちたものでした。職人さんと話をしながらデザインを煮詰めてゆく作業は、それまで知っていたお仕立券付きシャツの世界とはまったく異なるもの。こちらが素人でも親切に丁寧にいっぱいアイデアを出してくださるのでなにも心配はいりません。途中からツレのためにやっているのか自分の愉しみのためなのかわかんなくなってきちゃった。
いちばん懸念していたサイズの問題もなんとかクリア。本当は本人が行って寸法を採ってもらうべきなのですが、サプライズなのでわたしが杵柄採寸。けど、結果オーライ。ZOZOスーツがあったらよかったのかもねえ(ちょっと違う)。
モリカゲシャツは我ながら天晴な定年記念ギフトだったと自己満足しています。が、即決のあと、あ、そうだ、と逡巡が奔ったことを告白しておきましょう。半ば服というコンセプトがなかったとしたら、もっと迷ったかもしれません。お店の名前は「碧」。こちらもまた素晴らしい御つくりおきシャツを拵えてくださるのです。
碧のシャツは仕立てではありません。吟味された外注の製品。ですが、ほかにはないユニークな特徴があります。それは手描き友禅のテクニックを駆使した一点物の服の数々。いや、捺染を施した手作り服をやっているところがたくさんあるのは存じています。けれど京都で名を馳せたプロの和装作家が一品一品手掛けている店はさほどない。
かつては裕福層であっても好きな柄を描いて染めてもらうなんてそうそうできなかったのですから、いい時代になったといえばなったものです。わたしはかつて碧でエビシャツをお願いしたことがあります。鬼才、斉藤才三郎のもとで修業した碧三氏は魯山人に負けずとも劣らぬ迫力とユーモアのある海老を躍らせてくださいました。
キモノの世界にこもっていた職人さんたちの技術にいちはやく目をつけて独特のコレクションを展開していた『KOROMO(当時はコロモール)』での仕事も拝見していたので不安はありませんでしたが、あまりの出来にびっくりしたのを覚えています。
大阪モード学園でファッションを勉強された息子さんの荒谷尚くんと立ち上げられた碧は、百貨店などの催事などでも人気を集めていますが、やはり真骨頂は御つくりおき。あったらいいなあ……と夢想しているモチーフを注文して描いていただくに如くはありません。わたしは次はゆかたをお願いできないかと画策中。画題は海月。ヤナギクラゲかヒトモシクラゲがゆらゆらと裾に揺れるゆかたを想像してうっとりしています。
閑話休題。モリカゲシャツで送るツレのアフター定年ライフはそこそこ順調に続いているようです。半ば服もいくつか手に入れました。予算的に毎度モリカゲとはゆかないのが悲しいところですが。オーダーは無理でも普通に売られているシャツがすっごく可愛いのでこんど余裕ができたら帰国したときに買いたいと口走ったりはしています。
半ば服の「半ば」は中間の意味ではありますが、京料理でいうところの「ええ塩梅」の謂でもあります。なんにせよ晩年はええ塩梅でいきたいもんです。
関連サイト
モリカゲシャツキョウト: MORIKAGE SHIRT KYOTO HP
手描き友禅 碧 HP
KOROMO HP
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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