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村井さんちの生活

2021年6月30日 村井さんちの生活

いままでどおり、これからも~義父母ワクチン接種完了報告

著者: 村井理子

 後期高齢者新型コロナワクチン接種奮闘記、とうとう最終回となった。今回は義母二回目。報告します。

  接種前日、義母より電話があった。

 「明日は接種よね?」
 「そうですよ!」
 「それじゃあ、どんな準備をしておけばいいんやろ。半袖よね?」
 「そうそう、その通りです。書類は私が全部持ってますし、お金もいりませんから、お母さんは手ぶらで行ってくれればいいんですよ。私が車で迎えに行きますからね」
 「わかったわ。よろしくお願いします」
「はーい!」

 という、和やかな雰囲気の会話をしていたので、当日は余裕を持って、夫とともに実家へ。しっかりと身支度を調えていた義母だったが、なにかこう、不穏な雰囲気が漂っている。義父の顔を見ると、ちょっとムッとしている。おっと、これは何かあったな…と思ったものの、書類一式を夫に手渡し、義母に「それじゃあお母さん、がんばってきてくださいね」と声をかけた。

 義母はびっくりした顔をして、「え、あなたが連れて行ってくれるんじゃないの?」と聞いた。突然の予定変更で混乱してしまうだろうとはわかっていたものの、実はのっぴきならない急用ができて、私は接種に同行することができなくなったのだ。そう説明すると義母は、 「あら、そうなの…今日は強敵と一緒か」と言った。強敵というところで笑ってしまった。義母のジョークは健在である。

  夫と義母は似たもの親子で、義母が元気な頃は(今も元気だが)、丁々発止のやりとりが多かった。最近は夫も少しは配慮するようになったが、ここ数年は義母の変化に伴ってストレスの溜まることがあったのだと思う。口げんかに発展することが多かった。きっと、義母もストレスを溜めていただろう。

  「たまにはいいじゃないですか、親子で行くのも」と返すと、「あなたと一緒がいいわあ」と義母は言っていた。そして思い出したように義父に「お父さん、鍵をしっかりかけてくださいよ。私が行っている間になにかあると大変ですから。絶対に鍵だけはしっかりお願いしますよ」と何度か言っていた。

  義父は、わかった、わかったと頷き、右手を上げて、「はよいかんと遅れるで」と言い、義母を急がせた。

  夫と義母が出たあと、少し時間があった私は、おみやげに買ってきたラテとだんごを義父に渡し、少し話をすることにした。一人で義父が留守番するなんて機会はあまりない。普段の様子を聞くチャンスだと思ったのだ。

   「お父さん、最近どうです?」と聞くと義父は、「そうやなあ…」と少し考え込んで、「まあ、悪くもないし、良くもないってことかなあ」と言った。

  「今日も、鍵のことをずっと心配して、何度も言うんや。だから、朝から少し大変やった」
 「そうですか。お母さん、お薬飲んでくれてます?」
 「昼の漢方は飲んでるな。夕方と夜の薬は、わしも気づいたら言うようにしてるんだが、忘れるときがあるな」
 「なるほど~。それでお父さん、しんどいことないですか? お母さんの体調が悪いときに、ちょっと辛いなってことないですか? まあ、今日も大変だったみたいですけど」
 「そやなあ、最近はヘルパーさんもたくさん来てくれるし、デイもあるし、あんたたちもよく来てくれるし、そこまで大変ってこともないで」

  そんな義父の言葉を聞いて安心したものの、私の頭の中は前週にケアマネさんと話をしたショートステイのことで一杯だった。ショートステイとは短期間だけ入所できる介護施設のことで、朝、車で迎えに来てくれ、夕方には家まで送り届けてくれるという、介護者からすると神システム。様々なタイプの施設があるが、ケアマネさんが紹介してくれた場所は、実家から近いところにあって、新しく、きれいで、自由な雰囲気がある。昼食も提供されるし、カラオケをしたり、本を読んだり、古い映画を観たり、寝たい人は昼寝もOKな、いわば、高齢者のカフェみたいな雰囲気なのだ。いいじゃないですか、最高じゃないですか! と感激し、ケアマネさんに見学予約を取ってもらっていたのだ。

  「お父さん、ちょっと提案があるんですけど。毎日ここで二人でいたら、少し退屈でしょう? もしよかったら、この近くのデイサービスに行ってみませんか。朝迎えに来てくれて、お昼ごはんが出て、午後には終わりです。もちろん、車で家まで送り届けてくれます。帰りたいって言えば帰らせてくれるって言ってました」 

 しばらく考えていた義父は、何も言わなかった。

  「そういう場所、お父さんは嫌いですよね。それは知ってます。私も、きっと嫌って思うでしょうね。でも、もしかしたら、楽しいかもしれないですよ。友達ができるかもしれない。写真で見た感じでは、とても広い板張りのリビングで、畳の部屋もあって、キッチンも大きくて、大きなテレビもあって、とても素敵でしたよ。再来週の土曜日、私といっしょに見学に行きませんか?」

  「そやなあ」と義父は言った。「お母さん、行くやろか…」 

  「最初は嫌って言うでしょうね。でも、最近行ってるデイサービスだって、最初は嫌だったけど、今は楽しみにしてくれてるじゃないですか。筋トレ、すごくがんばってやってるじゃないですか。肩の痛みも取れて、ますます元気になりましたよ。この前、庭を走ってるの見たもん、私」
 「そやな…せっかくやから、行ってみようか」
 「そうですよ。お父さんが大好きなカラオケだってあるんですよ、なんだっけ、あの歌。お父さんの十八番…『憧れのハワイ航路』!! あれ歌ったらいいじゃないですか。それに、嫌だったら辞めればいいんだから。まずはチャレンジ!! それが大事!!」 

 なんとか義父を説得し、ほっとしていたら、私のケータイに写真が送られてきた。夫からだった。接種会場で夫と義母が、二人並んで画面に映っていた。そっくりな顔をしていた。すぐに義父に見せると、「まったく似たもの親子やなあ」と笑っていた。「笑っちゃうほどそっくりですよね」と私は答えた。義父は二人の写真を見つめながらぽつりと、「これからどうなっていくやろなあ」と言った。

  「これからも、今までと同じですよ。何も変わりません。お父さんもお母さんも、しっかり薬を飲んで、できるだけ運動して、健康的な食事を取ることを心がける。それだけです。なるべく外に出て、いろんな人と交流しましょう。絶対にその方がいいです。それから私、車が古くなったから、大きいのに乗り換えようと思うんです。コロナが終わったら、旅行にでも行きましょうよ。お父さんもお母さんも健康だから本当にありがたいですよ」
 「せやなあ。それは楽しみやなあ」
 「なにせワクチンも今日ですべて終わりですし!」
 「ほんまやなあ。うれしいことや」
 「そうですね!」 

 もう帰るのかと残念がる義父に見送られながら、私は実家を出た。夫と義母はさっさと接種を済ませて、スーパーに向かうという連絡が来た。義父が一人で留守番するのも30分程度だろう。車を走らせながら、これから先も、なにも変わらないはずだと考え続けた。 

 誰でも通る道を、ゆっくりと進むだけ。横断歩道に差し掛かったら、右を見て、左を見て、安全確認を怠らずに真っ直ぐ渡るだけ。そうやって、ひとつひとつ、しっかりと確認しながら、いつも通りの暮らしを続けていけばいい。いろいろな人の手を借りて、ようやく手に入れた完全に自由な時間を楽しめばいい。なにせ、それが一番大切で、かけがえのないものなのだから。 

義父母の介護

2024/07/18発売

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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