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村井さんちの生活

2021年6月21日 村井さんちの生活

行ってねえし、その気もねえ~義父、二回目のワクチンを接種する

著者: 村井理子

 後期高齢者である両親のワクチン接種、義母一回目に引き続きまして義父二回目。大波乱。報告します。

 認知症患者特有の症状として知られる「物取られ妄想」と「浮気妄想」。前者は家にやってくるヘルパーさんが何かを盗んだ、家族が何かを隠したなど疑う症状で、相手が病気とわかっていても、疑いをかけられるのはなんとも体力を奪われる。

 なにせ、こっちはやっていないのだが、あちらはこちらがやったと本気で思っている。だから、ギラつく怒りを真っ直ぐにぶつけられる。彼らにはその光景が見えている。見えているのだからそれが絶対で、それが何より正しく、それ以外は全部、盗んだ側の嘘や、まやかしだと考える傾向にあると私は睨んでいる。これがなかなかにつらいんだよね…最初は「いやいや」と笑っていられるんだけど、これが重なってくると、ついつい「やってねえし」と黒い気持ちが心のなかに広がったりする。

 物取られ妄想も確かに悩ましいのだが、なんといっても困ってしまうのは浮気妄想だ。これは本当に困る状況で、なにせ物取られ妄想とは怒りの質が違う。女性が男性の浮気を疑うというシチュエーションを思い浮かべがちだが、実際のところ、認知症患者である夫から疑われた妻が、スーパーに買い物に行くことさえできないなんて話もときどき耳にする。浮気妄想というよりは、束縛願望のようだなと考えたりもする。

 わが家の場合、認知症と診断されている義母が義父の浮気を疑うという、なんともつらく、ありえない状況が時折発生する。しかしながら、側で目撃している者としては、認知症患者が配偶者の浮気を疑う場合、それは配偶者に対する強いこだわりが形を変えたものであって、そこに色恋は関係ないのではないかと思う。というか、わが家のパターンは絶対に関係ない。なにせ義父を見ればわかる。ありったけお爺ちゃんである。Maxにヨボヨボである。

 だから色恋云々以上に私が感じるのは、分離不安だ。配偶者と物理的に離れてしまうことで、認知症患者は置き去りにされたと不安になるようだ。認知症となり心理的距離が離れてしまう分、近くにいて欲しい、近くにいたいと思うのではないか。その不安が徐々に怒りに変わり、そこから妄想に繋がっていくのではないか。

 わが家のケースでは、義父が駅前の居酒屋に女性と行くという妄想パターンが大変多い。しかし義父は下戸でお酒は一滴も飲めない。居酒屋にも行ったことがない。だから浮気妄想と言っても、実際に浮気を疑っているというよりも、自分だけに見えている情景に怒っているというだけなのだろう。

 さて前置きが長くなったが、義父のコロナワクチン接種二回目である。前日、実家に電話をかけて、義父に保険証を用意しておくこと、「スーツではなく」、半袖の袖をまくりやすいシャツでいること(絶対にだ)、前回同様、私と夫が迎えに行くことを告げた。義父は、よしわかった、悪いがよろしく頼むということだった。おっと、思いのほかあっさりだ。義父は多少のもの忘れはあるが、理解力は高い。もうすぐ90歳という年齢だが、まだまだしっかりしている。確かに性格は暗いが、そんなことはたいした問題ではない。問題なのは、その暗い性格を自己解決しないことであって、いつまでもいつまでも…あ、すいません、なんでもないです。

 さて、接種前日の晩であった。わが家の電話が鳴った。私はこの15年ぐらい、この実家からの電話に本気で悩まされてきた。義父はとことんしつこく、義母はとことん悪いニュースばかりを告げてきた。義父は台風が来るから、雨が降るから、雪が降ったからといちいち電話をかけてくる。知っとるわ、そっちが雪ならこっちも雪や、だからなんやねんと3万回ぐらい考えたことがあるかな? 義母に至っては、〇〇さんにお祝いを頂いたから御礼の電話をしなさいだとか、庭の雑草を早く刈らないとみっともないだとか、もう本当に「え、女帝ですか?」というレベルで怖い人だった。そして、「今から行くから」と突然言いだし、断っても無理矢理やってくる。今考えるとそれもすべて認知症の症状なのだが、その時は苦痛でしかなかった。だから、電話は大嫌いなのだが、この日はなんとなく嫌な予感がして、すぐに電話に出た。義母であった。

 「もしもし?」
 「…」

 無言である。

 「…息子、おりますか?」

 …ヒイッ! 義母の声色が全く普段と違う。これはよくないサインだ。何かが起きている。それも、何かを疑っているパターンだ。仕方なく、夫に電話を替わる。手渡すときに、小声で「ちょっといつもと違うよ」と伝えた。夫の表情が硬くなった。夫は受話器を持って義母と話しはじめると、しばらくしてこう言いはじめた。

 「だから母さん、車の鍵は僕が預かってるって言うたやろ? もう何度もこの話はしてるやないか! もう何度も何度も説明してるけど、忘れてしまうから仕方ないやろ!」

 あーあ、ダメです。ダメなパターンです。腹が立つからと言って、このような対応をしても意味がない。義母はこの一年ほど、車を運転しないようにと家族やケアマネさんに忠告され続けながらも、どうしても免許を返上しようとしなかった。あまりにも危険な状態で車を運転しようとするので、実力行使で、わが家で鍵を預かっていたのだ。私が急いで電話を替わって、こう伝えた。

 「お母さん、車の鍵はありますから、大丈夫です。明日はお父さんのワクチンの日ですから、私も行きますからね~」と、あくまでも、明るく対応なのである。義母は一応納得したようだった。少し不吉な予感はしたが、とりあえず翌日の接種が何ごともなく済むことを願いつつ、就寝した。しかし、これは勘のようなもので、揉めそうではあるなと心配ではあったのだが

 翌日、私と夫が実家に到着すると、義父はワイシャツとスーツのズボンを着用して待っていた。もう、突っ込む気力も出ない状態だ。まあ、ワイシャツが半袖だったので許すとしようとリビングに入り、ダイニングテーブルに座ったのだが、義母が自分の前に様々な書類を山積みにして憮然とした表情で無言だった。なんということでしょう。とにかく時間もないので、義父を連れ出すことにしたのだが、不機嫌な義母は自室に戻ると言いだし、戻り際にひと言「今日はどこに連れて行くつもりなんや?」と私に言った。ものすごく冷たい表情で。

 ヤバい、疑われている。しかし、ここでめげては何もかもが無駄になると気を取り直して夫の運転する車にさっさと義父を乗せ、接種会場のホテルまで急いだ。車の中で「ふぅ危なかった」と冷や汗を拭っていると、助手席に座る義父が堰を切ったように話し出した。

 数日前から義母の機嫌が悪く、加入している保険やその他様々なことについて、義父の覚えのないことがらを並べては、責めるのだという。テーブルの上に紙やちらしを山にして、すべて説明してくれと怒るのだそうだ。私はふんふんと聞いていたのだが、夫が苛ついてきているのがわかった。

 「父さん、もう何十回も言ってるけど、相手は病気! だから言ってもしゃーないの! どれだけ言っても忘れちゃうんだから、我慢するしかないんや!」

 義父は小さな声で「うん…せやけど…」と言っていた。

 接種会場のホテル駐車場で車を降り、前回と同じく私と義父と二人で会場に向かった。義父は終始無言だった。私もなんとなく声をかけることができず、黙ったまま順番を待ち、問診を受け、そして接種が無事終了。最後の十五分の待機時間になった。二人で無言なのも面倒なので、私はようやく義父に話しかけた。

 「相手が病気だってわかっていても、毎日覚えもないことで責められ続けるのはつらいですよね」と私は言った。

 すると義父は突然涙声になり、「そうなんや、あの子(夫のこと)はあんな風に言うけれども、ほんまに、ほんまに…ウッ」 うわーっ! 陰気な性格でたーッ!

 遠くで私たちの様子を確認していたスタッフが、すわ、副反応か!? という勢いでこちらにやってきた。「あ、いえいえ、大丈夫っす」と慌てて誤魔化した。

 「どれだけ説明しても、わしが嘘をついているの一点張りや」と涙目で訴える義父に、わかりますよと答え、しばらく話をした。病気だから仕方ないと理解しているものの、誰かに聞いてもらえないとつらいですよね、わかります。

 待機時間終了とともにホテルを後にし、その後は前回と同じくスーパーマーケットに立ち寄り、買い物をして実家に戻ったが、義母が大好きな白身の刺身を真っ先に選ぶ義父の背中にはなんとも言えない哀愁が…。

 大きな荷物を抱えて実家に戻ると、機嫌がよろしくない義母が、忙しそうに歩き周りながら、「あんたらどこに行ってたん? 駅前の居酒屋に飲みに行ってたん?」と聞いてきた。夫は一瞬顔色を変えたが、すぐに笑って、「行ってないよ、今日はワクチンや!」と答えていた。

 うむ、そろそろ理解してきたようだ。怒りは正面から受け止めるのではなく、笑顔でかわす。それが大事だ。

 結局、義父は二回の接種を無事に終え、副反応もなく、元気にしている。連日、ストレスが溜まることも多いようだが、デイサービスに通い、ヘルパーさんと交流を重ねることで、気持ちは上向いてきているようだ。義母もすこぶる元気で、気分にむらがあることが多少心配ではあるので、次の受診で主治医に相談してみようと思う。

 さて次は義母のワクチン接種二回目である。どうか無事にすべてが終わりますように。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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