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村井さんちの生活

2021年5月31日 村井さんちの生活

遊びじゃねえんだよ~認知症の義母、ワクチンを接種する

著者: 村井理子

 後期高齢者である両親のワクチン接種、義父に続いて義母の一回目。間違いなく死闘。報告します。

 正直な話、私にとっては義父よりも義母の方がよっぽど楽だ。認知症と診断されている義母だが、そのときどきの理解度は驚くほど高い。今の義母を見て、認知症とわかる人はそうそういないだろう。そのうえ、あっけらかんとした性格で、常に明るく、笑いを絶やさない。若いころはかなり意地悪な…いやなんでもないです、とにかく、私からすると義母は本当に楽な人だ。なにせ、話が通じるのだから。

 一方義父は、面倒くさいことこの上ない。なにせ、性格が暗い。なんとも重い男だ。あまりにも暗くてうんざりしてくる。すいません、悪口書きすぎましたでしょうか。でも本当に、「いいかげんにして」と言いたくなるような人なのだ。

 例えば、私が実家に行く日は、朝から庭に立っている。立って何をしているかというと、私が無事に到着するかどうかを確認しようと待っている。義父からすると、私が車に乗る=命がけの移動。事故で死んだのではと、まさに死ぬほど心配している。もうほんとうにやめて欲しい。ストーカーか。義父が泣きそうな顔で立っている姿を見るたびに、ため息が出そうになる。優しい人ではあるのだけれど、その優しさは庭の草花にでも向けて欲しい。裏庭の竹林でもいいじゃないか。とにかく、こっちの方角に向けてくれるなといつも思うのだ。

 そんなこんなで、今回は義母の引率というわけで、私としては楽な気持ちで挑むことができた。介護生活も二年を超えると、いろいろとコツがわかってくるというもので、あまり大げさに騒ぎ立てないほうが物事はうまく運ぶものだ。だから、前日の夜に、かるーくジャブを放っておくことにした。

 「お母さん、明日の午後はコロナワクチンの接種があるんですよ」
 「あら、そうなの」
 「カレンダーに予定を書き入れてくれますか?」
 「わかったわ!」

 義母は予定を忘れないように、几帳面にすべてカレンダーに記載している。それを毎日確認して、自分なりに工夫しているのだ。だから、そのカレンダーに記入しておいてくれと頼んだというわけ。前日はここで終わりである。持ち物などに言及すると、義母は途端に焦ってしまう。書類関連は、すでに私がきっちりと準備していた。あとは義母の身柄を押さえるだけ。それでバッチリOKなのだ。

 「書けた!」
 「そうですか、ありがとうございます。それじゃあ、明日行きますね」
 「ありがとう~」ということで、準備万端整ったと思ったのだが…接種当日の午前中に不穏な電話がかかってきた。

 「今日の接種、行けないと思う」
 「え、なぜですか?」
 「本当にごめんなさいねえ~。お母さんもまさか、突然おばあさんが泊まりに来るとは思っていなかったもんだから…」と義母が言うではないですか。つか、誰? おばあさん、誰?

 「おばあさんって誰ですか?」
 「う~ん、ちょっと誰なのかはわからないのだけれど、おばあさんがいらしてて…」
 「ほほう…」
 「昨日から、泊まっていらっしゃるのよねえ…」

 ピーンときました。なーるほど。介護生活も二年になると、こういった謎も、理解できるようになっております。なんとなく、わかるのです。すかさず義母に質問します。

 「お母さん、それはもしや…おじいさんでは…?」
 「えっ!? おじいさん?」
 「そうです、おじいさんではないでしょうか。もうひとつ言いますと、それはもしかして、お父さんではないでしょうか?」
 「えっ! お父さんなの? ちょっと待って、理子ちゃん。いまから見に行ってくるから、電話を切らないで待っていて」
 「了解です」
(義母が息を切らせて走っている音)
 「(ハァハァ)理子ちゃん、そうやったわ、確かにお父さんやったわ!」
 「やっぱりそうですか。よかったです! じゃあ、今日の予防接種行けますよね?」
 「うん、行けるわ。あなた迎えに来てくれるの?」
 「行きますよ。半袖着ておいてくださいね!」
 「わかったわ。それじゃあ、よろしくね」
 「はい、それじゃあまたあとで」

 …ということで、問題は解決、私は約束の時間に実家に義母を迎えに行ったのだが、またもや義父が庭で立って私の到着を待ち構えていたのである。

 表情はとんでもなく暗い。明日ハルマゲドンが来ても納得の暗さだ。なんなの、地球滅亡なんですか? 正直な話、うんざりした。まさかですけど、接種会場までついてこようとしているのではないか。そうピンときた。はあ、一人だけでも大変なのに、二人は勘弁してほしいですな~。

 車から降りると、鉄球のように重い雰囲気でじーっと私を見てくる義父。だから、「お父さんは留守番ですよ」と、先回りして、ものすごくはっきりと伝えた。

 遊びじゃねえんだよ。こちとら、命がけで引率してんだ。冗談じゃないっつーの!

 義父はあきらかにがっかりした表情で、「そうか、お父さんは行かなくてええんやな」と言った…半泣きで。行かなくていいもなにも、むしろ、来ないでくれ一択ですよ!

「お父さん、打ったらすぐに戻りますから、心配しないでください。ちょっとの間だけ留守番してて下さい」と、氷のように冷たい声で言ってしまった。後ろに立っていた運転係の夫が「あまり詰めないでやってくれ」と小声で言った。

 詰めてないんだよ。一時間ぐらい留守番できるだろっつー話なんだよ…と、今度は低い声で夫に言ってしまった。このあたりから私のなかで、怒りがマグマのようにふつふつと湧き上がっていたに違いない。

 準備万端整い、メイクもばっちりでご機嫌な義母を車に乗せ、接種会場のホテルに到着。前回義父が接種した会場と同じ、琵琶湖沿いにあるナイスなホテルだ。

 義母は運動能力も高く(なにせ今でも走る)、足腰もしっかりしている。私と同じペースでスイスイと歩き、本当に楽だった。運転手の夫を車に残し、私と義母は談笑しつつ接種会場に到着した。この日はとても空いていたので、なんと10分もかからず接種はあっさり終了。接種後の15分の待機も二人で仲良く話をしつつ過ごし、スムーズに会場から出た。信じられないぐらい楽だった。ああ、義母は本当にしっかりしている。なんて素晴らしい人なのだろう。最高の気分だ。

 二人でホテルから出て、駐車場へ向かっていると、ホテルの従業員の人に声をかけられた。私たちがキャッキャ言いながら琵琶湖を見ていたので、写真を撮影してくれるというのだ。親切な人だ。私と義母は、琵琶湖を背景に笑顔で写真に収まった。義母は、とてもうれしそうだった。私もうれしかった。なにせ、これで、接種一回目は終了。あとは二回目を打てばいいだけである。この調子だったら二回目の接種も楽しく、素早く終わるに違いない。

 私、ちょっといいことしちゃったな~と笑顔で考えていたその瞬間だ、私の携帯が鳴ったのだ。着信は義父からだった。

 何!? おいおい、何が起きた!? まさか転倒!? 後期高齢者の転倒&骨折はダメです、命取りです!!! と焦りに焦って出ると、いつもの暗い声で「…もしもし…」だ。

 ぎいいいいい、暗い! 暗すぎる! 

 「お父ちゃんやけど…今から、みんなでどこかにごはんでも食べに行かへんか…?」

 もう、どうにも自分を止められなかった。「ハァ!?」と大声を出してしまった。

 「今からレストランとか無理ですから!!!!」 勢いよくブチッと電話を切った。そして思わず、「遊びじゃねえんだよ!!!」と義母の前で口に出して言ってしまった。だって、仕事だって家事だって投げ出して、週末のゴールデンタイムを犠牲にして、ここまではるばるやってきたのだ。ようやく終わったと思ったら、今度はレストランに行きたいだと…!? 正気か!?

 そんな私を見た義母は、「理子ちゃん、今の、お父さんやろ?」と言った。私は憮然とした表情のまま、「はい」と答えた。「あの人はな、若い頃から親元を離れて働いていたから、さみしがりやなんよ。だから、許してあげてね」

 私は青い空と琵琶湖を眺めながら、「わかりました」と答えた。そして義母を車に乗せ、スーパーに立ち寄り、義母、私、夫の三人でわいわいと食材を選び、たっぷり購入して、実家へと戻った。

 反省点としては、義父に激怒しすぎた。以上。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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