後期高齢者である両親のワクチン接種、義父に続いて義母の一回目。間違いなく死闘。報告します。
正直な話、私にとっては義父よりも義母の方がよっぽど楽だ。認知症と診断されている義母だが、そのときどきの理解度は驚くほど高い。今の義母を見て、認知症とわかる人はそうそういないだろう。そのうえ、あっけらかんとした性格で、常に明るく、笑いを絶やさない。若いころはかなり意地悪な……いやなんでもないです、とにかく、私からすると義母は本当に楽な人だ。なにせ、話が通じるのだから。
一方義父は、面倒くさいことこの上ない。なにせ、性格が暗い。なんとも重い男だ。あまりにも暗くてうんざりしてくる。すいません、悪口書きすぎましたでしょうか。でも本当に、「いいかげんにして」と言いたくなるような人なのだ。
例えば、私が実家に行く日は、朝から庭に立っている。立って何をしているかというと、私が無事に到着するかどうかを確認しようと待っている。義父からすると、私が車に乗る=命がけの移動。事故で死んだのではと、まさに死ぬほど心配している。もうほんとうにやめて欲しい。ストーカーか。義父が泣きそうな顔で立っている姿を見るたびに、ため息が出そうになる。優しい人ではあるのだけれど、その優しさは庭の草花にでも向けて欲しい。裏庭の竹林でもいいじゃないか。とにかく、こっちの方角に向けてくれるなといつも思うのだ。
そんなこんなで、今回は義母の引率というわけで、私としては楽な気持ちで挑むことができた。介護生活も二年を超えると、いろいろとコツがわかってくるというもので、あまり大げさに騒ぎ立てないほうが物事はうまく運ぶものだ。だから、前日の夜に、かるーくジャブを放っておくことにした。
「お母さん、明日の午後はコロナワクチンの接種があるんですよ」
「あら、そうなの」
「カレンダーに予定を書き入れてくれますか?」
「わかったわ!」
義母は予定を忘れないように、几帳面にすべてカレンダーに記載している。それを毎日確認して、自分なりに工夫しているのだ。だから、そのカレンダーに記入しておいてくれと頼んだというわけ。前日はここで終わりである。持ち物などに言及すると、義母は途端に焦ってしまう。書類関連は、すでに私がきっちりと準備していた。あとは義母の身柄を押さえるだけ。それでバッチリOKなのだ。
「書けた!」
「そうですか、ありがとうございます。それじゃあ、明日行きますね」
「ありがとう~」ということで、準備万端整ったと思ったのだが……接種当日の午前中に不穏な電話がかかってきた。
「今日の接種、行けないと思う」
「え、なぜですか?」
「本当にごめんなさいねえ~。お母さんもまさか、突然おばあさんが泊まりに来るとは思っていなかったもんだから……」と義母が言うではないですか。つか、誰? おばあさん、誰?
「おばあさんって誰ですか?」
「う~ん、ちょっと誰なのかはわからないのだけれど、おばあさんがいらしてて……」
「ほほう……」
「昨日から、泊まっていらっしゃるのよねえ……」
ピーンときました。なーるほど。介護生活も二年になると、こういった謎も、理解できるようになっております。なんとなく、わかるのです。すかさず義母に質問します。
「お母さん、それはもしや……おじいさんでは……?」
「えっ!? おじいさん?」
「そうです、おじいさんではないでしょうか。もうひとつ言いますと、それはもしかして、お父さんではないでしょうか?」
「えっ! お父さんなの? ちょっと待って、理子ちゃん。いまから見に行ってくるから、電話を切らないで待っていて」
「了解です」
(義母が息を切らせて走っている音)
「(ハァハァ)理子ちゃん、そうやったわ、確かにお父さんやったわ!」
「やっぱりそうですか。よかったです! じゃあ、今日の予防接種行けますよね?」
「うん、行けるわ。あなた迎えに来てくれるの?」
「行きますよ。半袖着ておいてくださいね!」
「わかったわ。それじゃあ、よろしくね」
「はい、それじゃあまたあとで」
……ということで、問題は解決、私は約束の時間に実家に義母を迎えに行ったのだが、またもや義父が庭で立って私の到着を待ち構えていたのである。
表情はとんでもなく暗い。明日ハルマゲドンが来ても納得の暗さだ。なんなの、地球滅亡なんですか? 正直な話、うんざりした。まさかですけど、接種会場までついてこようとしているのではないか。そうピンときた。はあ、一人だけでも大変なのに、二人は勘弁してほしいですな~。
車から降りると、鉄球のように重い雰囲気でじーっと私を見てくる義父。だから、「お父さんは留守番ですよ」と、先回りして、ものすごくはっきりと伝えた。
遊びじゃねえんだよ。こちとら、命がけで引率してんだ。冗談じゃないっつーの!
義父はあきらかにがっかりした表情で、「そうか、お父さんは行かなくてええんやな」と言った……半泣きで。行かなくていいもなにも、むしろ、来ないでくれ一択ですよ!
「お父さん、打ったらすぐに戻りますから、心配しないでください。ちょっとの間だけ留守番してて下さい」と、氷のように冷たい声で言ってしまった。後ろに立っていた運転係の夫が「あまり詰めないでやってくれ」と小声で言った。
詰めてないんだよ。一時間ぐらい留守番できるだろっつー話なんだよ……と、今度は低い声で夫に言ってしまった。このあたりから私のなかで、怒りがマグマのようにふつふつと湧き上がっていたに違いない。
準備万端整い、メイクもばっちりでご機嫌な義母を車に乗せ、接種会場のホテルに到着。前回義父が接種した会場と同じ、琵琶湖沿いにあるナイスなホテルだ。
義母は運動能力も高く(なにせ今でも走る)、足腰もしっかりしている。私と同じペースでスイスイと歩き、本当に楽だった。運転手の夫を車に残し、私と義母は談笑しつつ接種会場に到着した。この日はとても空いていたので、なんと10分もかからず接種はあっさり終了。接種後の15分の待機も二人で仲良く話をしつつ過ごし、スムーズに会場から出た。信じられないぐらい楽だった。ああ、義母は本当にしっかりしている。なんて素晴らしい人なのだろう。最高の気分だ。
二人でホテルから出て、駐車場へ向かっていると、ホテルの従業員の人に声をかけられた。私たちがキャッキャ言いながら琵琶湖を見ていたので、写真を撮影してくれるというのだ。親切な人だ。私と義母は、琵琶湖を背景に笑顔で写真に収まった。義母は、とてもうれしそうだった。私もうれしかった。なにせ、これで、接種一回目は終了。あとは二回目を打てばいいだけである。この調子だったら二回目の接種も楽しく、素早く終わるに違いない。
私、ちょっといいことしちゃったな~と笑顔で考えていたその瞬間だ、私の携帯が鳴ったのだ。着信は義父からだった。
何!? おいおい、何が起きた!? まさか転倒!? 後期高齢者の転倒&骨折はダメです、命取りです!!! と焦りに焦って出ると、いつもの暗い声で「……もしもし……」だ。
ぎいいいいい、暗い! 暗すぎる!
「お父ちゃんやけど……今から、みんなでどこかにごはんでも食べに行かへんか……?」
もう、どうにも自分を止められなかった。「ハァ!?」と大声を出してしまった。
「今からレストランとか無理ですから!!!!」 勢いよくブチッと電話を切った。そして思わず、「遊びじゃねえんだよ!!!」と義母の前で口に出して言ってしまった。だって、仕事だって家事だって投げ出して、週末のゴールデンタイムを犠牲にして、ここまではるばるやってきたのだ。ようやく終わったと思ったら、今度はレストランに行きたいだと……!? 正気か!?
そんな私を見た義母は、「理子ちゃん、今の、お父さんやろ?」と言った。私は憮然とした表情のまま、「はい」と答えた。「あの人はな、若い頃から親元を離れて働いていたから、さみしがりやなんよ。だから、許してあげてね」
私は青い空と琵琶湖を眺めながら、「わかりました」と答えた。そして義母を車に乗せ、スーパーに立ち寄り、義母、私、夫の三人でわいわいと食材を選び、たっぷり購入して、実家へと戻った。
反省点としては、義父に激怒しすぎた。以上。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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