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村井さんちの生活

 義理の両親のコロナワクチン接種が無事終了し、ひと安心といったところだが、そうそう長い間ほっとしているわけにもいかない。車がなければ生活が成り立たない田舎に住む二人に車を諦めてもらった私としては、彼らの生活がしっかりと回るように手配をしなければならない。この2年で、デイサービス、ヘルパーサービスに慣れてくれた二人に、新しいことにチャレンジしてもらうことに決めたのだ。ケアマネさんと二人で検討を重ねて、先日からショートステイ(短期入所生活介護)に参加してもらっている。 

 両親は二人とも後期高齢者で、特に義父は88歳と高齢だ。義母も80歳で、とても元気だがもう若いというわけではない。義父は3年前に軽い脳梗塞を発症し、しばらく入院生活を送った。その間に義母が軽度の認知症となり、現在に至る。二人とも健康で、はつらつとしているけれど、だからといって問題がないということではない。安全に生活しようと思ったら、誰かの支援が必要な状態だ。

  夫婦って難しいものだし、人生は思うようにならないというのは本当で、長い間連れ添い、ようやくゆっくりと暮らすことが出来るとなった途端に、義父が倒れ、義母も急に老いてしまった。そのうえ、二人の関係が少しギクシャクしてきた。容赦ない社会の現実というか、厳しい世の洗礼というか、様々な事件が勃発し、年老いた両親の間に感情のぶつかり合いを増やした。特に義母の変化に戸惑う義父の負担は重く、最近ではお昼近くまで寝てしまうようになった。これは、私からしたら大変な驚きだった。よろしくない状況だ。なにせ、義父は生まれついての働き者で、ヒマがあれば仕事を見つけて動きまわるタイプだった。それは、脳梗塞で倒れてからも同じで、誰よりもリハビリを多くこなし、休むことなく動き、見事復活を遂げたのである。それなのに昼までパジャマだなんて……。

  塞ぎ込み、意欲を失いつつある義父を見てケアマネさんも心配したのか、たまには一人でゆっくりする時間を確保してあげたほうがいいと提案してくれたし、私もそう考えた。そこで、ショートステイがスタートというわけだ。義父と義母、どちらかが半日ほど(朝10時から午後4時ぐらいまで)を施設で過ごすことで、互いから少し距離を置く時間を安全に確保できる。できれば義母が自宅から出てショートステイサービスを受けたほうがいいだろうというのが、ケアマネさん、そして私の間の共通認識だった。その方が安全だし、義母にとって外の世界に触れ続けるのはとても重要だからだ。

  そして先日、介護保険負担割合証の切り替えと同時に関係者会議が開かれた。私、ケアマネさん、デイサービスの職員さん1名、ヘルパーステーションの責任者1名、そしてショートステイ先の責任者1名の合計5名の会議だった。今回新規で利用することになったショートステイ先の責任者の方とは初対面だったが、直感的に、うまくいくだろうと思った。というのも、たぶん30代前半ぐらいのとてもはきはきとした男性で、なにより、すべてにおいて話が早いし、柔軟だった。何を提案しても、即座に受け入れてくれるか、検討しますと答えてくれる。なんという素晴らしい方なのだと思い、これは大成功! と考えた。少なくとも私にとっては。

  ショートステイ先では、入浴、食事、運動、交流(ビデオ鑑賞やカラオケが含まれる!)などのスケジュールが組まれており、内容を確認するだけで義母は相当喜ぶだろうと確信した。というのも、義母はそもそも大変社交的な人で、性格も明るい。人の多い場所を好む。問題は引っ込み思案の義父だが、責任者の男性は「もし嫌だとおっしゃるなら、無理強いはしません。家に戻りたいということでしたら、すぐに車で送りますので安心して下さい」と力強かった。それに、ショートステイ先には看護師、生活相談員、介護職員、栄養士、調理師、訓練指導員のみなさんが勢揃いしている。これ以上望むことなどない。やったー! 大成功! とケアマネさんとハイファイブしそうになったところで、予想外のことが起きた。会議をしていた和室に、義父が静かに入ってきたのだ……右手に名刺を持って。

  義父は部屋に入ると、ショートステイ施設の責任者の男性に、自己紹介をし、名刺を渡した。名刺など持っていることも知らなかったが、とにかく渡していた。いつもとずいぶん様子が違う。なんだかぴりっとしている。ヨレヨレだけども、しゃきっとしている。自己紹介する義父の横顔が、なんとなく以前の調子に戻っている。もしかして、男性が介護チームに入ってくれたことで、仕事モードのスイッチが入ったのかもしれない! これはいいぞと思った。こんなこともあるんだなあと不思議な気分だった。きっと義父は、若い男性に自分の弱い姿を見せることはできないと気合いが入ったのだと思う。

  結局、最初は緊張するだろうということで、二人揃って参加してもらうことになった。前日から持ち物の準備を重ねて、私は体力が底をついたのだが、とにかく二人が新しい環境に慣れてくれることを祈りつつ、すべてをショートステイ先に任せることにした。

  一日目が無事終了し、二人に様子を聞くと、驚きの答えが返ってきた。義母は「本当に楽しかった!!」と大感激していた。「ごはんも適量で美味しかったし、職員さんも優しかったし、とくに責任者の人がいい人やったわ~。来週も絶対に行く!」と完全にお気に入り認定されていた。そして面白いことに、義父の方は、調理師だったこともあってか、「ごはんは素朴で野菜が多くて美味しかった。味噌の塩分が少し高いのではと思ったが、おおむね素晴らしい献立やった」と、しっかり仕事モードになっていた。表情は明るかった。ぴりっとしている。元気が出ている。義父もやる気を復活させたようだった。「素敵ッ!」と言って、思わず拍手してしまった。

  両親は週5日、なんらかのサービスを受け、誰かに必ず会い、生活の支援をしてもらっている。これは私たちにとっては本当にありがたいことで、支援サービスがなければ両親が今まで通り二人の時間を持ちながら、安全に暮らすことは難しかっただろう。今のところは問題もなく平穏な日々が続いているし、このままこんな日々が続いてくれるといいなと思わずにはいられないが……さて、どうなることだろう。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

村井理子
村井理子

むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『兵士を救え! マル珍軍事研究』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』など、エッセイに『(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』がある。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。

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