14人の田中宏和著『田中宏和さん』を出版する
2009年にTBSのテレビ番組でのV6との共演で起こった、田中宏和運動第2次ビッグバンは、オリジナルソングのリリース、田中宏和だけの貸し切りバスツアーに止まらなかった。
『田中宏和のうた』を制作していた頃、「WEBさん」の友人の出版社の社長から「田中宏和さんたちが著者の本をつくりたい」という申し出を受けていた。著者が全員同姓同名の書籍企画だ。書名は『田中宏和さん』に決定。信州バスツアーを経た14人の田中宏和で取り組むことになった。ちなみに当時のEXILEと同じ人数だ。頭数だけ一緒なのがむしろ恥ずかしい。
書籍のカバーや編集のデザインは「渋谷さん」にお願いし、イラストレーション、撮影、インタビュー、プロモーション企画など、すべて14人の田中宏和の協同作業で行った。
その頃、田中宏和の会の面白さは、拡張現実の体験に通じるとの確信を深めていた。みんな集団行動していても、端から見ると30〜50代の男性の集団にしか見えない。同じ会社の仕事仲間にしては服装や雰囲気がバラバラだなという印象だろう。しかし、その一人一人に「田中宏和」というタグをつけて見ると、急に可笑しみが湧く絵に変化する。拡張現実(Augmented Reality)が、今見ている風景に専用のメガネをかけたり、スマホをかざすことで、新たな文字情報や図像が重なって見える驚きを与えるように。その頃話題になりはじめていたAR三兄弟の川田十夢さんと出会い、書籍にARマーカーを埋め込み、スマホをかざすと画面に「映像さん」撮影・編集の動画が走る、おそらく世界初と言って良いAR実装書籍となった。川田さんは、われわれの集団に一人で撮影立ち合いし、部外者ながら打ち上げにも参加してくれた。「お酒以上に田中宏和に酔いました」と笑いながら、「あ〜、田中宏和に生まれたかった!」と悔しそうに言葉を漏らしもしてくれた。初めてわれわれの会を羨ましい、入りたいと切実に申し出た「名前が違うヒト」である。その後、現在に至るまで時々「田中宏和になりたい」と言う方が現れる。人間とは、秘密結社のようなコミュニティに惹きつけられる生き物なのかもしれない。
書籍の内容は、これまでの歴史、14人によるエッセイ、Tシャツ、手ぬぐい、名刺、旗などのオリジナルグッズ紹介など。他にも「同じ名前は、同じ性格、同じ運命なのか」という素朴な疑問から、姓名判断の始祖と呼ばれる「五聖閣」の熊﨑一紗先生に話を伺いに行った。たまたま名字についての特番をテレビで見かけたら、「田中」姓にベストな男の名前は「宏和」という鑑定をされていたからだ。
熊崎先生によると「名前とは、呼ばれ、自分から使っているうちに意識の中に浸透してきて、名前が自分そのものになる」「持って生まれた個性に、名前がつけられ、個性と名前の調和で幸せになれる」「名前は人生のナビゲーション役」とのこと。
あらためていただいた姓名鑑定によると、「穏やかで落ち着いた明るい性格」「仕事はてきぱきと着実にこなす方だ」「人をリードする方だ」「お金が周りから集まってくる」「周り(特に目上の人)から好かれる方だ」という結果に。占いの常として、当たっているような気がする。しかし、全員がリーダーだと組織はまとまらないわけで、そういう意味でも同姓同名集団は姓名判断の想定外、異常事態なのだろう。
田中宏和運動全国大会2010を開催する
この書籍発売の準備も佳境だった1月の下旬、「田中宏和「同姓同名」ナイトトークイベントご出演のご相談企画書」がメールで飛び込んできた。
インターネットプロバイダーのニフティ株式会社(当時は富士通子会社)の横山シンスケ(東京カルチャーカルチャー店長、元ロフトプラスワン店長)と名乗る人物から、田中さんに田中宏和.comの宣伝PRもかねたトークイベントをお仲間と開催出演頂ければとの打診だった。
「ネットの普及により、ほとんどの人が自分と同姓同名の人間をネットで検索した事があると思い、個人的にいつか同姓同名をテーマにした面白いイベントが出来ないものか?とずっと思っておりました」とのこと。この一節が妙にひっかかる。やりようによっては面白くなるかもね。ロフトプラスワンと言えば、「トークライブ」というカテゴリーをつくったロフトプロジェクトのうちの新宿歌舞伎町の店である。このサブカルチャーの路線を受け継ぐライブハウスなら、なんとかお客さんを呼んでもかたちになりそうだ。
4月3日の東京カルチャーカルチャーには、33人の田中宏和さんが集まった。
ここで田中宏和の会のリストを整理すると、
まずはイベント前、4月3日までの田中宏和さん。
1.ほぼ幹事(本人です)、2.渋谷さん、3.作曲さん、4.WEBさん、5.レコードさん、6.やめとまさん、7.社労士さん、8.映像さん、9.ランプさん、10.理科さん、11.レーザーさん、12.エンジニアさん、13.豪商さん、14.りんごさん、15.田端さん、16.ラッパさん、17.水戸さん、18.リフォームさん、19.理事長さん、20.やきそばさん、21.ソフトさん、22.新郎さん
この22番目の田中宏和さんは、お相手の新婦から「婚約者が田中宏和です」とメールをいただき、「披露宴の余興で『田中宏和のうた』を歌ってほしい」とのリクエストに応え、サプライズで9人の田中宏和が登場、あだ名を「新郎の田中宏和さん」と決め、本人含め10名で合唱し、会場は異様な熱気と歓声に包まれた。その後、「調停中の田中宏和さん」になり、「離婚の田中宏和さん」と状態は変化したが、いまだに「新郎さん」と呼んでいる。あくまで田中宏和の中のコードネーム、識別記号なのだから、指示内容の意味は関係ないのである。
そして、イベント当日に参加してくれた田中宏和さんたち。
初対面の田中宏和さんとステージ上で向き合って、名刺交換し、ものの1分以内にあだ名を決めるというパフォーマンスが、この日に出来上がった。
23.物流さん、24.歯医者さん、25.カメラさん、26.おくりびとさん、27.教諭さん、28.不動産さん、29.高速さん、30.財務さん、31.システムさん、32.ガスさん、33.桜島さん、34.実業さん、35.バイクさん、36.ピッチャーさん、37.テレビさん
36番目の田中宏和さんは、あの元近鉄バファローズの田中宏和さん、ドラフト一位の田中宏和さんであり、この運動のきっかけとなった伝説の人。われわれにとっては、銅像のような人物。TBSの番組でつながりができたが、本当に大阪から来てくれるとは思わなかった。これもイベントを「全国大会」と銘打った効果か。目の前に「ピッチャーの田中宏和さん」が現れた時は、体が震えた。
会場のお台場から新橋に戻る電車、ゆりかもめの一両は全員が田中宏和さんだった。前年の貸し切りバスツアーの思い出が蘇る。どうか電車が強風のために止まったりしませんように。事件、事故のニュースになりませんように。打ち上げの居酒屋には学ラン姿で浮いている高校生「実業さん」とお母さんが引率者としてご参加されたのだが、未成年としての振る舞いに難があったのか、座敷の席でお母さんからの「宏和!」とたしなめるような一言に全員が振り返った。大爆笑である。みんなで「お母さ〜ん」と返事した。
そうだ。ここにいるのは、単に同姓同名の人間ではない。幼い頃から、親に「宏和!」と注意され続けた体験を共有する人の集まりなのだ。成長して、反抗期になって親の言うことを聞かなくなって自立して、自分が子の親になっても原体験は消えないのだ。実際には「実業さん」のお母さんより年上でも、今は立派な会社の社長であっても、ぴしゃりと「宏和!」と言われたら条件反射的にその声の主を確かめてしまう。人は、「田中宏和」という同じ名のもと、同じ体験を経て現在に至る仲間として、出自来歴立場を超えてフラットになる。いや、これは同じ名前が気づかせてくれただけであって、人間は本質的に平等なのだ。
居酒屋の座敷には、席次など気にせず、年功序列も関係なく、全国からの田中宏和さんが思い思いに座っている。静岡で生まれ、今は横浜の研究所で免疫の新発見に没頭する眼鏡の「理科さん」博士は、鹿児島で生まれ、今は愛知でフリーターと称し、腰から落ちそうなダボダボのズボン姿で野球帽の平らなつばを斜めにずらした髭面の「桜島さん」と酒を酌み交わしている。この二人は、同姓同名でなかったら、きっと人生で会うことは無かっただろう。年齢差があるにしても、仮に同じ高校のクラスメイトであっても、口をきかなかっただろうというほどにタイプが違う。タイプで言うと、カツアゲされるほうとカツアゲするほうくらいの違いだ。しかし、目の前では平和に笑い合っている。
この光景は、どこかで見たことがある。そう、親戚のお通夜の席だ。初めて会う人と隣り合う、目の前に座る。出前の寿司桶に手を伸ばしながら、故人との関係をおずおずと自己紹介する。そのうちに緊張感がほぐれていって、故人の話題を離れてお互いの話で和んでいるうちに、「やっぱり血のつながりがあるんですかね」と妙に納得したりする、それだ。
同姓同名の集いは、遠い親戚の集まりのよう。田中宏和の会は、擬似親族。このことに気づいた。
その後も集会や全国大会で顔を合わせるたびに、「実業さん」に「大学は?」「彼女はできた?」「就職活動は?」「仕事には慣れた?」「合コンとかしてる?」と聞いていたら、2022年に結婚したと聞き、とてもうれしかった。本当に親戚のおっちゃんのようである。
思わぬことに挑戦目標ができた!
田中宏和運動史においてエポックメイキングな初の全国大会が終わり、週明けの月曜日の朝。東京中日スポーツが報じた“初の全国大会に「田中宏和」さん33人が大集合!!”の記事をTBSの朝の情報番組で司会のみのもんたが嬉々として紹介していた。
ここまで来たか。もうブレーキの利かない運動になってしまったようだ。
というのも、イベント終了後、横山店長から言われたのだ。
「幹事、これってギネス世界記録になるんじゃないですか?」
またこの人は何を言い出すのだろうと思ったものの、小学生の頃はギネスブックの日本語版を持っていた。確かに記録の中には、世界一身長が高いという努力で何ともできないものもあれば、縄跳びを一緒に跳んだ人数のような練習と運で何とかなるお茶目な記録もあったはず。確かに無くは無いのかも。
横山店長の誘いに乗るままに実施したイベントで、横山店長からの軽はずみな指摘により、新たな目標ができてしまった。自分の名前とは、他者から名付けられるものであるように、自分たちの目標とは、他者から与えられるものなのかもしれない。
同姓同名で集まってギネス世界記録!
こうなれば、ライク・ア・ローリング・ストーン!
さっそくギネスワールドレコーズの英語のウェブサイトを調べてみた。名前についての記録に該当のものは無いが、確かに誰でも申請できる記録の受付ページがあり、同姓同名33人の集まりでエントリーしてみた。
6月下旬にギネスワールドレコーズ本部から英語のメールを受信した。
記録タイトルは、 'Largest same name gathering (first and last names)'.
なるほど名字も名前も同じ名前の最大の集いか。
「現時点の記録として、最低必要な人数は50人」とあった。
つまり、われわれの申請で新たなギネス世界記録のカテゴリーがつくられたのだ。メールを受け取るや、横山店長に「ロンドンのギネスから50人集めたらギネス記録にしてくれるそうです」と電話した。「もう来年挑戦しましょう!」
いざ記録挑戦を決めると、今度はそわそわしてきたのである。50人の同姓同名の集まりの記録なら、佐藤博さん、佐藤愛子さん、鈴木一郎さん、鈴木洋子さんなどなど、われわれ以上にすぐにたくさん集まれる人がいるのではないか。
一方、こちらは4月に33人の集いの実績があり、その後もテレビ番組の取材対応などで、
38.鉄さん、39.練馬さん、40.エキスパートさん、41.みかんさん、42.運用さんと順調に会の人数は増えている。
初めてのギネス世界記録挑戦、全国大会2011
年が変わって、4月2日のギネス世界記録挑戦のための田中宏和運動全国大会2011の準備を進めていた。横山店長とは「次で50人はいけそうですね」とやりとりをしながら、開催まで1ヶ月を切った3月11日。東日本大震災が起こった。眼にしたことのない津波の災害に、原子力発電所の事故が重なり、我が子を京都の実家に避難させたが、同じくらい気になっている人がいた。今度のイベントに参加表明のメールをくれていた、仙台市で消防士をしているという田中宏和さんのことだ。災害後、生死を分ける72時間が過ぎ、人命救助活動に関わっていらっしゃるとしても、そろそろ連絡をとっても良いのではないかと判断し、おそるおそる16日の19時にメールを発信した。
仙台の消防の田中宏和さま
田中宏和です。
震災のニュースに触れて以来、ずーっと勝手に心配していました。
「消防の」というところから、まさに最前線にいらっしゃるのではと想像して、今日まで連絡するのをガマンしてきました。
お元気ですか?
ほぼ幹事の田中宏和拝
祈る気持ちだった。返信を受け取ったのは、翌日の午前11時だった。
大丈夫です
災害対応中です
がんばります負けません
瞬く間にメールの文字が濁って読めないほど眼から水が溢れた。すぐに応援の返事をし、同時に翌月のギネスチャレンジのイベント延期を決め、Twitterで発信した。
「全国大会は延期して、次回は仙台の消防の田中宏和さんをお招きして、ギネス記録樹立をしたいです」
その後「消防さん」には、全国の田中宏和さんからの応援メッセージが届き、励ましてもらえたと感謝された。会ったこともない同姓同名だけの縁がなせるパワーだ。
2011年10月15日に満を持して開催した田中宏和運動全国大会2011には、お台場の東京カルチャーカルチャーに全国から71人の田中宏和さんが集まった。その中には、7月に仙台まで災害ボランティアに出向いた時に会えた、43.消防さんの溌剌とした姿もあった。
この日、初対面となった37人の田中宏和さんには、ステージ上であだ名をつけていった。
44.庶務さん、45.税理士さん、46.佐世保さん、47.衛生さん、48.ういろうさん、49.小顔さん、50.DJさん、51.大仏さん、52.セミさん、53.美容師さん、54.切らしてますさん、55.黄色さん、56.加速器さん、57.のっぽさん、58.下着さん、59.スリープさん、60.マーケさん、61.ブレザーさん、62.ニードルさん、63.スポーツさん、64.博士さん、65.ドラマさん、66.花祭りさん、67.八尾さん、68.ジュエリーさん、69.耳飾りさん、70.ポストさん、71.ベースさん、72.中国物流さん、73.川越さん、74.プリンタさん、75.漁師さん、76.サーファーさん、77.薬剤師さん、78.合同会社さん
名刺交換をして、仕事や居住地、趣味や見た目で、田中宏和の会の中での名前を決めていくパフォーマンスをニコ生中継したら2万2千人が視聴していた。
ちなみに「54.切らしてますさん」は、面と向き合って挨拶のタイミングで「名刺を切らしています」と言ったからだ。
事前にギネスワールドレコーズとやり取りをして確認していた、記録申請のためのガイドラインに従いイベントを進行した。2人が記録のエビデンスとなる住民票を忘れたことがわかった。さらに、場内を仕切って人数カウント、記録ムービーを回す直前に、大阪から来た田中宏和さんが「今日、終電の新幹線で帰りますんで、もう会場から出ますわ」と言ってきた。「あとちょっとでギネス世界記録保持者になるのに?」と引き留めたが、「明日の早朝から当直なんですわ」と会場を去っていった。
もう一人、半年前に結婚式に参列した、わたしが最初に会った田中宏和さんであるところの「渋谷さん」。「嫁から、もうすぐ子供が産まれると電話があったので行きます」「えっ? 予定日を聞いた上で、ギネスチャレンジを今日に決めましたよね??」「それがかなり早まったみたいなんです」
田中宏和全員の拍手でステージから「渋谷さん」を送り出した。
71人の同姓同名の集いであったが、記録ガイドラインに則り4人はカウントできず、67人の記録として申請することになった。
翌日の新聞各紙には「田中宏和 世界一」の見出しが躍り、週明けの朝の情報番組は各局「同姓同名の集まり ギネス世界記録」の現場レポートVTR紹介に時間を割き、Yahoo! とGoogleの検索急上昇ランキングのトップとなった。
その後は念入りにギネス世界記録達成の報告書類、証拠などを事細かなガイドライン通りにとりまとめ、ロンドンの本部に国際郵便して記録認定を待ったのだった。当然もうギネス世界記録をつくった人、の気持ちで。
年が明けて、2月4日にロンドンからのメールを受け取った。
「we are unable to accept this」(申請を受け入れられない)というフレーズが眼に飛び込んだ。まさか。記録は却下?
読み進めると、記録認定の本審査の過程で、過去に遡って調査した結果、ギネス世界記録が見つかったというのだ。2005年9月20日にアメリカのNBCのテレビ番組「Martha!」の企画でニューヨークのスタジオ収録に集まった164人のマーサ・スチュワートを同姓同名の最大の集まりとするという内容だった。
メールは「ギネスワールドレコーズに興味を持ってくれてありがとう」と締めくくられていた。
もちろんアメリカのセレブリティとして、マーサ・スチュワートは知っていた。しかし、ネット検索すると、その2005年時点で本名だったかはかなり怪しい。われわれは3ヶ月以内に発行された住民票での名前の証拠提出を求められたのに。ロンドン本部からの通達メールには、反論したいことが山ほどあったが、抗議して敵にまわしても意味は無い。ギネスのルールは、ギネスに従え、だ。
あまりの衝撃にひと晩考え込み、横山店長に電話で報告した。携帯の向こうに無言の時間が流れた。
「164人ですか? 倍以上ですね」
「でも、今度は164人を超えたら確実に記録を更新できますね」
前年にギネス世界記録達成を確信して喜びあった仲間たちの顔が浮かんでいた。
思えば、2011年にやすやすとギネス世界記録を達成して満足していたら、その後のタナカヒロカズさんたちとの出会いは無かった。この場で文章を綴るほどの体験や思索も無かっただろう。だから、今となっては、2011年の失敗よ、ありがとう、なのだ。挫折を乗り越えてこそ生まれる甘美な達成が人生にはある。
このあとに続く、悲願のギネス世界記録達成までの10年を振り返る前に、あらためて「人の名前とは」を、広く、深く考えてみたい。
(次回に続く)
-
田中宏和
コミュニティ・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター。一般社団法人「田中宏和の会」代表理事(通称「ほぼ幹事の田中宏和」)。国際同姓同名連盟(International Same Name Association)共同設立者。東北ユースオーケストラ事務局長。 渋谷のラジオ・プロデューサー兼『渋谷のタナカヒロカズ』MC。ほぼ日刊イトイ新聞『田中宏和同姓同名観測所』で長期連載中。著書『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからつながる未来〜』(フレーベル館)、共著『田中宏和さん』(リーダーズノート)、編著『くらしのこよみ 七十二の季節と旬を楽しむ歳時記』(平凡社)など。1969年京都市木屋町生まれ、東京都渋谷区在住。Twitter:@tanakahirokaz Instagram:@tanakahirokaz
この記事をシェアする
「#タナカヒロカズを探して」の最新記事
ランキング
MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 田中宏和
-
コミュニティ・ディレクター/クリエイティブ・ディレクター。一般社団法人「田中宏和の会」代表理事(通称「ほぼ幹事の田中宏和」)。国際同姓同名連盟(International Same Name Association)共同設立者。東北ユースオーケストラ事務局長。 渋谷のラジオ・プロデューサー兼『渋谷のタナカヒロカズ』MC。ほぼ日刊イトイ新聞『田中宏和同姓同名観測所』で長期連載中。著書『響け、希望の音〜東北ユースオーケストラからつながる未来〜』(フレーベル館)、共著『田中宏和さん』(リーダーズノート)、編著『くらしのこよみ 七十二の季節と旬を楽しむ歳時記』(平凡社)など。1969年京都市木屋町生まれ、東京都渋谷区在住。Twitter:@tanakahirokaz Instagram:@tanakahirokaz
連載一覧
ランキング
ABJマークは、この電子書店・電子書籍配信サービスが、著作権者からコンテンツ使用許諾を得た正規版配信サービスであることを示す登録商標(登録番号第6091713号)です。ABJマークを掲示しているサービスの一覧はこちら