『源氏物語』にも登場、11月の行事菓子「亥の子餅」とは?
著者: 虎屋文庫
和菓子について研究、発信している、虎屋の菓子資料室「虎屋文庫」さん。日本の菓子は、季節によって様々に楽しめるようです。今回は、紫式部も食しただろう、11月の行事菓子「亥の子餅」についてご紹介いただきました。
大河ドラマ「光る君へ」をきっかけに、『源氏物語』はもちろん、平安時代の暮らしに興味をもつ方が増えているのではないでしょうか?
虎屋文庫で注目するのは、もちろん菓子関係。ドラマには、米・麦・大豆・小豆・胡麻を生地とした「粉熟」、青麦を煎って作る「青ざし」、遣唐使が伝えたという揚げものの「唐菓子」などが登場しましたが、実はこれらだけではありません。
1000年以上も昔とはいえ、平安時代には今の菓子に通じるものが結構作られているのです。たとえば、椿の葉に餅をはさんだ「椿餅」、母子草(春の七草のひとつ、ごぎょう)を使った「母子餅」など。ですが、砂糖が貴人用の痰や咳などの薬扱いだった当時、甘味料には高級品の甘葛(つたの樹液を煮詰めたもの)が使われており、現在ほどの甘味はなかったと考えられます。
11月の行事菓子
今回ご紹介する「亥の子餅」も、平安時代にさかのぼるものです。『源氏物語』の「葵」の帖では檜の折箱(檜割子)に入れたものが、紫の上のもとに届けられる場面がありますが、近年、11月の行事菓子として百貨店の和菓子コーナーでさまざまな「亥の子餅」が販売されることがあり、各地の菓子店で見かけることも多くなっています。きな粉をふりかけたり、焼印で猪の子(うり坊)らしく見せたり、お店によって、味わいや形は異なりますが、基本的には餡入りの素朴な餅菓子です。
「亥の子餅」の歴史
それにしても、「亥の子餅」とは不思議な名前。なぜ、「猪の子」なのかと、気になってきませんか。
「亥の子餅」はもともと玄猪(旧暦10月亥の日)の亥の刻(午後9時~11時)に食べる行事食でした(「玄猪」はこの祝いや餅自体を指す場合もあります)。この風習は中国から伝えられたといい、万病をはらう意味があったとされます。平安時代には宮中で用意されていたことがわかっていますが、残念ながら当時の製法は不明。鎌倉時代成立の『二中歴』(宮中行事について記した本)に、大豆、小豆、胡麻、大角豆、栗、柿、糖の七種の粉が材料名としてあがっており、これらを混ぜて作られていたと考えられています。
さて「亥の子餅」が階層を問わず広まるのは江戸時代ですが、階層によって、用途や餅の実態が異なるのが興味深いところです。たとえば宮中の玄猪の行事は三亥(3回の亥の日)あり、それぞれの日にはしきたりに基づき、紅白黒の餅に銀杏・紅葉などを組み合わせて紙に包んだものが、親王ほかへの贈り物とされました。紅は小豆の汁、黒は胡麻で色付けしたといい、「亥の餅」を包む特殊な包み方は「亥の子包み」として伝わります。
幕府では、将軍が家臣に紅白の餅を下賜するなど、6月16日の嘉祥同様、盛大な行事となりました。当日、大手門及び桜田門外で大篝火が焚かれ、城内では部屋ごとに火鉢が出されたとのこと。
猪は火伏の神である愛宕神社のお使いであるため、玄猪に火鉢や炬燵を出し、使いはじめれば火事にならないといわれたことが背景にあるのでしょう。大篝火は日暮れから真夜中まで続き、闇夜に炎々と燃えあがる様子を見ようと見物客が押し寄せたそうです。
猪は多産であるため、子孫繁栄の象徴であることも、玄猪の行事が重んじられた理由でしょう。民間では玄猪を田の神を祀る収穫祭と結びつけ、ぼた餅のような餡餅を「亥の子餅」として用意しました。また、茶の湯ではこの日に炉開きを行うため、亥の子餅を使うこともありました。
新暦の現在、炉開きは11月中に行われるようになり、亥の日には限定されません。しかし、現在も「亥の子餅」がよく用いられるのは、こうした歴史によるといえるでしょう。ちなみに、京都の護王神社では、毎年11月1日に平安朝の装束で亥子祭が行われ、餅を搗いたあと、「亥の子餅」が京都御所に献上されます。
日本人と餅
「亥の子餅」はこのように、無病息災、防火、子孫繁栄などの願いが託され、今日に受け継がれてきましたが、これは「亥の子餅」に限りません。古来、正月の鏡餅や5月5日の柏餅、7月の土用餅など、厄除招福などを願って、年中行事に用意される餅は数多く、また、全国各地に伝わる行事にも餅は重用されています。
スーパーで個包装のパックの餅がたやすく手に入る現在では忘れがちですが、稲作を中心とする日本の農耕社会では、米は霊魂の象徴であり、それをかためたともいえる餅は、この上なく神聖なものとされてきたのです。
加えて定義が難しいことも、餅を奥深く謎めいたものにしています。通常、餅といえば、糯米を蒸してから搗き上げたものが想像され、これがハレの日によく用いられますが、「餅」と呼ばれる食べ物の範囲は広く、粳米の粉を使った「新粉餅」、葛粉使用の「葛餅」、小麦粉使用の「麦餅」など、多様です。さらに食物史をたどっていくと、意外にも羊羹、饅頭ほか菓子そのものが餅という概念でとらえられていたことがわかります。
今年刊行の虎屋文庫の機関誌『和菓子』31号では、日本人の食文化に重要な位置を占める「餅」を特集しました。前述した「唐菓子」が日本の菓子発展に果たした役割も含めた、餅=菓子という概念の変遷、滋賀県に受け継がれる神饌としての餅など、一読されると、これまでの餅のイメージがまったく変わることでしょう。日本人にとって餅とは何かを、考えてみるきっかけになれば幸いです。
【参考】
・山中裕『平安朝の年中行事』(塙書房、1972年)
・橋爪伸子「近世京都における禁裏御所の玄猪餅にみる菓子の機能-霊力が宿る媒体」(『会誌食文化研究』No.12、2016年)
・掲載図版はすべて虎屋文庫提供
・亥の子餅の情報はこちら
2024年4月発行(年1回発行):B5判/86頁/1,000円(税込) 送料実費
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虎屋文庫
1973年に創設された、株式会社虎屋の菓子資料室である。史料の収集・保管を行っており、大きく分けて、歴代の店主や経営に関わる文書や古器物といった虎屋に関する史料と、和菓子全般についての史料の2種類を対象とする。史料に基づいた調査・研究を行い、『和菓子』という機関誌を発行したり、和菓子にまつわる展示を催したり、情報発信に努めている。2019年、新潮社より『ようかん』を刊行。公式ホームページ 画像:「狂虎之図」富岡鉄斎(虎屋蔵)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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