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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 長野県の小諸の町に着くのはいつも夜になってしまう。たいてい浅間周辺の山に登った帰りに寄るためで、山からようやく下りてきて、小諸はおそばが有名だからと店を探すが、その時間に開いている店はほとんどない。毎回小諸に下りてきてから、そうだった、小諸のおそば屋は早くに閉まるんだったと思い出す。小諸にかぎらず、地方の町の飲食店は夕方六時を過ぎると早々に閉まってしまう。先日も食べはぐれるよりはと、とりあえず入った店で食事を済ませ、帰京しようとしたのだった。

浅間周辺の山々からは山麓の町が望まれる

 店を出て駐車場に向かう途中、角にある『亀や』といううどんとそばの店をもう一度見る。小諸なのに「うどんとそば」というからには、つまりうどんやなのだなと思い、入るのをやめたのだった。もう一度店に近づくと、今まさに近所のおじさんとおぼしき人が中に吸い込まれていくところだった。改めて店の前のショーウインドウを見る。丼に入ったうどんやそばのサンプルが並んでいるが、そのどれもに天ぷらがのっている。いか天うどん、いか天そば。えび天うどん、えび天そば。天ざるうどん、天ざるそば。えび天うどんがいちばん高価で、えびが三本ものっている。豪勢である。天ぷらうどんも別にあって、これには野菜天がメインにのっている。うどんとそばの店というより、これは天ぷら屋だなと思う。私はえび天が好きなので、やっぱりこの店にすればよかったと少しばかり後悔する。店内をのぞくと先ほどのおじさんの他にも高校生や子連れのお母さんの姿も見えて、ここに入るのがどうやら正解だったようだ。今からおうどんをもう一杯食べられないこともないが、やめておく。その代わりといってはなんだが、店の入口にあった窓口で、揚げまんじゅうを買うことにする。

 『亀や』は天ぷら屋なので、天ぷらの衣のついた揚げまんじゅうである。揚げまんじゅうは東京でいえば神田の『竹むら』が有名で、行くと買わずにはいられない。店内でおしるこやかき氷を食べて、その間にお土産用の箱入りの揚げまんじゅうを揚げてもらうのが通の作法である。店で甘いものを食べた上、家に帰って揚げまんじゅうを食べるという一日でダブル甘味状態のため、多少の罪悪感を伴うが、質のいい油で揚げた黄色い衣を着た小ぶりの白いおまんじゅうは、中に入っているこしあんまですこぶる美味である。

 好物といってもいい揚げまんじゅうに小諸で出会うとは、これはぜひ食べねばならない。窓口のおばさんに頼むと、今から揚げますから二、三分お待ちいただけますかと言われ、待っている間、ウインドウの前に戻ってサンプルを眺める。店からは、天ぷらを揚げるぱちぱちという油のいい音が聞こえてくる。おばさんはお待たせしましたと言って揚げたてのおまんじゅうをふたつ丁寧に並べて揚げ物用の袋に入れて渡してくれる。まだほかほかしているのを早速食べてみると、薄い衣といい、ふっくらとした生地といい、ほどよい甘さのこしあんといい、絶妙なバランスである。こんなにおいしい揚げまんじゅう、ひさしぶりに食べたわ。何度も小諸に来ているのに見落としていたとは迂闊であった。しかし揚げまんじゅうを出す天ぷら屋のある町はそうはない。なにかいわれがあるのだろうか。

夕食後の揚げまんじゅうで身も心も満腹に

 古くから小諸や長野、あるいは木曽、そして伊那谷などでは、お盆のご馳走に野菜の天ぷらを食べる風習があった。油が贅沢品であった時代、農家ではお盆のときだけは油をたくさん使って盛大に天ぷらを揚げたという。昔は今とは比べものにならないほど油は高価で貴重なものだったのだ。今では県内各地の家庭にその風習が広がっているようで、そうした家ではお盆の料理といえば天ぷらで、お膳には揚げまんじゅうも必ず並ぶのだそうだ。特に北信、東信地域は、おやきに代表されるように、米の餅ではなく小麦のまんじゅう文化であり、小麦粉で作る麺類が豊富な地域でもあった。山がちで耕作地が少なく冷涼な気候のため、米よりも小麦や雑穀が育てやすかったのだろう。県中央部の松本や茅野は米作が発達しているせいか、米飴や日本酒が名産で、町で揚げまんじゅうを見かけたことはない。とはいえ、古くはお盆天ぷら地域でもおまんじゅうを揚げてはいなかったようだが、お盆におまんじゅうを作って祖先に供え、皆で食べる地方は多く、野菜のついでにおまんじゅうも贅沢に揚げてみようかという発想から、こんなにうまいものはないと県内に伝播していったのではないだろうか。

 やはり小諸では天ぷらうどんを食べるべきだったのだ。時期になると、スーパーには揚げまんじゅう用のまんじゅうが並ぶという。これはなんとしてもお盆の頃に長野県へ行って実際に調べてみねばなるまい。しかし長野といっても広い。どう回るのが得策だろうか。いずれにせよ小諸は最後に寄るのがよいだろう。『亀や』は遅くまで開いているし、えびと野菜ののった天ぷらうどんを食べて揚げまんじゅうを買って帰りたい。 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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