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おかしなまち、おかしなたび 続・地元菓子

 地方では今もお嫁入りの際に、お祝いに訪れた親戚や近所の人たちに配る祝い菓子の風習が残っている。例えば四国香川の西讃地方では、おいりという、彩り美しい丸い玉形をした花嫁菓子が作られている。餅米を搗いて裁断し乾燥させたものを煎って膨らませた軽い米菓子で、お米が貴重だった時代は晴れの日にふさわしい贅沢なお菓子だったのだろう。丸い形には心を丸くしてまめまめしく働きますという意味も込められている。四国では他にも、ふやき、パン豆といった米菓子が祝い菓子として用いられている。

 京都の日本海側、舞鶴で出会った婚礼の祝い菓子はお煎餅であった。瓦煎餅や玉子煎餅と呼ばれる、小麦粉と玉子と砂糖の入った甘く香ばしい小麦煎餅で、町角のミニスーパーのお菓子の棚には、「お嫁さん煎餅」や「寿煎餅」、「花嫁おせん」などという名で、いろいろな形の煎餅がたっぷり入った袋が並んでいる。一見したところ、ふだんのおやつに食べるような昔ながらの小麦煎餅で、香川のおいりのように明るく晴れがましい特別感はない。舞鶴ではなぜこうした煎餅をお嫁さん煎餅と呼んでいるのだろうか。

さまざまな形の小麦煎餅が入ったお嫁さん煎餅

 ミニスーパーの女の人は、「お嫁さん煎餅は、舞鶴、高浜、宮津、福井など海沿いの地域でしますね。あとは福知山とか。私がお嫁に来たときも娘がお嫁に行ったときも近所の人に配りました。昔は家からお嫁入りの支度をして出しましたから、お祝いに来てくれた近所の人に配りましたけど、今はホテルで結婚式をしますから、袋詰めにしたものを引き出物に付けたりしますね。お嫁さん煎餅はお煎餅としておいしいから、お店で買ってふつうに食べるお年寄りもいますよ」と言う。

現在は結婚式の引き出物に添えて渡されることが多いという

 お煎餅の種類はさまざまで、磯玉川は丸い煎餅に海苔と白砂糖をかけたもの、七宝は丸い煎餅の縁に白砂糖を四ヶ所かけたもの、生姜は丸い煎餅を二つ折りにして生姜砂糖をかけたもの、ピーナッツやゴマ入りのものなどの他に、どの袋にも必ずお嫁さんの焼き印がついたお煎餅が入っている。

この袋には炭酸煎餅も入っていた

 袋の裏書きにあった製造元を訪ねてみると、女性の店主がお話を聞かせて下さった。「私がお嫁に来た当時は、お煎餅はバラで配っていたので、一斗缶にどっさり入れて用意してあって、お祝いに来てくれる人に手づかみでどんどん渡していきました。それを皆、割烹着とかエプロンにいっぱい入れて帰るんです」と言う。そして「こんなして」と、ご自分のつけているエプロンの先をつまんで実演してみせてくれる。花嫁菓子は、ごく親しい隣近所に対しての気軽なご祝儀だったのだろう。なにしろお煎餅だし軽いから、風呂敷代わりにエプロンに入れて家に帰って、子どもたちやおじいちゃんおばあちゃんと食べたのだろう。お祝いごとらしく、充分ににぎにぎしく、なんだか楽しそうではないか。

 しかしなぜそれが婚礼用に作られる特別なお菓子ではなく、小麦煎餅というごく一般的なお菓子だったのだろうか。

 今ではお煎餅といえばお米でできた米煎餅だが、古くは小麦粉でできた小麦煎餅であった。特に西日本では、平安時代に京都の朝廷に唐菓子が伝わった頃からお菓子に小麦粉を使っており、煎餅といえば小麦煎餅であり、現在でも京都から山陰にかけて、あるいは紀伊半島、または神戸、大阪は玉子煎餅、瓦煎餅文化圏である。ただ、そうした文化にあっても、玉子と砂糖をふんだんに使った、洋風とも和風ともいえる甘いお煎餅は、庶民にとってなかなか口に入らない高級なお菓子であったはずだ。だからこそ舞鶴や海沿いの周辺地域では小麦煎餅が花嫁菓子として使われたのだろう。

お煎餅の種類はさまざまだが、花嫁の焼き印煎餅だけは袋に必ず入っている

 女性店主は福井の武生近くの出身で、地元の花嫁菓子はお煎餅ではなくおまんじゅうだったそうだ。中はこしあんの紅白まんじゅうで、「こんなで」と、今度はこんもりした大きめのおまんじゅうの形を手でしてみせてくれる。家によっては餅投げもしたという。餅投げは愛知や和歌山などでもみられる風習で、お嫁さんが婚家に入ったときに二階から投げる。投げるお餅は小さめの紅白餅である。「私が子どもの頃は、お嫁さん来たから見に行こと言って、よく行きました。餅を拾いに行くのか、お嫁さん見に行くのかわからんでしたけど」と笑っている。

「昔はお煎餅屋さんも市内に三十軒くらいありましたけど、今は三軒ほどです。今でも個人の方から婚礼のご注文はいただきますが、だんだんそういう風習もなくなってきて、寂しいですよね」。

磯玉川の砂糖衣は清流のさまを絶妙に表す

 古い文献を読んでいると、昭和の初め頃までは、都会をのぞけば地方の村ごと地域ごとの社会が機能しており、日々の生活を通して人々は助け合い、産業を守り、文化を継いでいっている。そして厳しく質素な暮らしのなかで特別なハレの日としてお祭りやお祝いごとを楽しむ。土地柄を反映した花嫁菓子の風習も、そうした小さな地域で連綿と続けられてきたのだろう。

 今では失われつつある花嫁菓子の風習だが、お祝いの日でなくとも、地元の菓子店に少しだけ並び、聞かれれば女の人たちが自分のお嫁入りのときのことを目を輝かせて語り、その味を懐かしいものとしていつまでも愛しているようすは、やはり好ましい。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

若菜晃子

1968年神戸市生まれ。編集者。学習院大学文学部国文学科卒業後、山と溪谷社入社。『wandel』編集長、『山と溪谷』副編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『東京周辺ヒルトップ散歩』(河出書房新社)、『徒歩旅行』(暮しの手帖社)、『地元菓子』『石井桃子のことば』(新潮社)、『東京甘味食堂』(本の雑誌社、講談社文庫)、『街と山のあいだ』『旅の断片』(アノニマ・スタジオ)他。『mürren』編集・発行人。3月に『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)を上梓。

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