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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

 不器用で不甲斐ないのに家族を支える彼女を、どうにか助けたかった

 毎朝、菓子パンを届けるカフェの仕事はまったくの赤字ではあるが、いろんな経験ができるという意味ではとてもありがたかった。

 野党の元国会議員だったバンデスの高圧的な態度に嫌気がさして、二週間で辞めてしまったが復帰してくれた女子大生のボニーは、新しい店に引っ越した後は、毎日一生懸命に働いていた。同じく女子大生のチャンティは、店にやってきた当初はやる気がなさそうに見えたが、バンデスが同郷のよしみで店に住まわせるなど、何かとえこひいきしたこともあり、なんとか仕事が続いていた。

 閉店したイタリアンレストランで働いて、スタッフごと店舗を居抜きで引き継いだ私の友人から三行半を突き付けられたあのスレイモンは、腎臓結石の手術を受け、やせてしまったものの、新店舗に移ってからも出勤していた。チャンティやボニーより5歳ほど年上のスレイモンは、二人から「お姉さん」と呼ばれ、張り切っていた。私がバイク代や手術代を負担していたので、その返済のためにもスレイモンは働かなければならなかったこともある。

 スレイモンにはお金がないのを知っていたので、私がカンボジアにいる間は、お昼は私が作るか、市場でおかずを買うお金をスタッフに渡して、みんなで一緒にランチをとるようにした。みんな同じ給料だが、チャンティは店に住んでいるので家賃も光熱費もすべて無料だ。ボニーはいとこと同居しながら大学へ通っていたが、それでも一家の大黒柱を課せられたスレイモンと比べれば、余裕はあったはずだ。

左からチャンティ、ボニー、日本で技能実習生をしていたビボル。手だけスレイモン。

 大学で勉強するほかの二人と違ってスレイモンは仕事が終わると帰宅するだけなので、スレイモンの友人を誘って、晩ご飯をたびたびごちそうもした。スレイモンと同様、貧しい家庭に生まれ、ドイツのNGO団体の寄宿舎でスレイモンと教育を受けてきた友人モナは、働きながら英語学校に通い、日常会話には困らないレベルの英語を話せた。閉店したイタリアンレストランでスレイモンの同僚だった同じく友人ヘンは、昼間は貿易会社で事務として、夜はバーテンダーとして働き、英語力を磨いてきた。

 みんな似たような境遇にあっても、そこからはい出そうと努力するかどうかは本人の問題なのかもしれないが、スレイモンには、何かを勉強しよう、練習しようという前向きさが感じられなかった。

 まともに食事をするお金もなく、携帯電話の毎月の通信料も払えないので、お金がある時だけ日本円にして100円分ほどをトップアップして使っていた。スレイモンの自宅にはWiFiがないので、私はスレイモンに連絡がつくことも滅多にない状況だった。カンボジアでも特に首都のプノンペンにいるような若者は、携帯電話やSNSがなければ生活できないのではないかというほど必要不可欠なアイテムなのに、スレイモンは店にいる間でないと友人のSNSを見ることもできない状況だった。

左から、スレイモンと一緒にドイツのNGOの学校に通ったモナ、イタリアンレストランでバーテンダーとして働いていたヘン、筆者、スレイモン。

すぐ騙される日本人と騙さなければ生きられないスレイモンと

 ある日、今度は弟が入院したと、日本にいた私にスレイモンから連絡があった。看病が必要だから店を休むと言う。

 当時、スレイモンの弟は小学校三年生の年齢だったが、スレイモンの給料では弟の授業料が払えず、ほとんど学校に通っていなかった。立教セカンドステージ大学の元学生で、ボツイチ会の幹事をしてくれている池内さんはカンボジアのパン屋も手伝ってくれていて、スレイモンから「来週が学費の振り込み期限だけど、お金がないので、弟を学校に通わせられない」という話を聞き、スレイモンの弟の一年間の学費5万円ほどを出してあげたことがあった。スレイモンには、「ちゃんと学費を振り込んだか、証拠を見せて」と言っていたのだが、私にも池内さんにも振り込み明細を見せることはなかった。

 後でスレイモンの友人モナから聞いたところによれば、スレイモンの弟は自宅ではなく、彼女たち同様にドイツのNGOの寄宿舎にいたが、そこから逃げ出して敷地外に出たところ、車にはねられ、頭を打ったらしい。その後遺症で、時々錯乱することがあるそうで、NGOからは退学させられたとのことだった。

 今思えば、スレイモンは私たちを騙して学費名目でお金を出させたか、あるいは池内さんに出してもらった学費を使い込み、困った末、ドイツのNGOを頼ったかのどちらかだったのだろう。

 それだけ聞くと、「騙される方が悪い」「日本人はすぐにお金を出す」と非難する人もいるだろうが、人を騙してでも生きていかねばならないスレイモンの境遇を思うと、私はスレイモンが気の毒でたまらない。

 弟が事故に遭って苦しんでいるのはかわいそうだが、スレイモンが仕事を休んで付き添う必要はない。同居する母親や祖母は仕事もせずにぶらぶらしているのだから、彼女たちが弟の世話をすべきだと私は思うのだが、どうやら母親や祖母は、すべてを彼女に押し付けたようだった。痛みに叫ぶ弟のビデオを私に送ってこられたからには、「仕事は休んでいい」と言うしかなかった。

スレイモンが送信してきたビデオの中の弟。

 次から次へとその身に問題が起きるスレイモンだが、携帯電話は通信料を払っていないので、無料WiFiがある場所でなければ、通じない。仕事を休むという連絡はあったが、その後の連絡は2日に一度となった。私が厳格な管理者であればよかったのだが、日本にいる間は別の仕事をしており、そこまで気が回らなかったうえ、携帯が使えないスレイモンと連絡を取る手段がなかったので、スレイモンの連続欠勤を黙認することにした。

 ところが…店が休みの日曜日の夕方。SNSに、チャンティがプノンペン郊外に遊びに行った写真がアップされた。写真をよく見ると、チャンティの友人やボニーに交じって、スレイモンが映っていることに気がついた。弟の看病で出勤できないのに、なぜ遊びには行けるのか。翌朝、日本語ができるビボルに通訳してもらうと、チャンティは「スレイモンの気分転換になるかと思って誘った」のだという。

 このとき、私の心は決まった。スレイモンが気の毒だと思って、私はこれまで彼女を甘やかしすぎたのだ。いくら儲けなくていい職場だとはいえ、連絡もせずに仕事を休み、給料だけはもらえると思わせたら、彼女の将来によくないし、チャンティたちにも示しがつかない。

 スレイモンに連絡し、これ以上は面倒をみることはできないと伝えた。私が出したバイク代など8万円ほどの借金が残っていたので、まさか解雇されるとは彼女は思ってもみなかったのだろう。スレイモンは、ビボルのアドバイスで、新しい職場からもらった給料の中から5000円ずつ返すという念書を書いたが、結局、翌月は返してきたものの、その後は音信不通となった。ビボルは、スレイモンの身分証明書のコピーをとり、返さなければ警察に通報するという文章を添え、サインさせたが、彼女には何の効果もなかったようだ。

 スレイモンに貸していた店の連絡用タブレットは、「友人に貸している」という理由で返却されなかった。ビボルと自宅まで押しかけ、何度も何度も催促したら、一か月ほどしてようやく返却されたが、どうやらスレイモンはタブレットを一旦、勝手に売り飛ばしていたようだ。どうやって回収したのか知らないが、返却された商品は初期化され、パスワードが分からなければ二度と使えない状態になっていた。

 友人のモナによれば、その後、スレイモンはイオンの中の靴屋さんで働き始めたものの、数か月勤務したところでコロナ禍で閉店し、一年以上経過した現在でも、無職だという。私は基本的には性善説を信じるタイプなのだが、スレイモンには最後まで私の気持ちが通じなかったことが、今でも悲しい。

 これまで、いろんな人から「スレイモンを早く切れ」と忠告されていたが、彼女の生い立ちを思うと、ただただ応援してあげたい一心だった。思いもしない別れになってしまったが、それでもいつか、「あんな日本人がいたな」とスレイモンが私を思い出してくれることがあればいいなと思っている。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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