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没イチ、カンボジアでパン屋はじめます!

納得しない物件に手付金を払ってはいけない

 今の店は、もともと家主の妻が自宅の一階でカフェを経営していた場所なので、キッチン以外に広いカフェスペースがあった。スレイモンが抜けて、うちはスタッフがチャンティとボニーの二人の女性しかいないし、そもそも商売をしようと思っていないので、私自身がカフェを運営するつもりはなかった。だから私はこのスペースを、カフェやレストランをしたいけれど資金がなくてできない若者に無償で貸してあげたいと考えていた。

 一方、ビボルは、「この広いスペースを使わないなら、家賃がもったいないので、安いところに引っ越せばいいのに」としきりに私にアドバイスしてくれ、スマホで空き店舗を探してくれていた。ある日、「いい物件を見つけた! ここに行きましょう」と言うので、せっかくだからビボルの意見も尊重してあげようと、行ってみることにした。

 ビボルは大家に事前に連絡していたのだが、行ってみると、「いまは親戚が住んでいるから、中までは見せられない」という。ベーカリーでは、こねあがったパンを成形するのに広い作業台が必要なうえ、台を洗ったり、こねる機械を洗ったりするので、洗い場も大きめでなければならない。大家は、「キッチンは狭いけど、大きな作業台を置くスペースはある」と説明し、「問い合わせが多いから、手付金だけでも払ってくれたら、家を片付けておくので、二日後に改めて見に来て」と言う。大丈夫か?…私は内心、不安がよぎった。契約しなかった場合でも、だいたい返金はされない。おそらく、ビボルはそこまで考えていないようだ。

 カンボジアでは、モバイルバンキングが浸透しており、こうした際のお金のやり取りはすべてスマホひとつでできる。私たちは言われるまま、その場で4万円を大家に送金して店に戻った。そのことを友人のバナリに話すと、「室内もそうだけど、そもそも雨季に浸水しないか、道路と店の入口の構造も確認しなきゃ大変なことになるよ!」と教えてくれた。

 確かにカンボジアでは5月から10月が雨季にあたり、8月後半から10月にかけてはよく集中豪雨に見舞われる。プノンペンの街中は、排水設備が整っていないので、豪雨でたびたび洪水が起き、道が川のようになる。そのため、家の入口が道路から盛り上がっていないと、家の中が水浸しになる。下水やごみが混入しているので、異臭を放つし、そもそも衛生的にもよくない。

洪水になった街中の様子(2021年10月2日)
同じく、スタッフのボニーが住んでいる長屋の入口

 結局、二日後に見に行ってみると、くだんの店のキッチンは、日本のワンルームマンションに備え付けられているミニキッチンぐらいの広さしかなく、作業台なんて置けたものではない。浸水の心配などする以前に契約しないことになった。そして、手付金の4万円はパー。ビボルは最初、「大家さんがうそを言ったのに、お金を返してくれないなんて、ひどいですね、カンボジア人は」とのんきに言っていた。

「いやいや、室内を見せてもらえないのに手付金を払った私たちが悪いのよ」と私が答えると、急に悪いことをしたと思ったのか「お金を返してもらえないなんて知りませんでした」と言いはじめた。さらに、「申し訳ないので、お金を返す」とビボルは提案してきたのだが、そもそも賃貸取引についてビボルの一つの勉強になればいいと思って、わたしはあえて4万円を払ったので、「気にしなくていいけど、これからは納得していないうちは契約しちゃだめよ」と慰めた。

寂しさでチャンスを棒に振ったノック、両親を早くに亡くしたカリンとの出会い

 振り出しに戻り、ビボルには引っ越し先ではなく、カフェをしてみたいという若者がいないか、探してもらうことにしたところ、数週間後に、やりたいという女性が現れた。

 30歳のノックと名乗る女性は、「おはようございます」「ありがとうございます」程度の日本語を話した。聞けば、プノンペンの日系美容院に勤務していたことがあるのだという。その美容院で髪を切る技術を学んだノックは腕を買われ、数年前に日本の支店へ転勤となったが、ホームシックになり、たった1か月で店を辞めて、カンボジアへ戻ってきた。

  チャンスを棒に振るなんて、なんともったいないと私は思うが、カンボジアでは一人暮らしをしている人はとても少ない。カンボジアの人口センサスによれば、2019年には、都市部の平均世帯人員は4.5人となっている。一方、日本では、2015年の全国の平均世帯人員は2.33人で、東京では1.99人と2を割っている。日本にいると、若者が一人暮らしをしながら、大学に通ったり、働いたりしているのは当たり前だが、カンボジアでは、一人暮らしをしている人はとても少なく、「一人暮らしをしているなんて、なんてかわいそうなの!」という意識が強い。プノンペンには、日本同様、地方から勉強や働きにやってくる若者が大勢いるが、家賃が高いこともあって、多くの若者は、親類の家に居候するか、会社の同僚たちと部屋をシェアしている。 

 私の70代の友人には、90代になる母親の弟がいるが、その叔父さんは、友人自身の次女家族と暮らしている。日本では、甥や姪に老後の面倒をみてもらうこと自体少ないのに、甥の子ども家族と同居で介護をしてもらうなんて、あまり考えられないことだろう。カンボジアでは、いとこや甥姪と一緒に住んでいる人は当たり前のようにおり、三親等や四親等は家族という認識なのかもしれない。その証拠に、カンボジアでは、兄弟もいとこも同じ単語で表現する人が多く、妹なのだか、いとこなのだか、よくわからないことがある。そもそもいとこを表す言葉は、「おばあさんが同じ」と表現することからも、いとこは親類というよりは、ファミリーに近い存在なのだろう。

 ともあれ、異国の地での一人暮らしを早々に断念したノックは、カンボジアに戻ってからは、いとこと一緒に、最大の観光地シェムリアップで海鮮屋台をして生計を立てていた。イカやエビを炭火で焼いて出す屋台は瞬く間に人気店になり、カンボジアの新聞でも取り上げられたほどだったが、真似をする屋台が次々にオープンして競争が激化し、あっという間に閉店に追い込まれたそうだ。

 プノンペンに戻ってからは、ノックは同世代の親戚と同居しながら、親族の屋台を手伝っていた。営業時間は夕方5時から翌朝5時までで、コロナ禍の前は、カンボジアの若者たちでにぎわっていた。

 ノックが初めて私の店にやってきたとき、いとこや友人も一緒だった。そのなかに、ノックと同居するカリンという女性がいた。カリンは片言の英語を話せた。カリンには両親がいない。カリンの父親は、カリンに物心がつく頃、愛人を作って出ていった。母親が自宅の近所で地元民を相手にカラオケスナックをして、カリンと妹を育てたという。その母親はカリンが中学生の時、乳がんで亡くなった。出て行った父親も、カリンが高校生の時に病死したそうだ。

 そのため、母親の妹が母代わりとなり、カリンはいとこたちと一緒に暮らすことになった。カリンは底抜けに明るい女性で、「ノックにチャンスをくれてありがとう」と何度もお礼を言ってくれ、その夜、自分たち親戚一同で経営している屋台にビボルともども招待してくれた。

 カリンたちの店は地元民でにぎわっていた。1000円近くする、海鮮炭火焼きなどのちょっと値が張るメニューもあるが、だいたいは数百円ほどだがボリューム満点で、しかも日本人の私が食べてもとても美味しいのだ。カリンは人懐っこい性格で、常連さんと楽しく会話したり、忙しく接客したりして、この仕事が天職のようにイキイキしていた。

「マミー、特別メニューを出すから」と、カリンは私に、チキン、豚肉をのせたご飯を出してくれ、蒸し餃子、イカ焼きなども次々運ばれてきた。おなかいっぱい堪能したのだが、カリンは絶対に代金を受け取らなかった。「マミー、これはお礼だから」と。娘ほどの年頃の女性がごちそうしてくれるなんて、カンボジア人には、本当に義理固い人が多い。

 そんなわけで、若者との新しい出会いに私はわくわくしたのだった。

後方右から、ビボル、ノック、手前右からカリン、筆者(カリンたちの店で)
カリンが出してくれた特別メニュー「豚肉と鶏肉のダブルのせごはん」

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小谷みどり

こたに・みどり 1969年大阪生まれ。奈良女子大学大学院修了。第一生命経済研究所主席研究員を経て2019年よりシニア生活文化研究所所長。専門は死生学、生活設計論、葬送関連。大学で講師・客員教授を務めるほか、「終活」に関する講演多数。11年に夫を突然死で亡くしており、立教セカンドステージ大学では配偶者に先立たれた受講生と「没イチ会」を結成。著書に『ひとり終活』(小学館新書)、『〈ひとり死〉時代のお葬式とお墓 』(岩波新書)、『没イチ パートナーを亡くしてからの生き方』(新潮社)など。


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