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村井さんちの生活

2020年1月29日 村井さんちの生活

答えが出ないことなんて当たり前だと思っていた

著者: 村井理子

 答えが出ないことなんて当たり前だと思ってこれまでずっと生きていた。むしろ、自分の目の前に答えが用意されていないことこそが、人生の醍醐味だと思っていた。本当の答えなんて存在すらしないのかもしれないし、そうだとしたら、人生なんて風まかせでなんとかなる。そうやって考えて生きてきた昔の自分が懐かしい。

 私はいま、答えが見いだせないことに悩んでいる。「そんなことで悩んでるんだぁ」と呆れられるようなことで不安を抱え、悩む傾向があるのは自覚している。その最たるものが琵琶湖の水位なのだが(水位が下がると水不足が心配)、暖冬で積雪量ゼロという危機的状況の琵琶湖の現状など吹っ飛ぶ勢いで深く悩みはじめたのは、去年の年末のことだった。息子の三者面談である。よくよく考えてみれば、親として挑む三者面談は初めての経験だった。

 その日行われたのは、次男の担任との面談だった。次男は大変明るく、あっけらかんとした性格の子で、よくしゃべり、よく笑い、そして人を笑わすことに命を賭けている、いわゆる関西の普通の男の子である。周囲の大人からは「やさしくて、面白くて、いい子ですね」と言って頂くことが多い。私はそれに常に安心してきたし、「それで十分だ」と思ってきた。あの三者面談の日までは。

 私が三者面談で驚いたのは、下降気味の成績ではなく、私が見たことがない表情をした次男だった。明るく、率直な担任(男性)の前で、別人のように深刻な表情をした次男は、明らかに私の存在が教室にあることに緊張していた。「えっ」と思った。「こっち?」と思った。「あたし?」と思った。私からすれば、あの教室のなかで強固な関係で繋がっているのは私と次男であり、次男と担任の先生ではなかったはずだ。しかし、あの空間で連帯を強めていたのは次男と担任の先生であり、私はあの空間に迷い込んだ別世界の人だったのだ。当然のことと言えば当然なのだが(学校だし、それが生徒と先生との関係性だし)、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ、何が起きている? と焦った。

 「どうした、村井。元気がないな。今の気持ちを言ってみてくれ」と穏やかに言う担任の先生の言葉に、次男はいつもの明るさゼロで、「三学期からがんばります」と言った。えっ、誰この人? どこの息子さん? 程度の衝撃があった。次男、別人である。あらら、この人、いつの間にか大人っぽくなってない? 私、なにか見逃してきてしまった?

 三者面談の残りの時間、何を話したのかはよく覚えていない(衝撃で)。次男と二人で駐車場まで歩いて、車に乗って、家に戻って、ゆっくりとコーヒーを飲みながら成績表を見たことは覚えている。白状すると、次男の成績表を、はじめて、しっかりと見たと思う。一学期の成績は確かに見た覚えはあるし、内容の確認もしたが、本当にしっかりと見ていただろうか。恐ろしいことに記憶はあやふやである。定期テストの結果も、確かに確認してはいたが、その後、息子とそれについてしっかりと話をしただろうか。

 放置していたわけではないと信じたい。いや、ガミガミとなにやら言ったことは覚えている。そのときの息子の落ち込んだ様子も覚えている。でも、私は本当にしっかりと、息子の様子を、がんばりを、評価していただろうか。少なくとも、「三学期からがんばります」と言った次男が、心のなかで一学期も二学期もベストを尽くせなかったと考え、落ち込んでいたかもしれないことには気づいていなかった。

 ここから、私の悩みがはじまったというわけだ。何をしてあげればいいのかわからない。突然何かをはじめれば(例えば、お母さんが話を聞くよ~?とか)、私の心境の変化に異様に敏感な次男に鼻で笑われる。仕事に打ち込むあまり、それを理由に息子たちの心の中を見ることを放棄してきた疑いが濃厚の私が、これから何をすればいいのだろう?

 誰かに話せば、「側にいてあげることで十分ですよ」と言ってくれるだろう。確かにそうだし、私もそう思う。「それが成長ですよ」…確かにね。私も同じことを言いそうだ。でも、それだけでは説明しきれないすれ違いのようなものを私は感じたのだ。ごはんを作って、制服を整え、部活の応援をし、毎朝学校に送り出す。これ以上なにができるのだろう? もう十分じゃない? 私けっこう、ちゃんと育児してない? それなのに、この漠然とした不安感は一体なんなのだろう。キャリア14年だが、母業に関しては完全にビギナーの状態だと自覚した。

 しっかりとした愛情があれば、親子間に言葉はいらないと思っていた。でも、それは私の奢りだったのでは? 思春期という言葉で簡単に言い表すことができない親子間の感情のすれ違いというものをはじめて経験して、答えが見つからず、焦る私がいる。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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