「朝からうるさいなあ!」と言われてドキッとした。体が大きく威勢のいい次男に面と向かって「うるさい」と言われたことにドキッとしたわけじゃない。自分が同じぐらいの年齢の学生だったとき、朝っぱらから小言を言う母親に叫んだ「うるせー!!!」を、突然、鮮明に思い出したのだ。
息子に「うるさい」と言われ、自分が子どもの頃に一気にタイムスリップした私は、お茶を入れていた水筒を放りだした。「あっそ。じゃあ、勝手にしな」と言い、すべてを放棄した。朝の忙しい時間帯に、確かに口うるさかったのだろう。自覚はしている。ただ、言わなければならないことがどうしてもあったのだ。
次男は呆然としていた。なにせ、学ランも水筒も財布もケータイも、毎朝行方不明になっているような子だ。「どれを着たらええのん……?」と、テーブルの上の下着やTシャツやワイシャツを前に、困惑の表情だった。私が何も言わずにいると、次男は仕方なさそうに、不安げに身支度をしはじめた。次男に腹を立てていたわけではない。ただ、何十年も前の記憶を呼び起こし、それで頭がいっぱいになっていた。あのとき、母は私に何を言ったのだろうと。
私も息子と同じように、整理整頓が苦手な子どもだった。今となっては、きちんと物が並んでいなければ我慢できない性格になったが、当時は本当にめちゃくちゃだった。そんな私に母は「そんなにだらしない女の子はお嫁に行けません」と言い続けた。私からすると、「だから?」というしかなかったのだが、毎朝繰り返されるお嫁に行けないハラスメントに耐えかねた私は、ある日、腹の底から叫んだのだ。「うるせーーーー!!!」と。
驚いた父親が飛び起きてきた。それまで一度も反抗らしい反抗もしたことがなかった私が、突然叫んだことに驚いた母は、狼狽えて、顔を真っ赤にしながら「勝手にしなさい」と言って、キッチンに消えた。炊飯ジャーの中のごはんを乱暴にかき混ぜていた後ろ姿を覚えている。ジャーから勢いよく湯気が出て、キッチンの壁の黄色いタイルに細かい水滴をつけていた。当時は駅までは徒歩30分の距離に住んでいて、ほとんど毎朝父に駅まで車で送ってもらっていたのだが、その日は「自分で行きなさい」と言われ、限界まで教科書が詰まった学生カバンを両腕に抱え、泣きながら駅まで歩いた。真冬のことだった。なんとか駅に辿りつき、電車に揺られ、学校の最寄り駅についたときまでに涙は止まっていたけれど、母に対する苛立ちは募らせたままだった。その後どうなったのかは、はっきりとした記憶がない。いつもそうだったように、家に戻れば、母はいつも通りだと言わんばかりにふるまい、私もそれに付き合ったのだと思う。
次男は、学ランもベルトも見つけられないまま、下着とワイシャツと脱げそうになるズボン姿で、石のように重いバックパックと剣道の防具一式を担いで、駅までとぼとぼと歩いて行った。普段であれば、荷物が多い日は私が駅まで車で送るのだが、「うるさい」と言われ、「勝手にしな」と応戦した手前、突然、ニコニコしながら駅まで送ってあげることはできなかった。
外はかなり寒かったというのに、手袋もネックウォーマーも見つけられなかったのだろう、白いワイシャツ姿で、寒そうに、ゆっくりと歩いて駅まで向かう次男の後ろ姿をリビングの窓から眺めつつ、30年以上前の母の気持ちを想像していた。右肩にかけた防具バッグと、背中に担いだ教科書が詰まったバックパックを支え、やじろべえのようにフラフラと歩く次男の後ろ姿からは、13歳だというのに哀愁が漂っていたような気がする。襟足のくせ毛が幼くて、切なくなった。でも、やっぱりというかなんというか、竹刀袋は玄関に忘れてあった。
学ランとベルトとネックウォーマーと手袋と竹刀(どれだけ忘れものが多いんだよ)を車に積んで、車で追いかけようかとも思ったのだが、散々迷ってそのまま行かせた。行かせたはいいけれど、その後、何も手につかず、しばらく座り込んで母のことを考えていた。
子育ては自分の子ども時代を巡る旅のようなものだといつも思う。今の自分よりも若かりし頃の父と母に思いを馳せながら、二人もきっと、悩みながら進んでいたに違いないと自分に言い聞かせる。タイムスリップできるのなら、あの頃の、あの家に戻ってみたい。きっと今の私のように、ため息をつきながらキッチンに座っている母がいるのだろう。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2026年7月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、松本太郎と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
2002年7月4日、季刊誌「考える人」が創刊されました。
目次には当代随一の執筆陣がずらりと並び、B5判240ページの誌面の隅々から知の香りが立ちのぼってくるかのようでした。
当時、入社3か月の営業部員だった私は、見上げるような思いで手に取り、発売日には編集長の松家仁之さんと創刊のご挨拶のために書店にうかがいました。
まだ書店訪問にも慣れておらず、編集長ともほぼ初対面の中、次のお店の約束の時間に間に合うだろうかと時計ばかりが気になって、終始、そわそわしていました。そんな私に松家さんがやわらかな笑顔で接してくれたこと、そして、新雑誌の門出を祝うようなすっきりと晴れた一日だったことを覚えています。
あれから四半世紀が過ぎ、ウェブマガジンとして衣替えした今でも、創刊時に掲げられた「Plain living, high thinking(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という言葉は古びていません。AIに尋ねれば瞬時に答えが返ってくる時代だからこそ、それらしい言葉に飛びつくのではなく、自分の頭で考え、心の声に耳を澄ませることの大切さは増しているように感じます。
創刊号には、養老孟司さんのロングインタビューが掲載されています。養老さんはその中で、恩師である中井準之助先生の口癖だった「人の心がわかる心を教養という」という言葉を紹介しています。
読んだ瞬間に立ち止まり、さまざまな思いが湧き上がってくるような文章に、楽しみながら出会える場であり続けたいと思っています。
「考える人」編集長
松本太郎
著者プロフィール
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- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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