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村井さんちの生活

2019年12月23日 村井さんちの生活

子育ては自分の子ども時代を巡る旅

著者: 村井理子

 「朝からうるさいなあ!」と言われてドキッとした。体が大きく威勢のいい次男に面と向かって「うるさい」と言われたことにドキッとしたわけじゃない。自分が同じぐらいの年齢の学生だったとき、朝っぱらから小言を言う母親に叫んだ「うるせー!!!」を、突然、鮮明に思い出したのだ。

 息子に「うるさい」と言われ、自分が子どもの頃に一気にタイムスリップした私は、お茶を入れていた水筒を放りだした。「あっそ。じゃあ、勝手にしな」と言い、すべてを放棄した。朝の忙しい時間帯に、確かに口うるさかったのだろう。自覚はしている。ただ、言わなければならないことがどうしてもあったのだ。

 次男は呆然としていた。なにせ、学ランも水筒も財布もケータイも、毎朝行方不明になっているような子だ。「どれを着たらええのん…?」と、テーブルの上の下着やTシャツやワイシャツを前に、困惑の表情だった。私が何も言わずにいると、次男は仕方なさそうに、不安げに身支度をしはじめた。次男に腹を立てていたわけではない。ただ、何十年も前の記憶を呼び起こし、それで頭がいっぱいになっていた。あのとき、母は私に何を言ったのだろうと。

 私も息子と同じように、整理整頓が苦手な子どもだった。今となっては、きちんと物が並んでいなければ我慢できない性格になったが、当時は本当にめちゃくちゃだった。そんな私に母は「そんなにだらしない女の子はお嫁に行けません」と言い続けた。私からすると、「だから?」というしかなかったのだが、毎朝繰り返されるお嫁に行けないハラスメントに耐えかねた私は、ある日、腹の底から叫んだのだ。「うるせーーーー!!!」と。

 驚いた父親が飛び起きてきた。それまで一度も反抗らしい反抗もしたことがなかった私が、突然叫んだことに驚いた母は、狼狽えて、顔を真っ赤にしながら「勝手にしなさい」と言って、キッチンに消えた。炊飯ジャーの中のごはんを乱暴にかき混ぜていた後ろ姿を覚えている。ジャーから勢いよく湯気が出て、キッチンの壁の黄色いタイルに細かい水滴をつけていた。当時は駅までは徒歩30分の距離に住んでいて、ほとんど毎朝父に駅まで車で送ってもらっていたのだが、その日は「自分で行きなさい」と言われ、限界まで教科書が詰まった学生カバンを両腕に抱え、泣きながら駅まで歩いた。真冬のことだった。なんとか駅に辿りつき、電車に揺られ、学校の最寄り駅についたときまでに涙は止まっていたけれど、母に対する苛立ちは募らせたままだった。その後どうなったのかは、はっきりとした記憶がない。いつもそうだったように、家に戻れば、母はいつも通りだと言わんばかりにふるまい、私もそれに付き合ったのだと思う。

 次男は、学ランもベルトも見つけられないまま、下着とワイシャツと脱げそうになるズボン姿で、石のように重いバックパックと剣道の防具一式を担いで、駅までとぼとぼと歩いて行った。普段であれば、荷物が多い日は私が駅まで車で送るのだが、「うるさい」と言われ、「勝手にしな」と応戦した手前、突然、ニコニコしながら駅まで送ってあげることはできなかった。

 外はかなり寒かったというのに、手袋もネックウォーマーも見つけられなかったのだろう、白いワイシャツ姿で、寒そうに、ゆっくりと歩いて駅まで向かう次男の後ろ姿をリビングの窓から眺めつつ、30年以上前の母の気持ちを想像していた。右肩にかけた防具バッグと、背中に担いだ教科書が詰まったバックパックを支え、やじろべえのようにフラフラと歩く次男の後ろ姿からは、13歳だというのに哀愁が漂っていたような気がする。襟足のくせ毛が幼くて、切なくなった。でも、やっぱりというかなんというか、竹刀袋は玄関に忘れてあった。

 学ランとベルトとネックウォーマーと手袋と竹刀(どれだけ忘れものが多いんだよ)を車に積んで、車で追いかけようかとも思ったのだが、散々迷ってそのまま行かせた。行かせたはいいけれど、その後、何も手につかず、しばらく座り込んで母のことを考えていた。

 子育ては自分の子ども時代を巡る旅のようなものだといつも思う。今の自分よりも若かりし頃の父と母に思いを馳せながら、二人もきっと、悩みながら進んでいたに違いないと自分に言い聞かせる。タイムスリップできるのなら、あの頃の、あの家に戻ってみたい。きっと今の私のように、ため息をつきながらキッチンに座っている母がいるのだろう。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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