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随筆 小林秀雄

 人生いかに生きるべきか、人生の意味とは何かを死ぬまで考え続けた小林秀雄は、考えるということ自体についても徹底的に考えた。その最後の到達点が前々回、前回と二回にわたって見てきた「身交う」だったのだが、考えるということについて考えたことを文章にした最初は「パスカルの『パンセ』について」(新潮社刊「小林秀雄全作品」第14集所収)である。昭和十六年(一九四一)、三十九歳の夏、こう言った。
 ―人間は考える葦だ、という言葉は、あまり有名になり過ぎた。気の利いた洒落だと思ったからである。或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦の様に弱いものだ、という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一とたまりもないものだが、考える力がある、と受取った。どちらにしても洒落を出ない。/パスカルは、人間は恰(あたか)も脆弱な葦が考える様に考えねばならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお蔭で、人間が葦でなくなる筈はない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来る様な気がしてくる、そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である、パスカルはそう言ったのだ。
 ここで、パスカルの原文を読んでおこう、岩波文庫『パンセ』の塩川徹也氏訳によればこうである。
 ―人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もか弱いもの、しかしそれは考える葦だ。人間を押しつぶすのに宇宙全体が武装する必要はない。一吹きの蒸気、一滴の水だけで人間を殺すのには十分だ。しかし宇宙に押しつぶされようとも、人間は自分を殺すものよりさらに尊い。人間は自分が死ぬこと、宇宙が自分より優位にあることを知っているのだから。宇宙はそんなことは何も知らない。/こうして私たちの尊厳の根拠はすべて考えることのうちにある。

「パスカルの『パンセ』について」を初めて読んだのは、高校二年の春であった。そこにあった「人間は恰も脆弱な葦が考える様に考えねばならぬ」には、ものを考えるときは謙虚であれと言われたような気はしたが、「脆弱な葦が考える様に」とは具体的にどういうことかまではわからず、そのうちわかるときもくるだろうと先送りしているうちに何年もが過ぎた。
 それが、図らずも時機が訪れた。平成十三年(二〇〇一)四月から、第五次の「小林秀雄全集」を出したが、この全集は編年体で編んだ。すなわち、収録作品は、その分野、論述対象、主題のいかんを問わず、すべて発表年月順に配列した。これが幸いした。第七巻「歴史と文学・無常といふ事」の校正刷を読んでいて、はっとするものがあったのである。
 そこには、「パスカルの『パンセ』について」と並べて、哲学者・三木清との対談「実験的精神」を収めていた。「パスカルの『パンセ』について」は、昭和十六年の七月、八月、小林秀雄自身が編集に関わっていた『文學界』に発表していたが、「実験的精神」(同第14集所収)は同じ時期、『文藝』に載せていた。
 三木は明治三十年(一八九七)の生れで小林より五歳上、大正十五年(一九二六)に『パスカルに於ける人間の研究』を処女出版していた。昭和十二年三月、小林に誘われて『文學界』の同人となり、翌年六月から後にロングセラーとなる『人生論ノート』のエッセイを連載していたが、その三木と会って、小林はいきなり、モンテーニュは段々つまらなくなる、パスカルは段々面白くなる、と言い、―パスカルは、ものを考える原始人みたいなところがある、何かに率直に驚いて、すぐそこから真っすぐに考え始めるというようなところがある…、と言っていた。
 …そうか、葦が考えるようにとは、原始人が考えるように、と近いのかも知れない。モンテーニュは段々つまらなくなると言った小林秀雄を承けて、三木清も最近モンテーニュはつまらなくなったと言い、「モンテーニュは『教養』の上で書いている、その『教養』というものが問題になる時がある」と続けた。この三木の発言を承けて、「そういう点では、パスカルは、ものを考える原始人みたいなところがある…」と小林は言ったのである。

 この小林秀雄と三木清による「教養人モンテーニュ」と「原始人パスカル」の対比は、同じ年の三月、四月、小林が『改造』に発表していた「歴史と文学」(同第13集所収)を思い出させた。近代の歴史学は、歴史は発展するものという歴史の見方に立っている。そのため、こういう歴史学の歴史を聞かされているうち私たちもいつしかそう思いこみ、「しかとした理由もなく過去というものに対する侮蔑の念」を抱いて、「ただ単に現代に生れたという理由で、誰も彼もが、殆ど意味のない優越感を抱いて過去を見はるかして」いる、そういう有様になった、とんでもないことだと小林秀雄は言っていた。
 ではこの「歴史は発展する」という見方、考え方は、どこから出てきたか。小林の言うところによれば、こうである。近代になって科学の時代となり、歴史の研究者たちも歴史科学というものが編み出したくなった。ところが、同じことが何度も繰り返される自然現象とは異なり、歴史の出来事は一回限りである。歴史が繰り返してくれさえすればそこに何らかの法則が見出せて科学らしい格好もつけられるが、繰り返してくれないのではどうしようもない。そこで研究者たちは、歴史も繰り返してほしいという切ない望みの末に、歴史は繰返さない、しかし発展はする、という思いつきを得た。この思いつきがだんだんと繁盛し、とうとう一世を覆うようになった。そしてそこで、歴史が発展する土台は物の発展だと言う者も出れば心の発展だと言う者も出て、現代では様々な歴史の見方、すなわち「史観」が入り組んでいる。しかし、いずれにしても近代の歴史学は、歴史は合理的な発展の過程であるという考えなしには成り立たないということになったのである。
 昭和十年から四年以上かけて「ドストエフスキイの生活」(同第11集所収)を書き、ドストエフスキーという人間の歴史と、彼が身をおき鎬(しのぎ)を削った十九世紀ロシアの歴史とに徹底的につきあってきた小林秀雄は、黙っていられなかった。なぜなら、どんなに偉そうなことを言おうと史観は所詮、歴史の「見方」である、けっして歴史そのものではない。
 小林秀雄は、「歴史と文学」を書いたときも、「パスカルの『パンセ』について」と同じことを思っていただろう、―歴史家たちの史観というものは、どんな史観であれ、歴史についての「考えを進めて行くにつれて」「葦でなくなってくるような気がして」きてしまった人間たちの「不正であり、愚鈍」である、と…。近代の歴史家たちは、歴史を考えているうちに人間は葦のようなものだという分際を忘れ、発展という自分たちに都合のよい罠を構えて歴史を生捕りにしようとしていた。原始人たちのように、罠などはいっさい構えず、自分自身の驚きと感動から出発して先人たちとつきあい、先人たちの心持ちを自分の心の中に活かすということをしなくなっていた。

 小林秀雄は、「パスカルの『パンセ』について」の七年後、昭和二十三年の秋には「考える葦」についての文章をそっくりそのまま「『罪と罰』についてⅡ」(同第16集所収)に取り込み、ドストエフスキーのいかに生きるべきかを論じる過程で次のように加筆した。
 ―パスカルにとって、考えるとは如何に生くべきかを問う事に他ならず、それは問い方を予め吟味してから問うというような事ではない、合理的思惟という精神の一能力の使用で事が足りる仕事ではない。
 考えるとは、「~の見方」などという近代人の「合理的思惟」によって物事を手際よく捉えたり解釈したりすることではない。そういう、頭で操作する「見方」「考え方」「問い方」の前には、私たち一人ひとりに固有の人生は決して浮上してこない。本気で自分の人生を考えようとするなら、まず近代の「教養」も「観点」も投げ捨てて原始に還る、目の前に現れるものすべてに率直に驚き、そこからまっすぐにその意味を考える原始人に還る…。「人間は考える葦である」を、小林秀雄はそう読んだ。最後に到達した「身交う」は、人間が葦さながらに立って風にそよぐさまだったのである。

 史観を振り立てて歴史に向かう者は、必ず歴史に復讐されると小林先生は言っていた。史観という名の人間の物見台など、歴史の側からすればたやすく吹き飛ばせる代物だからである。史観に限ったことではない、他人が拵えた見方、考え方、問い方に乗ってものを見る、これが前回引いた、抽象的に考えるということである。自分自身の感情や感覚は外において赤の他人の口車に乗る、そこにはかけがえのない自分だけの感情、感覚といった具体的な芯が抜け落ちている、だから抽象的なのである。

(第十七回 了)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

池田雅延

いけだ・まさのぶ 1946年(昭和21)生れ。70年新潮社に入社。71年、小林秀雄氏の書籍編集係となり、83年の氏の死去までその謦咳に接する。77年「本居宣長」を、2001年からは「小林秀雄全集」「小林秀雄全作品」を編集・刊行した。

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