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ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

2021年11月15日 ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く

第10回 『三国志演義』はどうしたら原文で読めるのか

著者: 橋本陽介

 私が中国に興味を持ったきっかけは、中学生のときに「三国志」にはまったことである。横山光輝の漫画からスタートして、シミュレーションゲームで遊び、吉川英治の小説『三国志』を頑張って読み、立間祥介訳の『三国志演義』を読んだ。後に他の中国小説にも手を伸ばそうと『水滸伝』『封神演義』も読み、『金瓶梅』と『紅楼夢』を読もうとして挫折した。

 ぜひとも『三国志演義』を原文で読んでみたい。私は高校生になると、英語もそっちのけで中国語を勉強することになった。

 だが、『三国志演義』の原文は、中国語をちょっとかじったくらいでは歯が立たない。現代中国語とも違うし、いわゆる「漢文」とも異なるようだ。いったい『三国志演義』はどうやったら原文で読めるのだろうかと、当時の私は頭を抱えた。

 いわゆる「漢文」と「現代中国語」、そして『三国志演義』の中国語はどのように違うのだろうか?

書き言葉「文言文」、話し言葉「白話」

 学校で習う「漢文」とは、古典中国語であり、「漢文訓読」とは古典中国語を日本語ふうにして読むものだ。

「古典」とはいつのことを指しているのかというと、おおむね二千年以上前の文法や語彙を規範としている。二千年以上も前の書き方を規範として、そのまま使い続けることになったのだ。中国語の書き言葉は超保守的だったのである。もちろん時代ごとに書き言葉は少しずつ変化していくから、全時代のあらゆる文献を読めるようにするのは簡単なことではないが、別個のルールを覚えるというほどには違わない。

 しかし、超保守的なのはあくまでも書き言葉の話だ。話し言葉のほうはどんどん変わっていく。だから、話し言葉と「漢文」の乖離は年を追うごとに大きくなっていった。そこで、話し言葉に基づいた文章も徐々に登場するようになる。話し言葉に基づいた書き言葉を「白話」と呼び、書き言葉(いわゆる漢文)のほうは、「文言文」と呼ぶ。

 白話を伝える資料としてまとまったものには、唐代(618~907年)から宋代(960~1279年)にかけての変文が挙げられる。変文とは、変な人が読む文のこと、ではない。寺院などで行われた民衆向けのお話(俗講)がもとになったものである。民衆向けのお話だから、当時の話し言葉を反映しているというわけだ。通俗的なものは価値が低いとみなされるから、後世には残りにくい。20世紀になってから敦煌でいくつも発見されたものが有名で、一般に「敦煌変文」と呼ばれている。

 宋代でも、例えば『朱子語類』などは、朱子学で有名な朱熹が弟子と語ったものであるため、口語が反映されており、文言文では出てこないが現代語では非常に重要な文法項目、たとば“了”などが使われているのを見ることができる。

 同じく宋代に出て一部現存している『大唐三蔵取経詩話』は、三蔵法師がお経を取りに行く話で、『西遊記』の原型となったものである。

 余談だが、三蔵法師は苦労してわざわざインドからお経を持ち帰ってきたはずなのに、その持って帰ってきたものは一つも残っていないらしい。お経は大事にされるから、古いものが比較的残っているというのに、だ。内容を翻訳してしまえば、原典自体はそれほど大事ではなかったのだろうか(そんなわけないと思うのだが)。

『三国志演義』は漢文が七割、現代中国語が三割

 宋の次は元の時代(1279~1368年)である。

 元代の白話を伝える資料としては、『全相平話』と呼ばれるものが五種類、現存している。「全相」とは、全ページに絵が入っているという意味で、絵の下に文章がついている。その中でももっとも有名なのが『全相三国志平話』で、後漢末から三国時代(184~220年)にかけての時代をモチーフとした俗文学となっている。後の『三国志演義』に比べても荒唐無稽な内容で知られる。

 白話文学が多く出現するようになるのは、次の明代(1368~1644年)以降である。この時代に書かれた『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』が後に「四大奇書」と呼ばれるようになった。

 ちなみに、「四大奇書」とは清の時代になって出版業者が販売促進のためにつけたキャッチフレーズだという。私が中学生の頃、『週刊少年ジャンプ』で藤崎竜の漫画『封神演義』が流行っていて、その中では『封神演義』が「四大奇書」のひとつと紹介されていた。これはデマであるが、『封神演義』も白話小説の一種である。なお、現在の中国では、『金瓶梅』を除外し、清代に書かれた『紅楼夢』を入れて、「四大名著」とするのが普通である。

 さて、本題。『三国志演義』や『水滸伝』などの白話小説を読むにはどうしたらいいだろうか。

 白話小説と呼ばれているものは、現代中国語か漢文かでいえば、現代中国語に近い。このため、「漢文訓読」を学んだだけではまだ歯が立たない。よって、それを読みたい方は、まず現代中国語をマスターするのが近道だ。

 ただ、それだけでもまだ十分ではない。『三国志演義』は文言文で書かれている歴史書『三国志』の文章を多く取り込んでいるため、感覚としては七割がた伝統的漢文のなかに三割の現代中国語要素が入っている感じなのだ。たとえば、現代中国語では連体修飾語に使う“”などは、ごくまれにしか使われていない。『水滸伝』のほうが現代中国語要素は高まるので、“的”も頻繁に使われている。

 つまり、これらの小説は現代中国語がかなり読めて、漢文にもある程度親しめば、比較的スムーズに読めるようになる。もちろん、語彙や言い回しで見知らぬものも少なからず出てくるが、古い白話の語彙も掲載している辞書があるのでそれを当たればいい(個人的には四大奇書では『金瓶梅』が群を抜いて難しいと思う)。

中国版・言文一致で生まれた「新たな書き言葉」

 なお、文章に関して超保守的な中国では、正式な文章は20世紀になるまで文言文のままであった。転機が訪れるのは20世紀になってから、1910年代の後半のことである。このころになると、文言を廃して全面的に白話で文章を書くことが提唱されるようになった。1917年、アメリカ留学中だった胡適は、雑誌『新青年』に「文学改良(すう)()」を発表する。胡適はダーウィンの進化論に則り、「一時代には一時代の文学がある」と主張、『水滸伝』のような白話文学をより進化したものと考えた(「適」の字もダーウィンから取っている)。一般に、この「文学改良芻議」が全面白話化の契機になったと評価されている(ただし、「文学改良芻議」自体は文言で書かれている)。

 1918年には、魯迅が白話による小説「狂人日記」を『新青年』に発表し(ただし、冒頭は文言である)、1919年の五四運動以降、中国語は基本的に白話で書かれることになった。いわば中国版の言文一致である。もちろん、日本語の言文一致が必ずしも話し言葉との完全なる一致を表さないように、中国語のそれも話し言葉に基づいた新たな書き言葉の創出であった。中国文学史では、この五四運動のころから先を「現代文学」と呼び、49年の中華人民共和国成立以降を「当代文学」と呼んでいる。

 五四時期は外国語の影響を受けて、中国語が大きく変容した時代である。大量の翻訳語が生まれただけでなく、文法面も大きく変わることになった。

 一例を挙げよう。現代中国語では、進行を表すのに“”を使う。「私はご飯を食べる」なら、“我在吃饭”だ。しかしこれは南方の方言で、全国的に使われるようになったのは20世紀からだという。『紅楼夢』は18世紀の北方の言語で書かれているが、確かに進行の“”は見当たらない。第五回(白話小説では一回分の話ごとに「第●回」と区切る)には“正在胡思乱想”という表現があって、これなどは進行の意味に近いが、「あれこれとした妄想の中にある」と取るほうが良いだろう。このような表現から「~にある」の意味が薄くなっていくと、進行の意味に変化するのだろう。

中国語は不思議

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金寿煥

著者プロフィール

橋本陽介

1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。

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