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亀のみぞ知る―海外文学定期便―

2020年11月10日 亀のみぞ知る―海外文学定期便―

(番外篇その2)「スプーン」

『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』より

著者: バリー・ユアグロー , 柴田元幸

一人の男が飛行機から飛び降りる』などで知られる、アメリカの作家バリー・ユアグローさん。日本では柴田元幸さんの翻訳で親しまれています。

バリー・ユアグローさんは、ニューヨークがロックダウンされている間、正気を保つために掌編小説を書き、柴田さん宛てに一篇ずつ送っていました。

目の前で起こっている事実そのままではなく、寓話というかたちを借り、何かにすがるようにして書かれた12篇の物語が、英語圏に先んじて、2020年5月に日本の ignition gallery から『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』として発売。44ページの小さな本は評判を呼んで、現在4刷にまでなっています。これについては番外編その1をご覧ください。

その『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』のなかから、「スプーン」を特別掲載します。

 まず映画の製作が一時的に中断された。それからプロジェクトが丸ごと破棄された。
 映画のセットは放置された。地元民をタダ同然で雇って作ったので、その大きさはすさまじかった。実際、単に大きさということで言えば、その国で七番目の都市が、ジャングルの奥に取り残されたのである。
 エイリアンが地球にやって来ると、彼らはひとまず、その放棄された映画セットの都市に身を落着けた。何しろ人は誰もいなかったから、偵察という使命には実に好都合な拠点となったにちがいない。あるいはその使命は、純粋に偵察のみにとどまらなかったかもしれない。ここへ来たのは、銀河間空間をさまよう彼らの放浪の中での、小休止のようなものだったのかもしれない。
 いずれにせよ、建物の内部に住むことに彼らは慣れていなかった。少なくとも、目の前に現われたような建物には。そこで彼らは寝泊まりするにも街路にとどまった。
 したがって、ジャングルが建物に侵入しはじめたとき、それを妨げるものはほとんど何もなかった。ジャングルは飢えた草木で建物を包み、繁茂する繊維質の蔦が外装を覆い、中の床、壁、屋根、土台にもぐいぐい入り込んでいった。暑さと湿気もこれに加勢した。包み込まれた建物はじきに腐りはじめた。昆虫が繁殖して、途方もない勢いで増えていった。特に、ある種の蚊の増加はすさまじかった。
 銀河間を楽々と行き来し、超先端的テクノロジーを有するにもかかわらず、エイリアンたちは蚊に対してほとんど免疫を持たなかった。彼らはまったくの無力だった。宇宙船は依然光を放っていたが、飢えた蔦が、どうやってだか、その中枢の電源に侵入した。エイリアンたちは、まるで、そう、蠅のようにばたばた死にはじめた。街路に横たわる彼らの喘ぎは、恐怖と無力感に染まってどんどん弱々しくなっていき、やがて彼らは息絶えた。
 こうしてみな死んでいった。たった一人を除いて。
 この一人が川に出て、丸太にしがみついて進んでいった。
 澱んだ川を何百マイルも下ったところで、彼は地元の、あばら屋同然の病院に運ばれた。私はそこで会計係として働いていたのである。医者たちは彼のことを、おおかたそこらへんの現地民だろう、どこかの部族の人間だろうと考えた。それが栄養不足と、さまざまな慢性のジャングル病のせいで体は畸形となり精神にも異常をきたしたのだ、と。病院は彼を裏手の空き部屋に放り込んだ。そのろくに手入れもされていない部屋を、怠惰な好奇心に駆られて覗き込んだ私に、息も絶えだえとなった彼が、持っていた自分の星の金属を見せてくれたのだ。具体的には、それは一個のスプーンだった。
 スプーンはおとぎ話に出てくる宝物のようにキラキラ光った。
 病院にもやはり蚊はいて、殺虫剤の撒き方もいい加減だったので今月は特にひどく、彼はまもなく息を引きとった。だがその前に、見捨てられた映画セットの都市と宇宙船がどのあたりにあるかを私に伝えたのである。その宇宙船の船体も、おとぎ話に出てくる宝物のようにキラキラ光るにちがいない。
 私は病院の仕事を辞めた。辞める、と告げてもみんな肩をすくめるだけだった。私は散らかった机で安手のファンタジー小説ばかり読んでいる、当てにならない会計係だったのだ。私はボートを手に入れた。
 こうして川に出て、もう三日目になる。あと一日しっかり進めば、見捨てられた映画セットの都市に着く、と私は土手で熾した焚火の前で背を丸めながら計算する。オイルクロスの上ではスプーンがキラキラ光っていて、私の飢えた目がそれを貪り眺めて滋養を得る。私の銃は、油をちゃんと塗っているのにジャングルのあまりの湿気のせいで錆びてきた。大丈夫、こいつは頑丈な年季ものの銃なんだから。私はニッコリ笑い、銃をぽんぽん撫でる。そう、頑丈な年季もの。
 もし次の長い一日が何をもたらすか、かりに予測できるものだったら、私としてはぜひ、死体を漁る鼠たちのことを知りたかったと思う。力尽きたエイリアンたちの悪臭に惹かれて、ちっぽけな種類の齧歯動物たちが、ジャングルに包まれ廃墟と化した映画セットに入ってきたのだ。当然ながら、害獣たちはエイリアンたちの死体を貪り食った。そして彼らは、下生えにこそこそ戻っていったりはしなかったが、彼らの一部は、死んだエイリアンの肉体の中でいわば発酵した感染症によってほぼ即座に死んでいった。もちろん私は、ゴムで覆った薬箱に入った、標準的な薬品類を持っている。丸薬、酸っぱい粉薬、鼻にツンとくる消毒薬。だがジャングルとは巨大な、疲れを知らない、感染症をめぐる独創的実験の大釜にほかならない。「標準的」なるものなど、害獣とその微生物変異体に対してはほとんど何の役にも立たない。その微生物が、光を反射する珪酸塩の糸のようにほのめき、損なわれたエイリアンの肉体を飾るピカピカの金属から齧り取られた破片のようにゆらめく。
 これから知ろうとしていることを、もし私が予測できていたら、私としても(きびす)を返し、全世界に警告しに行くことができただろう。だが、ああ、事実はそのようにはならない。

(Spoon / 4.28.2020)

『ボッティチェリ 疫病の時代の寓話』はこちらから

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

バリー・ユアグロー

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。現在、「波」で「オヤジギャグの華」を連載中。公式サイト

柴田元幸
柴田元幸

1954年生まれ。翻訳家。文芸誌『MONKEY』編集長。『生半可な學者』で講談社 エッセイ賞、『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。2017年、早稲田大学坪内逍遙大賞受賞。

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