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おかぽん先生青春記

 実験室拡張に気を良くした俺は、前からやってみたかったことを始めることにした。ハダカデバネズミの鳴き声を調べてみることにしたのだ。ポスドクの頃から鳥のさえずりと言語の関連を力説していた俺だが、研究費の申請にことごとく失敗していた。多くの場合、「人間と鳥では脳の構造が違いすぎる」という理由であった。発声を学ぶという現象が脳の構造の違いを超えて発現しているところが面白いのだが、まだ若かった俺は、そのへんの興味を上手に伝えることができなかった。その替わりに「じゃあ、哺乳類で発声を学ぶ人間以外の動物を研究してやろうじゃないか」と意気込んだのである。しかしそのためには自分の実験室と研究費が必要だ。千葉大に落ち着いた俺は、ついにその日を迎えたのであった。

 1990年の国際行動学会で聞いたハダカデバネズミの話は、俺を魅了していた。こいつらは、アフリカの地中に80~300頭にもなるコロニーを造り、女王、兵士、働きネズミという階級制をもって暮らしている変な動物である。コロニーは穴倉をトンネルでつないだもので、それぞれの穴倉はトイレ、食料貯蔵庫、寝床、子供部屋など、機能が決まっているという。彼らはおそらくは複雑な社会生活を維持するため、音声によるコミュニケーションを発達させており、17種類もの声で鳴きあっているというのだ。これは面白い。そんなにいろいろな声を出す以上、発声の学習もしているはずだ。

 俺はメリーランド大学時代の盟友、トム・パークがハダカデバネズミを使った感覚系の実験を始めたことを知り、彼のいるシカゴ大学までこの動物をもらいに行った。その後の顛末は、ハダカデバネズミ研究で博士号をとった俺の弟子、吉田重人氏と俺とでまとめた本、『ハダカデバネズミ』(岩波科学ライブラリー、2008年)を読んでくれ。ハダカデバネズミ研究の最近の展開は、俺が監修した本『ハダカデバネズミのひみつ』(エクスナレッジ、2020年)を読んでくれ。

 ハダカデバネズミの研究と前後して、俺は「事象関連電位」という現象を知った。これは、ある出来事が起こると特異的に生ずる電位で、脳波をその出来事を起点として平均すると出てくるものだ。事象関連電位を使えば、人間の脳の中で起きている音声の情報処理がわかるのではないかと俺は思った。幸い、さきがけ研究の研究費で、事象関連電位を脳の32か所から測定する装置を購入することができた。これで、人間と鳥とネズミの発声学習について比較研究ができるではないか。何と言うことか、鳥小屋わらしべ長者にすぎなかった俺が、ついに言語に至る音声コミュニケーションの研究に手を伸ばしたのである。

 ところがこういう装置は、使ったことがある研究者にしかわからないノウハウがいっぱいだ。その分野のポスドクを探したところ、ウイグルからの留学生でまさに学位をとったばかり、ポスドクのポジションを探している研究者から連絡を受けた。しかも彼は千葉大医学部にいた。ついちょっと前までポスドクだった俺が、ポスドクを雇うようになってしまったのだから、人生は深い。彼とは10年以上にわたり研究を共にしていくことになる。

 そしてその頃、俺の研究室に新たな学生が入ってきた。彼は俺が顧問をしているギター部にも入っており、俺の30倍くらいギターが上手かった。本人に聞くと50倍だと言うかも知れないが、まあそれはさておき。この男に事象関連電位の話をすると、乗ってきてくれた。そしてウイグルからの留学生とギター部の学生は、俺が買ったばかりの32チャンネル脳波計をほんの数か月で使いこなすようになったのだ。これはわらしべ長者じゃなくて渡りに船ってやつだな。

 事象関連電位を使って何がしたかったかと言うと、鳥の歌学習で問題になっていた現象を、ヒトでも再現したかったのだ。鳥のヒナは父親の歌を聞いて音の記憶を作る。そしてその後、自分でいろいろな音を出してみて、音の記憶と自分でうたったパターンとの照合をして、だんだんと誤差を少なくする方向に歌を変えていく。これが小西先生とマーラー先生の仮説である聴覚鋳型だ。鳥業界では、この音記憶と歌パターンの誤差信号がどこにあるかを探すのに躍起になっていた。俺はそいつらを横目でみながら、そもそもそのような誤差信号が、人間が言語を学ぶときにも出てくるんであろうか、ということを考えていた。

 俺もギターを弾くのでわかるのだが、ギターを弾いていて指が間違ったならば変な音が出るのは当然だ。しかし、間違った気がしないのに変な音が出るとぎくっとする。まあ、そういうときでも間違ったのに決まっているが。この「ぎくっ」ってやつを感じるとき、脳の中で何かが起こっているはずだ。そして、鳥が歌を練習するときも、記憶にはない変な音がすると「ぎくっ」とするはずで、これが誤差信号ってやつに違いない。

 俺たちは銀座の山野楽器に行って、MIDIインターフェイス付きの電子ピアノを買ってきた。MIDIというのは、デジタル信号で楽器を制御できる標準規格である。このピアノをプログラムして、自分がちゃんと演奏していても時々変な音が出るようにした。こういうプログラミングも、ギター部の学生は得意であった。ある程度楽譜が読める人に実験に協力してもらい、簡単な楽譜をゆっくりと弾いてもらう。実験参加者は、まさか自分が間違えると思っていないのに、5%の確率で変な音がする。だまし討ちは悪いので、俺たちは実験参加者にこのキーボードの秘密を教えておいた。5%の確率で変な音がしますが、気にしないで下さいと。

 実験参加者には脳波電極がついた帽子をかぶってもらい、ピアノを弾いてもらう。普通に意図した音が出たときと、変な音が出たときの脳波を比較すると、変な音が出たときには、振幅の強い電位が出ていることがわかった。しかも音が出て180ミリ秒でこの電位は出てくる。変な音だと気が付くのはもう少し後なので、この脳波は意識的な気づき以前に誤差を検出していることを示す脳波だ。俺たちは人間の脳から誤差信号を検出したのだ。やったー。俺たちは、鳥の脳から誤差信号を検出する前に、ヒトの脳から誤差信号を検出することに成功したのだ。次は鳥の脳から誤差信号を検出するのだ!と、しかしこれが思ったよりずっと面倒な課題であったのに、その当時の俺は気づいていなかった。幸せな奴め。

 このように、俺の研究室には、鳥班、ネズミ班、ヒト班ができた。千葉大の最盛期には、鳥班10人、ネズミ班5人、ヒト班5人ほどいた。この基本構成は今でも変わらない。類似した現象を異なる動物種で比較すること、ヒトを特別扱いせず、動物と同じような実験課題で調べること、これら2つの基本方針も今でも変わらない。俺は千葉大の11年間で、その後の方向性を概ね確立したのであった。鳴くのは鳥だけではない。ネズミもヒトも鳴く。そしてこの鳴くという現象を中心に、言語の起源を探るのだ。そのためには、言語のもう1つの柱が必要で、それは文法なのに違いない。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

岡ノ谷一夫

東京大学大学院教授。1959年生まれ。著書に『「つながり」の進化生物学』『さえずり言語起源論』などがある。

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