ムズい・キモい
「ムズい」を1980年代末に使っていた記憶が、私にはあります。
当時、大学生だった私は、江戸時代の各元号が西暦何年に当たるかを暗記しようとしていました。これを覚えておくと、江戸時代の資料を扱うときに便利なのです。
たとえば、慶長元年(1596年)は「慶弔費、黒(96)字になる」と覚えます。次の元和元年(1615年)は「げんなりの人混(15)み」と覚えます。上2桁は覚えなくてもかまいません。1世紀ごとにグループ化して覚えれば、間違うことはないからです。
こうして暗記の作業を続けていて、さて、寛文元年(1661年)はどう覚えようか、と思案しました。私は当初、「漢文、ムズ(6)い(1)」というフレーズを考えました。「ムズい」というのは「難しい」の略です。でも、「ムズい」では人に通じない、この暗記法を誰かに紹介するときに分かってもらえない、と考えました。
まあ、こんな暗記法を人に紹介する機会はほとんどありませんでしたが、この時は結局、「僕には漢文、向い(61)てない」というフレーズに決めました。
こんなエピソードを紹介したのも、1980年代末の私が「ムズい」ということばをどう感じていたかを記したかったからです。
「難しい」を「ムズい」と言うことは、すでに70年代末にはあったようです。『日本俗語大辞典』には、『週刊平凡』78年10月5日号の記事から〈ヘタするとヤクイ(ヤバイ)し、ムズイ(むずかしい)のよォ〉という文が引用されています。また、『現代用語の基礎知識』84年度版にも〈むずい むずかしい〉と載っているとのことです。
ただ、80年代末の私の実感としては、「ムズい」は一般的な若者ことばではありませんでした。友人との間で、臨時的な省略語として使った記憶があるくらいでした。臨時的な省略語とは、「テレビのリモコン取ってよ、テレリモ取って」というように、その場で作ることばです。「ムズい」もそんなものと捉えていました。
1990年、金沢大学の学生が卒業論文のために金沢の中学生を調査したところ、約9割が「ムズい」を使っていました。ところが、それが新聞で紹介された94年、子どもたちは「ムズい」を時代遅れだと言ったそうです(北國新聞社編集局『頑張りまっし金沢ことば』)。当時の金沢で、「ムズい」が定着していなかったことが分かります。
私は90年代の半ば、東京の中学生に勉強を教える機会がありました。そこで、生徒が「(英語の試験が)ムッカい」と発言するのを聞きました。「難しい」が「ムッカい」になっています。よくよく聞いてみると、彼らの間では「チョー(超)ムッケー」とも言うとのことでした。東京のある地域限定かもしれませんが、「ムズい」ではなく「ムッカい」を使った集団もあったわけです。
このように、90年代の若い世代は、「ムズい」を使ったり使わなかったり、という状況でした。「ムズい」は、必ずしも「難しい」の俗語形としてスタンダードな位置にはありませんでした。
「ムズい」が広く世の中に認知されはじめたのは、21世紀に入る頃のことです。日本語学関係の本でも、「キモい」(気持ち悪い)などと並んで、省略語の例として取り上げられることが多くなりました。
現在、「ムズい」は、若い世代を中心に、特に流行語という意識もなく、また逆に「古い」と思われることもなく、普通のことばとして使われているはずです。1970年代末あたりから長い時間をかけて、「ムズい」はようやく定着をみたことになります。「ご苦労さま」と声を掛けてやりたい気持ちになります。
もっとも、若い世代でも、「ムズい」を支持する人ばかりではありません。2010年のこと、NHKニュースを見ていたら、中学生の弁論大会の様子が映っていました。その中で、九州のある女子中学生は、若者の間で「ムズい」「キモい」などの省略語が広まっていることに危機感を覚える、と訴えました。
彼女が物心ついた頃には、すでに「ムズい」は広く使われていたはずです。それでも、彼女自身はこのことばに違和感を持ち、「新しく広まっていることばだ」と認識しているのは興味深いことです。彼女と同じように考える若い人々が、やがてこの「ムズい」を受け入れる日が来るのかどうか。これもまたひとつの関心事です。
「キモい」の話が出てきたので、ついでに――と言っては「キモい」に失礼ですが――その歴史についても触れておきましょう。
『日本俗語大辞典』によれば、「キモい」は、すでに『週刊朝日』1979年5月25日号で〈きもい(きもちわるい)〉と紹介されています。「キモい」が世に現れたのは、「ムズい」とほぼ同時期だったと考えられます。
定着に時間がかかったのも「ムズい」と似ています。泉麻人さんは87年の著書の中で「キモい」を使っていますが、今とは意味が違います。
〈〔ゴルフ場で接待相手に〕ミエミエのヨイショプレイが通じない最近、そのためにも、最初のハンディの設定はキモい〉(『丸の内アフター5』)
この「キモい」は「重要だ、キモだ」という意味でした。「気持ち悪い」の意味の「キモい」は、80年代はまだ一般的ではなかったようです。
私は95年、雑誌『流行観測アクロス』で〈超キモイ〉の例を拾いました。その後、90年代後半には、学生が「キモい」についてのレポートを書くようになりました。
「キモい」も、20年近くかかって認知されたわけです。ただ、このことばを友だちなどの他人に対して使うのは、ぜひともやめるべきです。
ハズい
「ムズい」のような形容詞の省略語について考えていたら、「ハズい」についても古い記憶がよみがえってきました。
「ハズい」は、言うまでもなく「恥ずかしい」の省略語です。例によって『日本俗語大辞典』で確かめてみると、「はずい」の項目はあるものの、出典が添えてありません。この辞書は2003年に刊行されていますが、この時期には、めぼしい活字の用例がまだ現れていなかったということでしょう。
私が「ハズい」を初めて目にしたのは、パソコン通信の画面においてでした。
パソコン通信と言っても、今の人は分からないかもしれません。ネットワークを通じて、全国の会員同士が、主として文字だけで情報交換する通信サービスです。
私がパソコン通信を本格的に始めたのは1995年の後半でした。あるとき、他の会員たちと文字でやりとりをしていて、「これこれのことは恥ずかしいですね」とメッセージを送りました。そしたら、他の会員が「それはハズい!」と反応しました。
この「ハズい」は、この人だけが言うのか、それとも広まった言い方なのか、注意を引かれました。でも、その時はそれで終わってしまいました。
その少し後、日本語学者の井上史雄さんは、『日本語ウォッチング』(98年)の中で、〈関西の若者ことば〉として〈「くやい」(くやしい)、「はずい」(恥ずかしい)〉などを紹介しています。「クヤい」は今も全国区ではありませんが、「ハズい」も、90年代の末頃には、まだ狭い地域の若者ことばに過ぎませんでした。
「ハズい」をよく見聞きするようになったのは、やはり21世紀になってからです。『現代用語の基礎知識』には、意外なことに、2005年版でようやく載りました。もう少し早く載ってもよさそうな気がしますが、現実を反映しているのでしょう。
こうなると、私が昔パソコン通信で目にした「ハズい」は、比較的早い例として貴重と言えます。当時、パソコン通信でやりとりした内容(通信ログ)は、すべてファイルに記録していました。1995年から数年間の膨大な通信ログは、そのまま90年代の日本語、特に会話体の文章を観察するための絶好の資料になる――はずでした。
ところが、実際には、私の手元に当時のログはほとんど残っていません。90年代、私はフロッピーディスクやMOディスクといった媒体にファイルを記録していました。でも、それらを新世代のパソコンで読むためには、新たな装置が必要でした。
滅多に見ることのないログだ。捨ててしまおう。そう考え、私はディスクを破棄しました。それが貴重な言語資料だったことに気づくのは、ずっと後の話です。
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飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 飯間浩明
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国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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