私は文章を書くとき、漢字の「言葉」を使わず、「ことば」とひらがな書きにします。いつ頃からこの方式をとっているのか、忘れてしまいました。最初に出した本は、すでにひらがなの「ことば」で統一してあります。
ことばは私の研究対象なので、文章中に何度となく「ことば」が出てきます。ある本では約400回、「ことば、ことば」と繰り返していました。
ひらがな書きにするのは、いくつか理由があります。まず、使用頻度の高い語を漢字で書くとうるさくなるので、それを避けるということがあります。「これ」「それ」「そうする」を「此」「其」「然う為る」と書かないのと同様です。
また、文章に柔らかさを出したいからでもあります。私は多く「ですます体」で文章を書きます。「だ・である体」は硬すぎる気がします。ひらがなの「ことば」は、読者に穏やかに語りかける「ですます体」によく似合っています。
――などと、いろいろ理由はあるのですが、ひらがなにする一番の理由は、漢字で「言葉」と書く根拠が薄弱だからです。「言葉」は、厳密には当て字なのです。
「ことば」という名詞は、日本語に古くからあります。8世紀の「万葉集」にも出てきます。この歌集は万葉仮名(漢字)で書かれているので、当時、「ことば」をどう書いたかが分かります。
本文で「ことば」と読む部分の表記は、「言羽」「辞」となっています。「言羽」は当て字、「辞」は漢字の意味を用いた表記です。「言葉」の表記は出てきません。
「ことば」は、語源的には「葉」と関係がなさそうです。その成り立ちは、「こと(言)」+「は(端)」と考えられます。
元来、「言語」の意味は「こと」と表現しました。「万葉集」では、「ことば」よりも「こと」が圧倒的に多く出てきます。たとえば、〈ことのよろしさ〉は「ことばの素晴らしさ」、〈ことな絶えそね〉は「ことば(手紙)は絶やさないで」ということです。
この「こと(言)」は、「こと(事)」と語源が同じです。というより、古代は「言語」と「事実」を区別しなかったようです。口から出た言語イコール事実、という感じだったのでしょう。今でも、「おかしなことを言うな」などという場合の「こと」は、「事」とも「言」とも解釈できます。
「こと(言)」「こと(事)」は、当然ながら、発音もアクセントも同じでした。ところが、やがて両者の意味が分化してきたため、形の上でも区別する必要が出てきました。そこで、「こと(言)」のほうに「は(端)」をつけて、「ことのは」「ことば」と言うようになったのです。
この「は」は「端っこ」の意味です。山の稜線を「山の端」、軒先のことを「軒端」と言うのと同じく、「言の端」は、口から出る言語表現の一端ということです。
平安時代になると、「ことのは」を「言の葉」、つまり、葉っぱの意味で捉えるようになりました。10世紀初めの「古今和歌集」の仮名序には有名な一節があります。
〈やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける〔=和歌とは、人の心が種子となり、たくさんの表現の葉をつけたものである〕〉
この歌集には、「ことのは」と「葉」を掛けた歌も多くあります。現代語訳で示せば、たとえば、「言の葉は秋を経ても色は変わらない」「言の葉の色が移ろってしまった」「言の葉の一枚ごとに露が置いている」――という具合です。
平安歌人たちによって、「ことば=言葉」という考え方は広まりました。一方で、辞書には必ずしも「言葉」という漢字表記は載りませんでした。
古代の辞書は漢文(中国語)を読むためのものだったので、日本製の表記である「言葉」が載っていないのは当たり前と言えます。ところが、中世の実用辞書である各種の「節用集」でも、「ことば」に当たる漢字としては、「詞」「語」「辞」「言」などが挙がっているのみで、「言葉」の例は見つかりません。
「節用集」は庶民が使った辞書です。「羽子板」「振舞」などの純日本語も載っています。とすれば、「言葉」の表記があってもおかしくないのですが、ないんですね。
江戸時代の小説「椿説弓張月」では、作者の曲亭馬琴は、「ことば」と読ませる漢字に「言語」「言葉」などを使っています。内訳は「言語」が「言葉」の約3倍です。馬琴は「言葉」よりも「言語」という表記を愛用したと言えます。
このように、「言葉」の表記は、昔は必ずしも標準的ではありませんでした。辞書が普通に「言葉」の表記を掲げるようになったのは、明治以降のことです。
日本語学者には、「ことば」と仮名で書く人がけっこういます。たとえば、金田一春彦は、『ことばの四季』『ことばの生活技術』『ことばの歳時記』など、「ことば」をタイトルとする著作を複数書いています。このうち『ことばの歳時記』では、「ことば」「言葉」を併用していますが、「ことば」の表記が8割程度を占めています。
徹底しているのは、『三省堂国語辞典』(三国)の初代主幹だった見坊豪紀です。『ことばのくずかご』をはじめ、『ことば さまざまな出会い』『ことばの海をゆく』などの著作があります。『ことばの海をゆく』では、「ことば」が約400回使われており、引用部分以外に「言葉」の表記はありません。
見坊の後を引き継ぐ『三国』の編集委員である私も、無意識に見坊の影響を受けているのでしょうか。ただ、私の場合、出版社の意向で、タイトルに漢字の「言葉」を使った著作もあるのですが。
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飯間浩明
国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 飯間浩明
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国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。
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