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分け入っても分け入っても日本語

 明治時代の後期が舞台のドラマで、腰が痛い様子を見せる母親に対し、息子が言います。「もう(いと)うないんやろ、おかあちゃん。ばれてるで」。
 この「ばれる」は明治時代にありえたのか、という質問を受けました。もちろん、ありました。「ばれる」は江戸時代に現れ、今も使われていることばです。「バレバレだ」とか「親バレ」(親にばれること)とか、新しい複合語も生まれています。そのため、昔のことばではないように感じられるのかもしれません。
 この「ばれる」の語源については、前田勇『上方語源辞典』に説明があります。簡単な短文の説明ですが、私なりに解説を加えると、以下のようになります。
 現代語で「秘密をあば(暴)く」と言います。この「あばく」に対し、「あばける」(露わになる)という形が昔はあったと、前田はまず推測します。その「あばける」の変異形として「あばれる」があり、それを略したのが「ばれる」だ、というのです。
 この説は、「露わになる」という意味の「あばける」「あばれる」ということばが、実際には確認できないという点で不満が残ります。「乱暴に振る舞う」という意味の「あばれる」は別語です。実例はなくても、理論的にありうることばが語源、というケースは、もちろんあります。ただ、そう結論する前に、文献上で確認できることばが別に存在しないか、確かめてみることが必要です。
 話を先に進める前に、ここで「ばれる」の意味を整理しておきます。「ばれる」には複数の意味があり、そのすべてが同一の語源から来たわけではありません。
『日本国語大辞典』(日国(にっこく))第2版で「ばれる」を引いてみましょう。そこには明らかに異質な意味が混じっています。
 5番目に〈雨などが降る〉という意味があります。これは、「晴れ」の反対の雨天を、江戸時代にふざけて「水晴(すいば)れ」(水が降る晴れ)と言い、その略の「ばれ」を動詞化して「ばれる」と言ったのです。「露わになる」という意味とは関係がありません。
 また、『日国』の1番目・2番目には〈破れてまとまらなくなる〉〈しくじる。失敗する〉という意味が並んでいます。さらに後ろのほうを見ると、〈芝居などが終演となる〉〈人形浄瑠璃社会で、死ぬことをいう隠語〉などもあります。
 これらは、大ざっぱに「ものごとがだめになる、終わる」という意味とまとめることができます。現在でも、演劇のことばで「今日はこれでばれます」(演技を終えて帰ります)と言います。同じ語源から来ているのでしょう。これら一連の「ばれる」も、やはり「露わになる」の意味とは関係がありません。
 この「ものごとがだめになる、終わる」という場合の「ばれる」は、「ばらばらにする」という意味の他動詞「ばらす」の自動詞形と考えられます。ものごとをばらばらにすれば、だめになったり、終わったりします。人をばらばらにすれば死にます。「ばらして埋めてやるぞ」という「ばらす」ですね。その自動詞形が「ばれる」です。
 さて、私たちにおなじみの意味の「ばれる」は、『日国』の3番目に載っています。〈秘密・悪事・陰謀などが発覚する〉。この意味の「ばれる」は、これまで見た「ばれる」とは語源が違います。何なら、別の項目として分けてもいいところです。
 この「露わになる」の意味の「ばれる」は、「濁音減価」という現象によって説明されることがあります。「濁音減価」とは聞き慣れない用語ですが、身近にあります。
 たとえば、「たま(玉)」に対し、小麦粉を水に溶いてかき混ぜたときにできる丸いかたまりを「だま」と言いますね。「だま」は嫌なものであるため、「たま」を「だま」と濁音化して価値を下げる(減価する)のです。
 あるいは、ものの様子を「さま」と言いますが、情けない様子を言うときは、濁音化して「ざま」と言います。「何たるざまだ」のように。これも濁音減価の例です。
 小野正弘さんは、「ばれる」も「晴れる」の濁音減価の例と捉えます。〈裏でやっていた悪事が明るみにでること〉だから、いい意味ではなく、濁音化するというのです(『オノマトペがあるから日本語は楽しい』)。
 たしかに、「たま→だま」「さま→ざま」「はれる→ばれる」と考えると、統一的に説明ができます。ただ、ここで問題になるのは、露わになる意味の「ばれる」と、晴天になる意味の「晴れる」は、意味的に隔たるということです。空が晴れれば太陽が「露わ」になるので、秘密が露わになることと結びつくとも言えます。でも、空が晴れる感じと、秘密がばれる感じの間には、「たま」と「だま」以上の距離が感じられます。
 ほかの可能性も考慮してみましょう。刑事ドラマで「メン(面)が割れた」と言います。この「割れる」は「明らかになる」という意味で、江戸時代から例があります。「われる→ばれる」と変化したとは考えられないでしょうか。
「ワ」「バ」が交替することは、音声学的にはありえます。例えば、沖縄の八重山方言では、「若者」を「バガムヌ」、「笑う」を「バラウン」のように、共通語のワ行音をバ行音で発音します。これは、古い日本語の発音を保つものと言われます。
 小松英雄さんは、「のける」を「どける」と言う例などを「ナ行の濁音」の例とし、「ばれる」を「割れる」から作られた「ワ行の濁音」の例とします(『日本語の世界7』)。「割れる」が濁音減価現象で「ばれる」になったと説明できそうに思われます。
 ところが、「割れる」説には決定的に不利な事実があります。「割れる」と「ばれる」は歴史的にアクセントが違います。また、「ばれる」に対して「ばらす」と言いますが、「割れる」に対して「割らす」とは言いません。これらの点の説明が困難です。
 そうすると、「晴れる」説のほうが有利になってきます。「晴れる」のアクセントは「ばれる」と同じです。しかも「晴らす」の形もあります。音声的・文法的には不都合がありません。意味的に隔たるという問題が残りますが、現在のところ、「ばれる」の語源は「晴れる」と考えるのが最も妥当のようです。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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