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分け入っても分け入っても日本語

 私たちに最も身近な愛玩動物といえば、犬と猫です。「犬猫」と並べて言いますが、語源についてよく議論になるのは、とりわけ猫のほうです。
 最近も、テレビ番組で、猫を研究している人が「猫」の語源を問う場面がありました。正解は「寝る子」ということになっていました。
 猫は「寝る子」だから「寝子」―。これはよく聞く説です。明治中期の、初の近代的な国語辞典『言海』にも出ています。『言海』では、「猫」をまず「ねこま」の省略とします。そして、「寐高麗(ねこま)」(高麗から渡来したよく寝る動物)の意味とする説や、「寐子(ねこ)」(「寐」は寝る意)に「ま」がついたという説などを紹介します。
「寝る子」説は、少なくとも江戸時代まではさかのぼれます。18世紀の辞書『和訓栞(わくんのしおり)』では、「猫」の語源を〈寝子の義〉として、〈(ねむ)りを好む獣なり〉と説明します。
 猫がよく寝るのは本当です。猫に関する本を参照すると、1日に十数時間寝ると書いてあります。でも、犬も同じぐらい寝るそうだし、よく寝ることが猫の専売特許とまでは言えません。
 国語辞典の「猫」の項目を見ても、「よく寝る動物である」という説明はありません。〈じょうずにネズミをつかまえる〉(『三省堂国語辞典』第7版)、〈形はトラに似て、敏捷(びんしょう)。暖かい所を好み、ネズミをよくとるとされる〉(『新明解国語辞典』第7版)といった具合です。猫はよく寝るけれども、名前にするほどの特徴とは言えません。
 つまり、「よく寝るから『寝子』」というのはこじつけです。
 では、「猫」は何を以て名づけたか。『広辞苑』などが記述するとおり、「鳴き声から」という説に合理性があります。
 猫の鳴き声は、昔は「ねうねう」などと聞きなしていたらしいんですね。有名なところでは、「源氏物語」に例が見えます。
 光源氏の正室になった女三宮(おんなさんのみや)に、若い貴公子の柏木(かしわぎ)が横恋慕します。源氏の奥さんに言い寄るわけにはいかないので、柏木は、せめてのことに、女三宮の飼っている猫をもらい受けて、自分で飼い始めます。
〈〔柏木が〕いといたくながめて、端近く寄り()したまへるに、〔猫が〕来て、ねうねう、といとらうたげに鳴けば…〔=柏木が物思いにふけって、部屋の端に寄りかかっていると、猫が来て「ねうねう」と可愛らしく鳴くので…〕〉
 「ねうねう」の「う」は、「にゃおにゃお」の「お」に当たる一種の語尾で、無視して考えてかまいません。要するに、「ね」と鳴く動物だから「ねこ」です。
 これはちょうど、今のことばで、「にゃんにゃん」と鳴くから「にゃんこ」と言うのと同様です。あるいは、犬が「わんわん」と鳴くから「わんこ」、東北方言で牛が「べえべえ」と鳴くから「べこ」と言うのとも同じです。鳴き声が動物の名前になったというのは、語源の考え方として無理がありません。
 先に見たとおり、「ねこま」という古い呼び名も、確かにありました。これと「ねこ」の関係についてはよく分かりません。私としては、「ねこ」に由来不明の「ま」がついて「ねこま」になったと考えておきます。あるいは、子猫の様子から、「(こま)か」などの「こま」の連想が働いたのかもしれません。
 さて、一方、「犬」の語源はどうでしょうか。「猫」が鳴き声から来ているなら、「犬」も鳴き声からではないかと考えてみるのが、ものの順序です。漢字の場合、「猫」を「ビョウ・ミョウ」と読むのは鳴き声からであり、「犬」を「ケン」と読むのも鳴き声からであると言われます(どちらも一説)。
 とはいえ、犬の鳴き声を、昔の人が「いぬいぬ」と聞きなしたとは考えにくいことです。「いぬ」という音は、犬の鳴き声には似ていません。
 犬の鳴き声が、昔は「びよびよ」と聞きなされていたということは、山口仲美さんの本で有名になりました(『犬は「びよ」と鳴いていた』光文社新書)。江戸時代までは、犬の声は「びよびよ」「びょうびょう」と解されていました。さらに古く、平安時代の「大鏡」に出てくる「ひよ」という鳴き声も、実は「びよ」だったのではないか、というのが山口さんの考えです。
 なるほど、卓見です。「大鏡」には〈〔犬の霊が〕蓮台(れんだい)の上にてひよとほえ給ふらん〉と言う部分があります。「ひよ」ではなく「びよ」と読むほうが、犬の鳴き声に近い響きになります。
 犬が昔「びよ」と鳴いていたとしても、「犬」の語源の手がかりには、あまりなりません。「いぬ」と「びよ」はかけ離れています。
 ここで、「犬」の類語を考えてみます。子犬のことを「いぬころ」と言い、「えのころ」「えのこ」とも言います。植物の「エノコログサ」(ネコジャラシ)はここから来ています。
 子犬または犬のことを「えぬ」と言うこともありました。平安時代の『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』という辞書には、子犬を表す「狗」という漢字の読み方について、〈和名〔=訓読み〕ヱヌ、また犬に同じ〉と書いてあります。「ヱヌ」で子犬も犬も表したことが分かります。
 この「ヱヌ」は、現代語の発音ではenuですが、当時の発音ではwenuだったと考えられます。「ヱ」は、昔は「ウェ」と発音していました。
「ヱヌ」が「ウェヌ」だったとなると、犬の鳴き声に近づきます。江戸時代の小山田与清(おやまだともきよ)は、「松屋叢考(まつのやそうこう) 歌詞考」の中で、「いぬ」「ゑぬ」は、もともと、うなる声の「ウヱヌウヱヌ」から来た呼び名であると記しています。これは理解しやすい説明です。
 昔の人は、犬の鳴き声を「ウェン」に近く聞きなしたのでしょう。ただ、昔の日本語には「ン」の音がなかったため、「ウェヌ」と理解し、それを「ゑぬ」と表記することになりました。「ゑぬ」は成犬も子犬も表しましたが、やがて、特に成犬を表すために「いぬ」の形が現れ、今日一般的になったということだと考えられます。
 そんなわけで、「猫」も「犬」も、もともとは鳴き声から来ていると考えて差し支えありません。身近な愛玩動物の名づけ方には共通点があったのです。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

飯間浩明
飯間浩明

国語辞典編纂者。1967(昭和42)年、香川県生れ。早稲田大学第一文学部卒。同大学院博士課程単位取得。『三省堂国語辞典』編集委員。新聞・雑誌・書籍・インターネット・街の中など、あらゆる所から現代語の用例を採集する日々を送る。著書に『辞書を編む』『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか? ワードハンティングの現場から』『不採用語辞典』『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から―』など。

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