みなさま、こんにちは!
日々野鮎美(27歳 会社員)です。
わたくし、”山ガール”ならぬ”単独登山女子”なんて名乗っていますが、要するに人見知りです……(?!)。
(私の詳しいプロフィールをもっと知りたい方はこちらを→リンク)
普段は会社員、週末になると山歩きばかりの生活を送っている私が、登山を始めてみたい人向けにアテンドするならこの山! ……という個人的にお気に入りのお山をご紹介します。
今回のお山は……「雲取山」です。
コミックスでは、第6巻、60~62話に登場します。
東京都の最高峰! 雲取山(2,017m)を縦走する
雲取山は、東京都、埼玉県、山梨県にまたがり、東京都では最高峰の山。
東京から電車で簡単にアクセスできる2,000m級の山でありながら、危険な箇所が少ないため、テント泊デビューや、はじめての山小屋泊などに最適です。ほとんどの登山者は一泊二日で予定を組むようですね。公共の交通機関を使うとどうしてもスタートが遅くなりのんびり歩いていると到着が遅くなってしまうため、タイムを意識して歩くことが求められます。
雲取山は、登山口から山頂まで距離が結構あるものの、登山道そのものは歩きやすく、トレランのランナーも日帰りで利用しているようです。
さらに、温泉を併設した山小屋「三条の湯」を通るルートもあり、温泉好きにはたまりません。
今回のルートは、まず埼玉県側・西武線の西武秩父駅発のバスで狼(山犬)信仰で知られる三峯神社に向かい、三峰ビジターセンター前の登山口から出発。霧藻ヶ峰、前白岩山、白岩山と3つの山を縦走して、雲取山の山頂を目指します。初日は約10km(約5時間半)歩いて、山小屋(雲取山荘)のテント場に宿泊する予定です。
そして2日目は、雲取山頂上を経てJR青梅線の奥多摩駅そばの鴨沢登山口まで下山するルート。下山は、5時間ほど歩きます。下りはいったん七ツ石山に上がることになるんですが、そこでは絶景の石尾根縦走路の稜線を堪能できます。
なお、このルートは4月〜11月までの通行が可能です。
ちなみに、下山後においしいものを食べたい場合は逆ルートで鴨沢から三峯神社がおすすめ。三峯神社付近はおみやげ屋やお食事処が豊富なので、下山した達成感を満喫しながら甘いものを食べられますよ〜。
雲取山は東京都にもまたがる山ですが、携帯電話の電波が入りにくく、あらかじめ終バスの時刻など必要な情報はメモをとるなど、事前収集しておくことを忘れずに! あと季節によっては、熊が出やすいので要注意です。
初日は西武秩父駅からバスで三峯神社へ。そして雲取山荘まで歩く
西武秩父駅から「三峯神社」行きのバスを利用し、終点の三峯神社バス停へ(1時間15分)。土日なら8時30分の始発があります(平日は9時台)。
9時45分に到着後、傍の駐車場で準備を整えて、トイレを済ませましょう。近くの三峰ビジターセンター前の登山口から約15分歩くと、三峯神社奥宮の一ノ鳥居に到着します。登山届けはここで出せます。バスなどの交通機関の時間は変わることもあるので、登山計画の時にチェックしましょう!
ここから先は樹林帯。日陰になるため、少し暗いです。
1時間半程度で地蔵峠に到着。地蔵峠からは奥秩父のすばらしい景色が見られます。
見晴らしが本当にいい!!
中央の奥に両神山(埼玉県にある日本百名山のひとつ)が見えますねー。
しばらく景色を堪能します……。
数分歩くと、岩肌にこんなレリーフが登場します。びっくり。
突然目の前に現れたレリーフは、秩父宮両殿下のもの。霧藻ヶ峰という地名も、秩父宮殿下が昭和8年の夏に雲取山に登られた際、サルオガセ(霧藻)があったため、そう名付けられたとのこと。
昭和8年、ということは単独行を切り開いた登山家、加藤文太郎氏が活躍していた時代ですね。
秩父宮殿下は登山が趣味でいらしたようで、イギリス留学中にはマッターホルン(4,478m)にも登頂。当時の山の装備ってどんなものだったんだろう……。
縦走のひとつ目の山頂、霧藻ヶ峰へ到着! 登山口が1,100mだったので、400mは上がりました。歩行時間がある程度あっても、ちょこちょことピークがいくつかあると、気分的に飽きず、楽しい山歩きができるんですよ〜。
霧藻ヶ峰の山頂からはやや岩がある登山道となり、ちょっとした鎖場も出てきます。
前白岩の肩から前白岩山までは約20分とすぐ。
案内板が出てくるので、それに従い白岩山(1,921m)へ。
近くにベンチがあったので、少し休みます……。ふう~っ。
次は「大ダワ」を目指します!
大ダワって、地形が大きくたわんでいるところ、峠の場所を意味するんだって。
この先、20分歩けば雲取山荘です。
今回は、テント泊なので受付で利用料を支払います。
受付が済んだら、すぐにテントを設営しちゃいましょう。
1日よく歩いた〜〜!
初日の山歩きはこれで終わり。おつかれさまでした。
ご飯は、コミックス第6巻60話を踏襲して「インド風本格ヨーグルトカレー」!
家で具材をカットしたりスパイスに漬け込んだりなどの下準備をしておけばあとは焼くだけなので、思ったより面倒ではないのだ。ちなみに、黄色のご飯も全然手間じゃないのですよ。
コミックスの雲取山登山では、食事のメニューの一部は一緒なのですが、今回とはルートがやエピソードが全然違うので、ぜひ読んで山行の違いをチェックしてみてくださいね。
2日目はいざ山頂へ!
朝は7時には歩き始めます。
このまま山頂を越えて鴨沢まで行くルートなので、テント類などすべて撤収しましょう。
雲取山山頂までの途中に、こんどは富田仙人のレリーフがありました。
富田仙人とは、雲取山荘の初代管理人富田治三郎氏です。
秩父宮両殿下といい、昭和初期の登山ブームでは雲取山に多くの登山客が訪れたといいます。秩父鉄道が昭和3年に山荘の前身となる武州雲取小屋を建設し、2年後の昭和5年に秩父鉄道の三峰口駅が開業してアクセスがよくなったからなんでしょうか。
2016年に新たに設置された、ピッカピカの山頂の標識です。
だいぶ霧が立ち込めてしまいましたが、とりあえずここで朝ごはんをとりました。
あとは鴨沢まで下りる。道迷いに注意
山頂からは避難小屋を過ぎ、景色がすばらしいという七ツ石山(1,757m)まで上がります。また上がるのか!? と思ってしまいがちですが、この後、とっても素敵な七ツ石山の稜線、石尾根縦走路の景色が待っているのです。が、今回はガスってしまったので借り物の写真です(泣)。
この先はヘリポートを過ぎ、そこからはずっと下りです。
さて、標高が下がると林が増え、さらに迂回ルートがあるので道迷いしやすくなります。視野を広くとって道を確認しながら歩きましょう。
舗装路を見ると、山歩きが終わってしまったさみしさに加えて無事に終えられた安堵感が湧き上がり、不思議な気持ちになります。
ま〜……それにしてもよく歩いた!
雲取山にはツキノワグマが生息していて、シーズンによっては遭遇することも多々あるといいます。そこもドキドキしていたポイントでした(熊鈴やラジオがあると安心!)。
バスの本数が少ないので、鴨沢もしくは所畑バス停を使って奥多摩駅に向かいます。
麓に下りたら恒例の温泉で汗を流して、地元のおいしいものなどおみやげを買って帰ろうっと。今回も、いい週末でした!
都会に住んでいると暮らしのなかで自然を感じることは難しいですが、東京は交通網が充実しているので車の運転ができなくても、意外とどこにでも行きやすいんだなって山歩きをしてから気がつきました。夜行バスやLCCを利用すれば、交通費を節約して地方に行けます♪ 山を歩いて、その訪れた土地を知ることってとっても面白いです。
とはいえ、コロナ禍が明けるまでは近場の山歩きや、体作りと勉強に専念しようかな!
「日々野鮎美の山歩き日誌」の読者のみなさんへ
今回の記事は、連載終了後に登山ガイドブックとして再編集する前提で、2019年10月初旬に取材したものです。現在の実際の季節(2月)は凍結、積雪することもあり、紅葉シーズンとは全く別の知識・装備・体力が求められます。安全に楽しく山歩きをするため、以上の点を、どうぞご注意ください。
そして、この雲取山のガイドが、「日々野鮎美の山歩き日誌」の最終回になります。2019年6月13日に配信した高尾山から数えて、なんと25回。長きにわたって読んでいただき、ありがとうございました。今年の初夏には、この連載をまとめたガイドブックを刊行予定です。コミックス『山と食欲と私』同様、ガイドブックも楽しんでいただけたらうれしいです、では、みなさん、またどこかの山でお会いしましょう。
文・構成 井上綾乃
取材協力 石津谷知子
関連サイト
京王バス・西東京バス(所畑 時刻表)
(鴨沢 時刻表)
雲取山荘
<くらげバンチ 山と食欲と私>
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日々野鮎美
ひびの・あゆみ 27歳、会社員。漫画『山と食欲と私』の主人公。「山ガール」と呼ばれたくない自称「単独登山女子」。美味しい食材をリュックにつめて、今日も一人山を登ります(たまには友人や同僚と登ることもあるよ)。
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『山と食欲と私』公式 鮎美ちゃんとはじめる山登り―気軽に登れる全国名山27選ガイド―
2021/06/28発売
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イラスト・監修 信濃川日出雄
しなのがわ・ひでお 新潟県出身。北海道在住。2007年のデビュー以来、ジャンルを問わず多岐にわたって執筆し、『山と食欲と私』が累計100万部を突破、大人気シリーズとなる。現在もくらげバンチで同作を連載中。
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MAIL MAGAZINE
とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥