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マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること

 困ったことが起きた。予想外だった。連載を2か月も休ませてもらったのもそのせいだ。

 なにが予想外って、父がまったくもって元気なのだ。年相応の老いはある。数年前よりずっと若々しいということもない。しかし、父なりに毎日つつがなく暮らせており、最近はバランスのとれた食事の写真と共に、プーチンへの呪詛がLINEで送られてくる。元気以外のなにものでもない。読者の方から、なぜか週刊新潮のほうに「ジェーン・スーの父親は元気でやっているのか?」とお問い合せまでいただいたというのに。ご心配をおかけいたしました。

 つまり、父の日常生活において、これ以上改善する点がなくなってしまったのだ。よって、新たに書くことがない。

 この連載では、父娘のすっとぼけた日常を綴った前作『生きるとか死ぬとか父親とか』よりも、介護予防に役立つ実用的な内容を実践し、上手くいったことも失敗したことも、わかりやすく記そうと心がけてきた。読者に役立つ情報を、具体的に載せようと努めてきたつもりだ。

 ピンピンコロリを目指し、要介護になる日を1日でも遅らせようと父とタッグを組んだのが約2年前。なにが炭水化物でなにがタンパク質かもわからない汚部屋住まいのお爺さんの生活を改善するのに、やること教えることは山ほどあった。居室の大規模清掃と整理整頓、ハウスキーパーを頼んだり止めたり、デリバリーを試してみたり、さまざまなトライアル&エラーの繰り返しで時間は過ぎていった。

 父は時に精力的に、時にブツブツ文句を言いながらも、おおむね協力的に取り組んでくれた。これらが積み重なり、現在の安定した日常が、暫定的ながら盤石の地層となって父の足元を支えている。本来ならめでたしめでたしなのだが、結果的に書くことがなくなったのは皮肉な話だ。

 休載中の2か月の間に、やろうとしていたこともあるにはあった。なによりも、かかりつけ医での認知症チェックだ。以前、身体的虚弱、心と認知の虚弱、社会性の虚弱を表すフレイルと、生活に必要な筋力が低下することを意味するサルコペニアについて、信頼の置けるサイトでチェックをした。「介護予防窓口に相談してみましょう」という結果が出たものの、速やかに対処すべき問題点はなかった。

 私は父と同居しているわけではない。見逃している点がないとは言えない。やはり、きちんと検査をしてもらい、それを踏まえた上で、地域包括支援センターに要支援の必要があるか判定してもらったほうがいいだろう。

 にもかかわらず、当時の東京は新型コロナウイルスの第六波の真っ只中。迂闊に出掛けて感染してもらっては困る。3回目のワクチン接種が無事に終了したとはいえ、まん延防止等重点措置が再び始まったこともあり、病院へ行くことを父に勧めるのは不適切だと判断した。作戦は初動でつまずいてしまった。これが2回続いたのが、2か月休載の具体的な理由。言い訳がましくて申し訳ない。

 毎日連絡はとっていたものの、私も父には2か月会えずじまいだった。その間に、知人のご尊父がコロナで亡くなった知らせが入ってきた。ご冥福をお祈りしつつ、どうしたって我が父の顔が頭に浮かぶ。とにかく感染さえしなければ上出来と、祈るような毎日だった。父もかなり慎重に過ごしており、家からほとんど出ずに暮らしていた。それでも生きていられたのは、「誰か(・・)(傍点)」が食材を持って訪れてくれていたからなのだが。

 この点に関し、他者との接点を頻繁に持つことに不安がないわけではなかった。しかし、これはあくまで父の人生であり、父の生活である。お相手も年金暮らしのご老人である故、毎日大勢の人と会う私よりは感染する確率は少ないだろう。事実、この2か月の間に私の周囲での罹患者は過去にないほど増えた。

 私がようやく父に会えたのは、3月26日。父の誕生日だった。なんと、父は健康体のまま84歳になった。20歳前後で結核を患い、肺の半分を切除するほどの大手術をしたというのに、鬼籍に入った母より20年も長生きしている。しかも、ひとり暮らしまで! サポートしてくれる人がいるとはいえ、母が生きていた頃は右のものを左に動かすことさえできなかった男だったのに。

 誕生日は、2か月ぶりに墓参りへ行った。久しぶりに会った父は、年相応と評するにピッタリな状態だった。所謂、そこそこ元気な後期高齢者。痩せても太ってもいない。足を引きずるような仕草をしたので尋ねると、外出できない間に足腰が弱ってはいけないと、室内運動のステッパーをやり過ぎて筋肉痛になったという。筋肉などほとんどないのだから、股関節でも痛めたのだろう。にもかかわらず、緩やかだがのぼり坂の、墓までの道は難なく歩けた。

 誕生日なのでどこか良いところでご飯でもと思ったが、生憎そのあと私に仕事があったので、いつものファミレスで昼食をとることにした。サラダ、ハンバーグ、付け合わせのポテトとスープ、デザートをペロリ。1100キロカロリーくらいは摂取しただろうか。つまり、元気である。よく歩きよく食べる父を見て、不謹慎にも「あーあ、書くことがない」と思ってしまった。なんと不埒な娘。

 懸念事項があるとすれば、夜中にトイレに行く際に、寝ぼけて壁に頭を打ち付けることがあることくらい。転倒まではいかないらしいが、ゴチンとやることがある。恥ずかしながら、私も深夜にトイレへ行く際に、寝ぼけまなこで壁に激突することがある。遺伝なのだろうか。

 そう言えば、スリッパを履いている時につまずいて壁にぶち当たるとも言っていた。高齢者用スリッパを探してみたものの、ピンとくるものがなくて放置したままだった。

 高齢者用のスリッパには、転倒防止の滑り止めや、脱げないよう足の甲を覆う部分にマジックテープが施されているものが多い。しかし、父がつまずくのはつま先が脳が出した指令ほど上がりきらないからで、スリッパの問題ではないのかもしれない。リハビリに近い運動で改善される可能性はあるものの、一朝一夕にとはいかないだろう。

 ふと、誕生日プレゼントに室内で使うための杖はどうだろうと思った。手元のスマホで調べると、4点で支えるもので、高さ調整もできるタイプが3000円台から売っていた。なんの気なしに提案してみる。家の外を杖をついて歩くのはプライドが許さないだろうが、深夜のトイレまでの距離ならかまわないかもと思ったのだ。

 私の提案を聞くや否や、父はキッと私ににらみをきかせ、「杖はいりません!」と語気荒く言い放った。まだこんなに大きな声をハッキリ出せるのかと感心した。言い方が面白くて笑っていたら、ふざけた父が何度も「杖はいりません!」と繰り返す。あまりに面白かったので、これから定期的に杖の提案をしようと思ったくらいだ。

 あえなく杖は却下され、代わりに所望されたのがノートブックパソコンだった。以前にも欲しいと頼まれ、父と家電量販店に行くところまでやったのだが、父の話を聞けば聞くほど不必要とわかったので、私はのらりくらりと(かわ)していた。しっかり覚えていたようで、記憶力にも問題がないことが判明した。少しくらい忘れてくれたっていいのに。

 とまれ、84歳になった父に認知症の症状が出ているかを確認することは必要だ。第七波が到来する前に、かかりつけ医でのチェックは済ませておきたい。

 父にその旨を伝えると、1週間後に病院に行く予定があるので、その時に尋ねてくれるとのことだった。

 ここで、「ちゃんと聞いてきてね」とだけ言っても、のちのちトラブルになることは知っている。私は診察の当日に、医者に尋ねて欲しいことをLINEで送った。「当日」であることが肝だ。それより前に送っても、その後のやり取りに埋もれてしまい、父は探せない。

 私が父のLINEに送ったのは、次の2点。

・認知症の症状が出ているかを確認する、一般的な検査をしてほしい。

・虎の門病院(父のかかりつけ病院)で行うのが難しいならば、専門の医療機関を紹介してほしい。

 至ってシンプルだが、だからこそ文面にする必要がある。簡単だからと言づけだけにすると、まったく必要としていない答えが返ってきて、それをあやふやな記憶で語られることになるのだ。過去に何度かやらかしている。

 1週間後、父から答えが返ってきた。結論から言うと、検査の必要はなし。数か月前にめまいがひどいからと全身くまなく検査した時に、神経科で脳も細かく調べ、認知症についてもチェックしたのだそうだ。早く言ってよ!

 めまいは未だ完治していないものの、認知症の疑いがないことがわかってよかった。洗濯など身の回りのこともほとんどできているし、これでは地域包括支援センターから要支援1すらもらえないだろう。

 父の健康状態がいまのままである限り、それを維持することが私の責務となる。トライアル&エラーの末に着地したいくつかの決めごとを守り、変化がないか見守ることを続けるのみ。箇条書きにすると、

・毎日LINEで食べたものと健康状態を報告してもらう。

・月に一度は墓参りに行き、前回できていたことができるかを確認する。

・会った時は必ず食事を共にして、食べられる量が減っていないかを確認する。

・家での食事に困った時は、大戸屋か中華料理のデリバリーを遠隔で手配する。

・2か月に一度は家を訪問し、居室の乱れなどがないかを確認する。

・病院へ行く際は事前に知らせてもらい、なにを診断されるのかを聞いて、わからないことはネットで調べておく。

・病院で尋ねて欲しいことがある時には、診察日の朝にLINEで文言を送る。

・欲しいものがあったら、無理のない範囲で買ってあげる。

 父の精神的、肉体的に健やかなひとり暮らしを目指し、業者を手配して居室の整理整頓から始めたこのプロジェクト。父の個人的サポーターに頼りつつ食育を施し、目玉焼きや肉炒め程度は自分で作れるようになった。ステッパーやEMS機器を使った体力作りも続いている。最初はどうなることかと頭を抱えたが、ひとまず形になったと言えよう。幸運なことに、2年経ったいま父は元気である。

 やや唐突だが、担当編集者さんと相談し、連載を一旦終了することにした。父に変化があれば、その都度新潮社のどこかの媒体で書かせていただけるそうで、ありがたい。

 老いが止まることはないので、父に必ず変化は訪れる。それを心待ちにすることはないが、変化があったら、私はまた書くだけだ。

 読者のみなさんがいてくださったおかげで、父と私は大きな喧嘩もせずにプロジェクトを続けてこられた。「お父さん、仕事だよ」のひと言で回避できたトラブルは数え切れない。父の健康維持に一役買ってくださったことに、心から感謝します。またなにかあったら、その時に。

 ひとまず、父は元気にやっております。18回の連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。 

(了)

※「マイ・フェア・ダディ! 介護未満の父に娘ができること」は今回が最終回となりますが、以降「番外編」を掲載する予定もございます。なお当連載をまとめた単行本を、新潮社から刊行予定です。ご愛読ありがとうございました。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

ジェーン・スー

1973年、東京生まれの日本人。作詞家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ。TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める。『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『生きるとか死ぬとか父親とか』(新潮文庫)、『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)、『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』(文藝春秋)など。

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