「御つくりおき」というとハードルが高そうなイメージがあります。けれど普段あまり意識していないだけで結構たくさんの人が実は職人さんのお世話になっているものです。京都の外でもそれは同じ。その代表が眼鏡でしょうか。最近は安売り店なんかも増えてきましたが、そういうところでも眼鏡である以上、人それぞれの視力に合わせて御つくりおきされるのが普通です。
わたし20代の半ばからずっと眼鏡男子でした。伊達だったんですけどね。指輪やネックレスはおろか、腕時計でさえ衣服以外で体に密着するものがとことん苦手なわたしにとって唯一身につけられるアクセサリーが眼鏡だったものですから、伊達ではあるけれどそれなりに気もお金も使ってきました。
わたしが伊達だと白状すると、あんな面倒くさいもの、よくもまあ、と、これを必需品としている人ほどみんな呆れ顔でした。が、そんなことを言い出したらすべてのアクセサリーを否定せねばならなくなります。女性のメイクアップとかも似たようなものでしょう。あれだって嫌々塗ってる人がいないとは申しませんが、それなりに愉しんでいるのが多数派のはず。色ものを揃えるコレクション的な悦びとかもあるでしょうし。
あと、それこそメイクする感覚に近いかもしれませんが眼鏡には「顔を作る」って側面もありますよね。わたしはのっぺりしたご面相のうえに一分刈りですから、それこそ眼鏡でもかけないと凡そアクセントというものがなくなります。小型の入道か太りすぎのぬらりひょんといった風情。これで髭でも蓄えられれば印象も変わるんでしょうが、あまり濃くなくて無精髭が精々(なので常に生やしてます)。
最初にハマったメーカーは「白山眼鏡店」。純粋に顔映りがいいように思いました。好きなデザイナーの服にもよくマッチしてくれたし。毎年のように購入してたので、のちに本当に必要になったとき新しい型も買ったついでに古い品番を持ち込んで予備も誂えたんですけど、そのコレクションを見て古株の店員さんが「骨董品ですよ! いまやうちの資料室にも残ってません」と大笑いしてらっしゃいました。
それこそ骨董がマイブームとなったこともありましたね。京都には天神さん、弘法さんという大規模な蚤の市が毎月あって、そのどちらもが古美術から古着、古雑誌、正体不明の古道具まで玉石真偽混交の混沌とした品揃えを誇る絵に描いたようなフリーマーケットです。とりわけ北野天満宮で催される天神さんは実家から歩いて10分の距離でしたので昔から様々なものを手に入れてきました。ここ掘れわんわんとほじくり返すと大判小判こそ出てきませんが昔の戦前戦後あたりの眼鏡フレームなんかはざくざく。これに惚れたんです。
ちょうど【レトロ】なんて符丁が流行していた時代でもあったので「正直じいさん」になった気分で買いまくりました。が、それでなくとも小柄だった一昔前の日本人のための眼鏡ですから、そのちいちゃいことちいちゃいこと。半日もかけているとツルの当たるコメカミやセルを引っかけた耳の後ろ、パッドに締めつけられた鼻梁の両脇が痺れるように痛んできます。いくら可愛くても顔面拷問は勘弁。熱は冷めてゆきました。
メーカーとしては英国に移住してからは「Cutler and Gross」や「Kirk Originals」といった、こちらの眼鏡屋さんに傾倒。日本の店ではみたことのないような派手なデザインや遊びのあるシェイプに夢中になりました。
けれどわたしは所詮は平たい顔族です。こっちの眼鏡は、こっちの人たちの顔に合わせて作ってあるのです。頭部に奥行きがあり、眼尻から耳にかけてが長いので最初は気づかなかったけれど、ヘンなところに隙間ができてたりして、かっこ悪いんですよ。日本の芸能人がシャネルとかのおっきいサングラスをかけてるときの、なんともいえない滑稽な感じ。あれです。どんなに綺麗でも、ああいうのはガイジンさんでないとね。
ガイジンにはガイジンの眼鏡があるように、京都人には京都人の眼鏡があるのだ。――という結論に行き着いたのは、もはや必然と言っていいかもしれません。
わたしがいまメインでかけているのは「眼鏡研究社 玉垣」で拵えていただいたもの。市内きっての繁華街ではありますが、どちらかというと観光客御用達の感がある新京極アーケードのごちゃごちゃした風景の中にある、そこだけ異なる時間が流れているみたいな明るい、しかし静かな佇まいの小さな眼鏡店です。
創業は明治ということですから、この通りがよそさんに支配される前からお商売をされていたんでしょう。
わたしがこちらを知ったのは80年代末。ちょうど蚤の市を漁っていた頃でしょうか。ロイド眼鏡が欲しくて方々を捜し歩いていました。たぶん映画『グラン・ブルー』を観て、ドラえもん、もといジャン・レノに憧れたのが理由だったはずです。ところが、これがなかなか難しい。誰が教えてくれたのか「眼鏡研究社 玉垣」さんならあるんじゃないかと聞いて訪ねたのでした。
あったあった。確かにこれはレトロ。いや、そんな流行語で表現しては申し訳ないフォルムだと思いました。クラシックと呼ぶべきなのでしょう。なのに古臭さが微塵もないのは、古典的なデザインをしっかりと解析して現代のスタイルに再構築しているからでした。
雑談をしていると、ご主人はかなりの古眼鏡コレクションをお持ちだと分かりました。昔のデザインにインスパイアされながら、それらをオリジナルフレームとして蘇らせる仕事をなさっているのです。これは決して新しい酒を古い革袋に入れているのではありません。まして換骨奪胎でもない。まさに温故知新の精神。京都を律する革新性の顕現です。
そういうラインアップですから、お店にはかなり本格的にロイドに近い形のものもいました。小躍りしながらかけてみると全然似合わなくて、ちょっとショックでしたが(笑)。こればっかりは、まあ、しゃあない。眼鏡に合わせて顔を変えるわけにも参りません。
最終的に買ったのはロイドそのものではないけれど、ロイドの香りをほのかに漂わせた、単なるレプリカをはるかに超えてキュートな一本。しかもそれが、この2年ほどいちばん活躍してくれている眼鏡なのです。10年20年以上前の伊達時代の買い物が、まったく時間に疲弊することなく現役として使えるのは驚き。オリジナルデザインなればこその有り難味です。
顛末を簡単に解説いたしますと、買った当時はあくまでアクセサリー感覚だったがゆえに気に入っていたにもかかわらず、この眼鏡はワン・オブ・ゼムとして半分ほったらかしになってしまったのです。英国デザインに夢中だったのも理由のひとつかもしれません。ただこれはわたしの印象に過ぎないのですが、こちらのフォルムには英国眼鏡の影響が感じられるんですよね。あえて言葉を選ぶとしたら【洒脱】ということでしょうか。
閑話休題。これに度つきレンズを入れてもらおうと思いついたのは本格的に老眼が進み、さらには糖尿のせいでかなり視力も衰えてきたからという現実的な理由です。白山のもまだ自家製骨董が残ってるけど、せっかくだからこんどは玉垣さんのを使ってみよう。と、コレクションボックスから取りあげました。
かくて一昔前に入手したただの装身具が、御つくりおきのプロセスを経て実用品と相成ったわけですが、このときに初めて「眼鏡研究社 玉垣」という店の最高の価値は緻密な視力検査とレンズ選びの確かさにあるのだと知りました。もちろん他の店でも、しっかりしたアイテストはしてもらってましたよ。ご主人の玉垣さんのチェックは、むしろあっさりしているくらいだった。なのに、その仕上がりときたら! それこそ世界が違って見える。
思い出したのは、あれです。ほら、指圧やマッサージ師さんで特別に力を込めているわけでもないのに、施術が終わると体がすっかりほぐれてる場合があるじゃないですか。ゴッドハンドとでもいうのでしょうか。
まさに玉垣さんはゴッド技師だったのです。
わたしは左右の視力にかなり差があるのですが、これも綿密に調整してくださっていて感激しました。なによりびっくりしたのは英国での視力の定期検診を受けたとき。検査医師さんに「いったいなにごと? 視力が回復してるわよ。しかも左右のバランスが取れてきてる」と言われたのです。眼鏡を変えたくらいかなあというと、「ありえないから」と首を振っていました。
御つくりおきには様々な魅力があります。しかしやはり核にあるのは実用品としての精度、価値を高めてくれることじゃないでしょうか。眼鏡づくりはそれを実感するいいチャンスかもしれません。生活のいろんな側面で、視界がクリアになるみたいな気分が味わえるのが御つくりおきのよさなんですよ。
こちらの眼鏡は軽いわりに丈夫な造りですけれど現在の眼鏡をあまりにヘビロテさせているあまり、いま、わたしはこれが壊れてしまうのが大変に怖い。ので、こんど帰国したときは次のを新調する予定でいます。
視力は戻ってきても老眼であることには変わりないので、わたしは嬉しいときの大村崑みたいに、しょっちゅう眼鏡を下げて上目遣いで回りを見ています。こちらのお店のセルロイドフレームは上辺部を削りだすことでズラさなくても視線を上げるだけで遠くが見渡せる眼鏡にしてくださるんです。きっとデザイン的にも面白い。フォルムの表情がかなり変化するでしょう。
まさしく御つくりおきならではの快感ですね。
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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