「縁は異なもの味なもの」とか申しますが、いまはまるで一緒に暮らす仲間のような我が家の道具たちとの出会いも様々です。散歩の途中にたまたま通りかかって手作りの茶筒なるものに好奇心が動いて御免くださいした「開化堂」さん。当時は町工場のような外見で、ちょっとばかり入店に勇気がいりました。見かけが違うといえば「一澤帆布」さん。まるで倉庫。こちらは全判の画板が入る鞄ということで美大予備校の先輩に教えてもらったのが始まり。
面白いところでは「金網つじ」さん。こちらとのお付き合い最初の一歩はプレゼントでした。もう15年ほど前になります。平松洋子さんから「入江さんはご存知かもしれないけど」と頂戴したのがそもそもなのです。彼女とは、ご縁があって帰国の折にはときどき食事をご一緒していただいているのですが、その席でのこと。
いまではすっかり金網つじの「顔」になっているセラミック付き焼き網がそれでした。コンロにかけるだけで遠赤外線効果がトーストをふっくら焼いてくれる優れもの。なんの手順も必要ないだけに「おお!」という感動がありました。――ただ味わいだけに限っては正直あまりピンとこなかったんですよね。英国生活が長いせいか、それこそ Toast の意味そのままに塩せんべいみたいにカサカサに乾いたトーストを好むからです。
あと、おひとり様用サイズなので一枚ずつしか焼けないのよね。二人以上だとどちらかがおさんどんに徹する必要がある。冷めちゃうから。とはいえそれらを補う利点もあって、片面を焼いてから引っくり返してそこにバターを乗っけると冷蔵庫から出したばかりでも、もう片面が焼ける間に塩梅よく柔らかくなるのがイイネ!
ともあれ本品はおそらく独り暮らしの食卓のほうが向いてるんじゃないでしょうか。なんというか、こういうものを使うことでずいぶん、おひとりさまのテーブルの侘しさが軽減する気がします。50歳まで結婚未経験の人の割合「生涯未婚率」が最新の国勢調査の結果、男性23.37%、女性14.06%にまで拡大しているとか。わたしはそれが決して悪い選択だとは考えません。しかしそんな時代だからこそ生活の工夫は必要なんじゃないか。この焼き網はそういう現代のライフスタイルにすごくマッチしているんです。
そんなわけで平松さんに貰ったという嬉しさを足しても「これがなくちゃ!」という座右の道具にこそならなかったセラミック付き焼き網でしたが、「金網つじ」というお店そのものにはものすごい興味を覚えました。
「全部手編みなのよ。おしゃべりなご夫婦が延々と口を動かしながら延々と針金を編んでいるの」
という言葉に猛烈に惹かれました。
京都の職人は、これは経験からくる印象論なのですが知っている範囲ではみんな超のつく話好きです。癖のあるひとは多いですが、寡黙とか気難しいとかはイメージでしかない。そして、おしゃべりの楽しさと腕のよさはほぼ比例する。みんな怒涛のように話をしながら指先だけが別の生き物みたいに仕事をしているのが京職人。
なので毎回ちょこっとしたものを買わせていただきながらも辻ご夫妻の工房を訪ねるようになったのは当初は半分がおしゃべり目的でした。現在は高台寺に立派なお店を構えてらっしゃるけれど、そのころは店先のショウケースにちまちま小さいものが並んでいるだけでしたし。それが、ある日をきっかけにこちらとわたしの関係のダイナミズムが大きく変化することになったのです。
祇園の細い路地裏に「なか原」という割烹があります。繊細でありながら神経質ではなく、すみずみまで行き届いた料理を出してくださる本当に気持ちのよい店。大将は若いのだけれど器の趣味も大変にいい。料理同様、ディティールまで気を抜いていないのが判ります。そんな店だから、たとえば灰皿ひとつでも〝しゅっ〟としているのは驚かないのですが、本来食卓にはそぐわないアイテムだからこそ気配りされているところは存外少ないんですよねー。無意味に立派すぎたりとか。
なか原のそれは味わいのある信楽の筒で、ちょうど半ばに浮くように内径に合わせた脚付の金網が仕込まれていました。シンプルなアイデアだけどいいですねえと褒めると「金網つじ」さんに御つくりおきを頼んだのだとおっしゃる。おお、ご夫妻ともよく存じております! と話が盛り上がりました。へー、あっこ、こんなこともしてはるんや。
次にお邪魔したとき、さっそく灰皿の中敷きについて尋ねると「言われたら何でも拵えまっせー」と御主人。いまも、と、手元からひょいと持ち上げられた輪型の金網は直径がおよそ60センチはあろうかという代物。サイズの割に細い針金で編まれています。しばし推量しましたが用途はさっぱり見当もつきません。
答は、なんと金魚鉢の蓋! むかしはよく大ぶりの陶製の深鉢や水盤を金魚鉢にして縁側や上り框、沓脱石の脇などに置いていたものですが、そういうものに被せるネット替わりに注文されたのだそうです。庭に野良猫が侵入するようになったのだとか。なんと粋な。亀甲目を透かせて泳ぐ金魚を眺めるのも乙なものでしょう。
金魚鉢蓋に感銘を受けたわたしは、辻さんたちが親切で、またそういう誂えものに挑戦するのに喜びを覚える生粋の京職人だったものですから、それからというもの何かにつけて御つくりおきをお願いするようになりました。もしかしたら、あの人また来はった。もう、いらん。とか裏で言われていたかもしれません。それくらい、いろいろ変てこなものばかり制作依頼しました。
我ながらヒットだなあと得心したのは「天かす掬い」。
肉厚で半生加減も絶妙なおあげさんは京都人のソウルフード。サイズだって優に洛外の倍はあります。ロンドンに暮らしていて最も恋しくなる食べ物のひとつです。ないものは見立てるしか手がないので普段ならおあげさんを使うところをいろんなもので代用してポジティヴに自己韜晦しているわけですが、とりわけ重宝するものに天かすがあります。
ほとんど残った衣で天かすを揚げるために天婦羅を作ってるんじゃないかというくらい出番が多い。
わたしは海老アレルギーなんですが、なぜか乾燥していると平気なので余り生地に桜海老や干海老をぱらぱらと混ぜて「贅沢天かす」にします。きつねやきざみ(甘く炊かずに薄味で煮て拍子木に切った具)はこちらでは無理ですが、これをたっぷり散らして啜るとかなり近い悦楽があります。たまに海老を噛み当てたときの幸福感ときたら! 葱をたっぷり奢って、天丼ならぬ天かす丼にするのも結構なものです。お試しください。
閑話休題。たかが天かす。されど天かす。ましておあげさん不在により重要度が増していますから、なんとかレベルの高いものを作りたい。ですが、これがなかなか大変なの。からっと色よく、しっかり油の切れた揚げ玉にするにはコツが必要。なによりタイミングが肝心。そこでお願いしたのが天かす掬いだったのです。
結果は上々でした。揚げ鍋の表面を浅くするっと撫でるだけで採り落としなく天かすがレスキューできちゃう網はトーキョートッキョキョカキョクに申請したくなるくらい素晴らしい働きをしてくれます。感極まって同じものを作っていただき件の焼き網のお返しということで平松洋子さんにも(無理やり)差し上げました。
場所は新橋の「鮎正」だったのを覚えてます。御挨拶に出ていらした大将にわたしの興奮が伝わったのか「これは本当にしっかりできてますねえ。プロの道具だ。近ごろは特殊なものはともかく、プロが手掛けるなにげない道具をとんと見なくなりました」と褒めて下さったのがとても有難かったからです。
最近のなかでは息子さんの徹くんに頼んだ鍋敷きが上出来でした。いつも卓上に置きっぱなしだからこそ目に心地のよいものが欲しかったのです。これぞ! という一品になかなか出会えないアイテムでもありました。重い鉄鍋を載せても安定していることだけが条件でお任せしたんですが想像した以上にいい感じに仕上げていただけて、なんだか感無量。
それというのも御両親と雑談に打ち興じていた時代、亡くなられた奥さんが「もう、うちの息子は阿呆でデブで家のこと構いよらへん、しゃあないやつですのや」とけちょんけちょんだった彼が、こんなに立派な道具を作れるようになったなんて。以前から愛されキャラで一生懸命ではあったけど、どこか職人であることに納得していないようなところがあって、それが作るものにも表れていたんですが、そんな影はどこにもありません。矜持を以て針金を編んでいるのが窺えます。
某有名週刊誌に好きな食べ物を訊かれて「ロコモコの最後、皿に残るぐしょっとしたとこがあるでしょ。あっこが大好物ですねん」と答えたものの記者の誘導質問で「おばんざい」と書かれてしまった徹くん(某誌の記者には猛省を促したい)。そんな彼なりの彼らしいプロの道具が誕生するのをわたしはわくわくしながら待っているのです。
ちなみにわたしがそれとなく注文しているのはセラミック付き焼き網の、ネット部が菊花に編まれたもの。というのもこの道具のレーゾンデートルは焼き目の美しさだと考えているからです。
今回の写真は平松さんからの下賜品からセラミック部が改良された新型で炙ったトースト。パンの食感は向上したけど焦げ跡のパターンは以前のほうが断然美しかった。だからぜひ「金網つじ」ならではの繊細な菊花網目が刻印されたトーストが焼けるやつ、お願いね!
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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