うちの実家は西陣の髪結いでした。けれど紺屋の白袴と申しましょうか、わたしは髪を染めたこともパーマをかけたこともありません。それどころか凝った髪型に整えてもらったことすらない。テクノ時代に刈り上げたりもしなかった。基本7:3の横分けで、70年代は普通に伸ばし気味ではありましたが長髪というほどでもなく、気がつけばベリーショートが定番に。40代半ばでハゲてきたので、そこからはバリカン1分刈り一択。
ハゲにコンプレックスは皆無です。幸い頭の形が悪くなかったせいもあるでしょうが、役者とかでもハゲた人が造形的に好きなんですよ。なので淋しくなってきたとき「お! いよいよか!」とむしろワクテカだったほど。だから一番みっともないと思っているのがドナルド・トランプみたいなハゲ隠しヘア。人間性すら疑ってしまう。わたしの数少ない《生理的嫌悪》です。
しかし髪って不思議。頭に生えてる毛以上でも以下でもない。目鼻口耳みたいに重要な仕事をするわけじゃない。なのにわたしみたいなのは少数派で、ハゲ問題は世間一般には大問題であるらしい。でもデブ問題みたいに健康に絡んだりはしないのよね。
日本では髪を結うこと=元服が大人になった証。「髪は女の命」なんて言葉もある。かつて断髪は俗世を捨てる儀式だったりもしたし、反対に蓬髪は狂気の表象。なんというか〝どうでもいい〟もののわりには小市民から大統領に至るまで人々にとって大事な意味を持つようです。
なぜでしょう。ものごころついてからずっと髪にかかわる様々な人間模様を観察してきたわりには、これまた紺屋の白袴でいままであまり考察したことがありませんでした。デブ問題とか薄眉問題、鼻ぺちゃ問題、猪首問題、メラニン色素問題、足のサイズ問題。若きヴェルテルが脳内で輪になってマイムマイムを踊っているみたいに肉体的劣等感の塊なのに髪について一切悩まなかったのは思考の埒外だったからかも。
ああ、でもね、ハゲはどうでもいいけど似合わないヘアスタイルは気になります。身近だったがゆえに和装の着こなしにうるさいのと同じ。もちろん、それを相手に言ったりはしません。ちぐはぐな髪形でもハゲ隠しでさえなければ好き好きだとも思う。けれど頭の中では猛然と改善シミュレーションが始まっているのです。
閑話休題。元服や女の命の話は民俗学的に研究するとかなり面白そうではありますが、日常における髪への執着は、つまりはそれが顔のイメージを左右するから、いや、それ以上にその人となりを表わしているみたいに見えるからかもしれません。どちらにせよ印象論でしかないんですけども。
多少いかつくても笑顔でいればいい人そうに見えたりするし実は造作は表情でカバーできる部分があるけど髪はそういうわけにはいかないのも難しいところ。似合う似合わないを越えてヘアスタイルは外見においてかなり支配的なファクターなのは確かです。髪に構わないでいるには「どんなふうに見られたってへーちゃら」と平然としていられる強い心が必要なのでしょう。
しかし世の中には表情を作るのが上手でない人たちがいます。べつに鬼瓦みたいではなくても何を考えているのかわからないというか。素顔なのにニカーブをかぶったムスリムの女性みたいにまったく喜怒哀楽が読めない人。わたしの友達にもひとりいます。強面+無表情+モヒカンというヘレン・ケラーみたいなのが。二重苦だったら老若男女もう掃いて捨てるほど知ってる。
みんな、いいやつばっかりなんですがプロフ写真とか見るたびに思うんですよねー。TAKAYAくんに髪結いしてもろたらええのに……って。
TAKAYAくんは「花結い師」。〝花結い〟とは髪にヘアピースとして(主には)生花を結いつけて飾ること。彼はこれのパイオニアです。
え? 花の髪飾りなんて古代からあった習慣じゃないの? という方は、とりあえず作品をご覧になってください。一目瞭然とはこのこと。TAKAYAにしかない個性、美意識、イマジネーションが文字通り花咲いています。花結いの同業者もいるようですが、みんな露骨に彼の後追いをしている。新作が発表されるごとにパクリが横行するのは彼的には苛立たしいことでしょうが先頭をゆくというのはそういうこと。
彼の仕事は多岐に亘ります。桂由美はじめファッションショウには数多く参加しているし、先日は大手デパートのウィンドウでディスプレイライブを行いました。KinKi Kids 堂本剛のソロアルバムカバーは2人の個性がスパークして素晴らしかった。宝塚トップ娘役に花結いするシリーズも見事なもの。でも、男役での企画でなかったのは残念でした。TAKAYAのスタイルが男役という虚構の性に出会ったとき、それこそかつて見たことのない妖しい花が出現したはずなのに。
ただ彼の本領は彼自身が企画して京都は東山の古刹、建仁寺塔頭の両足院で催した遺影展「―香華 kouge―命の更新手続き」のような世界にあります。20代から60代後半まで50人。葬儀の祭壇に飾ってもらうための花結い写真を撮って、それを展示したのです。これからも元気に生きてゆくための〝終活〟とでもいえそうな、その作品群は感動的でした。
おそらく参加された一般のみなさんのなかには前述したような二重苦三重苦の方々もおられたはずです。が、例外なく美しい。ほんとに、みんなきれいだった。ケではなくハレのお葬式。できることなら、そういう告別式にしたいものだなあと感慨にふけりました。
彼はジャニーズやヅカだけでなく、最近だったらマツコ・デラックスや古田新太にも花結いをしていて、お貌映りも然りながら各々のパーソナリティと響き合ったポートレート――というよりむしろタブロー――を完成させていました。人それぞれに似合う髪型があるように、しっくりとくる花結いも異なります。彼にはそれがしっかり見えているんですよね。
むろん個展作品などとは別に、誰でも予約して花結いをお願いできます。結婚式や成人式などのハレの装いにこれより相応しいヘアピースはなかなかないでしょう。好きな花など要望も聞いてくれますが彼はひとりひとりにマッチングするものを拵えてくれるので、むしろ自分自身を素直に〝晒す〟ことがポイントかもしれません。あなたがタカラジェンヌでもマツコ・デラックスでも、どちら寄りでもTAKAYAの手にかかれば大丈夫。
花結いはその場の即興ですから正確には「御つくりおき」とはいえないかもしれません。けれど、あらかじめ相談したりイメージを伝えたうえで誰でもないその顧客だけのために凝らされる花結いの愉悦はまさに御つくりおきならでは。注文してから出来上がるまでがとても短い御つくりおきなのです。
ちょうど一年ほど前になるでしょうか。いくつかの海外プロジェクトの打ち合わせも兼ねて彼は英国にやってきました。個人的なイベントをひっそり鞄にひそませて。実はちょっとだけ手伝ったのですが、これが非常にエキサイティングなものでした。
ロンドンは数々の市が立つところですが、東部にあるコロンビアロードには1886年ヴィクトリア時代に開業以来続いてきた花市があります。それでなくとも園芸ヲタクの多いお国柄ですからいつも大賑わい。近隣エリアがお洒落になってきた影響もあって粋な雑貨店や美味しいカフェなんかも市沿いに増えています。TAKAYAはここで花を購入して、その場で花結いを無料提供したいというものでした。聞くだに面白そうでしょ?
無許可のパフォーマンスではあるけれど、一応市場のボスに話を通し、タダならいいんじゃない? というお墨付きは貰っていました。本当はテントが借りたかったけどピークには買い物客で立錐の余地もなくなるので場所は市の玄関口にある公園。雨が降ったらおしまいだったけれど運が味方についてくれました。
何往復か花市を流して、そのたびに抱え込んできた花を芝生の上に扇状に広げた眺めはそれだけでもわくわくするものでしたが実際に花結いが始まると、まさに圧巻。最初の数人はわたしの友人連だったんですが、その様子を公園の垣根越しに発見して市場帰りの客や、近隣の住人らが次から次にやってきました。
5時間以上、のべ40人に花結いをし続けたのを鑑賞させてもらいましたけれど、共通する花を使っていてさえ、どれひとつとして似通ったヘアピースがなかったのは驚きでした。そしてそうだと知ってはいたけど実際にお客さんたちの個性に見事にマッチングした飾りになっていたことにも改めて感心しましたね。あと、最後にわたしも残り福を飾ってもらったんですが、この長さの髪にすら結えちゃうテクにも感嘆。
でも、あれですね。自分も含めてですが花を頭にしてもらって嬉しくない人って、いませんね。娘さんに促されて渋々俎板の鯉になったお父さんなんかが、おしまいには微笑を内頬に含んで帰っていくのを横目に、なんだかこっちまでがえらく幸福な気分になったものでした。ちょっと愛想のない女の子がどんどん喜色満面になってゆくのにじーんとしたりもしました。
上手い髪結いは確かに人の見栄えをぐっとよくしてくれます。似合う髪型を知ってる人は人生何割か得してるとさえ思う。けれどTAKAYAの花結いみたいにモデルの内面からハレの感情を引き出してこられるヘアスタイリストはまずいません。誤解を恐れず言えば、花結いとはハゲ隠しヘアの対極にある行為なのです。
(写真すべて筆者提供)
関連サイト
花結い師TAKAYAくんHP
http://takaya-hanayuishi.jp/phptest/new_test/bin/index.php
Columbia Road Flower Market
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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