お茶碗を買い替えました。この連載の1回目で書いたようにツレのものは少々口を欠いていたけれど、なんの不都合があったわけではありません。まるでテーブルに置かれた文鎮のように食卓をしっかりと抑える役目を15年間果たしてくれました。不都合があったのは、むしろわたしたちのほうです。そう。歳を喰ったのです。
長年、歳を喰い続けているといろいろ体に影響があらわれます。食事中はとりわけ顕著。来客があったり外食先だと自意識が働いて体面が保てますが、自分たちだけだとなかなかひどい。食べ物が箸先からぽろぽろ逃げてゆく。汁気の多いものは必ず服に染みをつける。咀嚼中に内頬や舌先をひどく噛む。食材がイケズしてでもいるみたいに歯の間に詰まる挟まる。枚挙に暇がありません。
しかしなにより切ないのは量の減少でしょう。いや、体が必要としなくなったんだからそれは仕方がない。むしろ喜ばしいと思わなければならない。そんなこたわかってます。でも、人並外れて喰いしん坊だったわたしは、まるでアイデンティティを奪われたかのごとき心許なさを感じないではいられません。
なにしろ最盛期は一度の食事にひとりで3合平らげていました。お茶碗はもちろん丼。おかわりをよそうのも面倒くさくて炊いたごはんを全部いっぺんに煮物鉢に盛ったりもしてました。先代のお茶碗購入動機は減量を意識したとかではなく、純粋に見た目に惹かれてのことでした。から、初めは3杯も4杯もおかわりしてましたね。それが、ゆっくり減ってきて、ついには1杯が「多い」とさえ思うようになってしまった。
常識的な食欲をお持ちのみなさんは、ここで「なら、よそう分量を減らせばいいじゃないの」と指摘されるかもしれません。そこが喰いしん坊の賤しさ。やっぱりねえ、ごはんはお茶碗の縁から僅かに頂上を覗かせ、ふんわりと山に盛られていてほしいんですよ。
そしてもうひとつ。おかわりがしたい。おかわりって行為は幸福の証。おかわりって言葉は幸福の類語だと信じているので。
あとわたしはお茶漬けが好きなんです。あまり上等の具は必要なくて、動物性タンパクは滅多と登場しません。稀に到来物の「へしこ(塩漬けの鯖をさらに糠漬けしたもの)」や沙魚の佃煮が登場するくらい。別にインスタントでもいいんですが、熱ごはんには冷茶、冷や飯には熱いお茶をかけたのが好きなんで基本的に年寄りくさいものが合う。奈良漬、松葉昆布、梅干、ぶぶあられ。きうりの糠漬けなんかです。
京都の銘割烹「草喰なかひがし」さんではコースの終わり、水菓子の前に「うちのメインディッシュでございます」といってお竈さんに陶製の羽釜を載せて炊かれたごはんが登場します。わたしにとっては世界でいちばん味蕾に嬉しいごはん。たぶん、ほとんどの方にとってもそうでしょう。断る人はまずおられません。
お客さんたちが「もう入らない」と文字通り歓喜の悲鳴を挙げるのを聞きながら、ご主人は「おかわりいかがですか?」と必ず尋ねてくださいます。それはもう蕩けそうな微笑で。それを見るたびごはんというのは、おかわりされたとき、より美味しさを増すのではないかと思うんです。ならばお店と同じごはんは望めずとも、せめておかわりの多幸感で旨みを足したい。
そんな「草喰なかひがし」さんのお茶碗はおかわりがデフォルトゆえに小ぶりです。安定感が心地よい。なので買い替えを意識したとき、まず頭に浮かんだのは〝あの感じ〟のサイズでした。たなごころにくるまって眠るような納まり。できれば十草か麦藁手(どちらも縦の縞々)で。ちょっとくらいホツって(欠け)てもニュウ(洩れない程度のひび)が入っててもいいから江戸末くらいの骨董で見つからないかなあ……
……というようなイメージが先にあり、それはちっとも悪くないのだけれど、しばしば美しい夢想は固定概念化してしまうのが難。なので、いざ探しはじめるとなかなか苦労しました。昨今はネットオークションとかいう便利なものもあって、わたしのイメージはさほど特殊なものではないから検索すれば結構ヒットしました。が、やっぱり自分の目で確かめたいんですよ。こういうものは。
いや、ネットを信用していないのではありません。盲信もしていませんけれど、これだけウェブが世界を覆ってしまうと疑いだしたらきりがない。精々リテラシーを鍛えて利用させてもらいましょう――というのが、私の態度です。
ただできれば、ごはん茶碗くらいは〝ご縁〟があるものを手に入れたいと思ったのです。ほとんど毎日使うからこそ「これだ!」という一碗に巡り合えるまで根気づよく待っていようかなと。食器に限っての話ではありませんが、大事なものが壊れるのと同じくらい、捨てるには忍びないけど好みでないものが長保ちしてしまうのは心がささくれだちますし。
わたしがご縁を授かったのは帰り支度もほぼ終わった日本滞在旅程もゴール目前のこと。陶芸家の向坂典子さんから個展の御案内をいただいたのです。場所は清滝にあるギャラリー「テラ」でした。
彼女は愚妹を通して知った作家さん。常々身内が世話になっており、しかも、もうそこそこ付き合いも長いというのにタイミングが合わずまだ個人展に伺ったことがありません。また「テラ」は、嵐山からバスに乗って30分あまりの山懐にあり、いちど覗いてみたいなあと考えつつも、なかなか行動に移せないでいたところ。これはもはやチャンス、いやそれこそご縁。
京都には個性的なギャラリーが数多くありますが、えっちらおっちらやってきた「テラ」は、すべっと気持ちよい空間でした。遠いと躊躇を催させた道のりも実際に出かけてみればアクセスもよく、迷う要素もなくストレスフリー。最寄りのバス停に到着したときには、その日の陽気にもまして晴々した気分になっていました。
古民家を改造したギャラリー。いささか空間恐怖症じみてぎっしりと向坂さんの作品が並んでいましたが、それがぜんぜん息苦しくないのはスペースが外向きに開いているからでしょうか。アートギャラリーは広くても内に籠った造作が多いので、それだけでも面白い。
反物を流したように長い座卓のうえに、これは本当に個展なのかと一瞬目が戸惑うくらい色も形もテクスチュアも様々な器がひしめく様子は、まるでこれから美味いものが運ばれてくるのを待ってでもいるかのよう。10分ほど山道を歩いて到着するプロセスのせいかもしれません。愛宕山の天狗がいまから食事にお見えになりますと聞かされても素直に頷いてしまいそう。
件のお茶碗は目立つ展示がしてあったわけではありませんが、なんだかスポットが当たってでもいるかのように自然に手が伸び、すると茶碗のほうから掌に入ってきてくれた気がしました。つるんと釉薬のかかった消炭色の地は、まるで福井のお菓子「松露」みたい。
柄は釉の上から線で削り描かれたガイドラインの内側に彩色を施したもので、その年、彼女が始めていた野草百花のシリーズでした。どの草花も活き活きとして香りまできこえそう。それもそのはず向坂さんは、それらをすべて自分の足で採取して何度もスケッチを重ねたうえで柄に起こしているのです。
みんな違ってみんないい。結局わたしは合掌しました。
「御つくりおきしてもろてええやろか?」
注文は野の花とはぜんぜん関係ない海老と芽キャベツ。わたしにはアレルギーがあって大好物なのに海老が食べられません。そこで代償にと海老グッズをコレクションしているんですが、どうせお願いするならお茶碗もこれにしようかと。腰の曲がった長寿のシンボルだから縁起もいいし。
芽キャベツはなぜかというと、これはツレの大の苦手。自分だけ食べられないものを柄にするのは悔しいので、ちょっとイケズしてみました(笑)。こんどこそはお茶碗欠くなという警告も含め(笑)。
向坂典子さんが陶芸の基礎を勉強されたのは京都ですが、いまは若狭でものづくりをされてます。地縁を結ぶきっかけとなったのが誰あろう水上勉のお誘いだったのだそうで、なんとも不思議なご縁に導かれて彼女も生きているなあと感心しないではおれません。
それも、よくあるような作品を見出されたとかではないんですよ。氏が主宰する若州人形座の拠点「一滴文庫」に住み込んで敷地内の山を削り、彼のひねる焼きもののための「土を作る」仕事を請け負ったのがすべての始まり。実際に陶芸をしない人には見過ごされがちですが、採掘してきた(原)土を乾燥、粉砕して粘土に練り上げる「土を作る」作業は、屈強な男性でも音をあげる重労働。なんですが彼女はそこに楽しさを発見しました。
やがて自分の作品を焼くようになっても相変わらず徹頭徹尾なにからなにまで自分の目で見、体で感じ、五感を働かせ、手で創造することをやめません。というかどんどん深入りしていっている。お茶が切れたら店に買いに行くのではなく、山に入って葉を摘んできて蒸して揉んで完成させちゃうっていうんですから。
ご縁は人と人だけでなく、人と植物、人と動物、人と土、人と自然すべての関係のなかで結び結ばれ切れ切られして世界を動かします。向坂さんのお茶碗はご縁の結び目なのかもしれません。なのでこんなに掌中に馴染むんだな。これを辿ってゆけば水上勉にまでも繋がっていると思うと、なんだかそれこそごはんの湯気のような温かさが胸から起ちのぼってきます。
御つくりおきがこんなにも人を嬉々とさせるのは、それがご縁の象徴だからにほかなりません。
(写真すべて筆者撮影)
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入江敦彦
いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)
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はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
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