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村井さんちの生活

2018年3月16日 村井さんちの生活

突然の入院騒ぎ その4

―Smile because it happened.―

著者: 村井理子

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DAY 18 検査結果

 昨日受けた、カテーテル検査の結果を繰り返し思い出していた。

 「血管には狭窄など一切なく、とても良い状態でした。でも、心臓のポンプ機能は、予想よりも低下していました」と主治医は残念そうに言っていた。「何も手を打たなければ徐々に悪化していくことは目に見えています」

 そして、僧帽弁閉鎖不全症では有名な外科医がいること、専門チームが存在し、環境も整っているという理由で、大学病院への転院を勧められた。

 私は、わかりましたと答え、そしてついでとばかりに、「先生、私って結構すぐに死にますか?」と聞いてみた。すると主治医はキョトンとした顔で、「え! そんなことないですよ! 治療をすれば元気になります。だってそのための治療なんですから」と笑顔で答えてくれた。

 「検査も終わりましたし、これからはゆっくり体を休めてください。もう少しだけ、入院していてくださいね」

 私は主治医に心からの礼を述べた。彼女はいえいえと照れくさそうに言い、カートを押しながら病室を出て行った。

 ベッドに寝転がって、大きな窓から見える青空をいつまでも眺めていた。私はまだまだ生きられるらしい。もう一度、チャンスをもらえるらしい。

DAY 19 青いおじいちゃん現る

 すべての検査が終わり、私には何もすることがなかった。日がな一日、本を読む。

 私の病室の隣はそれまでずっと空いていたのだけれど、この日、誰かが入室してきたようだった。廊下に出て、名札をちらりと盗み見る。お名前はタイゾウさんだった。ほほう、今日からタイゾウさんがお隣か。看護師さんたちが忙しそうに家具の配置を変えていた。

 この日の消灯間近のことだった。ベッドで本を読んでいた私の視界の隅に、病室のスライドドアの曇りガラスに映る青い影が見えた。え? と思った瞬間だった。ドアがゆっくりと開いた。青いチョッキ姿の背の高いおじいさんが、無言で立っていた。枕をお腹の前でぎゅっと抱えている。頭には青いベースボールキャップ。胸には心電図の機械。びっくりしたような表情で私を見つめている。

 「きゃあああ! 村井さん、ごめんね~」という声とともに、看護師さんが走ってきた。「ほらほら、お部屋はこっち。ここはお隣さん!」

 ああ、タイゾウさんか。お隣のタイゾウさんが間違えて入ってきたのか。アハハ、枕を抱えてまるで迷子の子どもみたいだ。

 「部屋から出ちゃだめでしょ」という、隣の病室からかすかに聞こえてくる看護師さんの声を、聞くともなしに聞いていた。

DAY 20 タイゾウさんの日課

 朝の5時。

 「出ちゃだめだってば」という、看護師さんの囁くような声が廊下から聞こえてきていた。薄暗い部屋で目を開け、曇りガラスの向こう側を窺ってみる。タイゾウさんが病室から出てしまったのだろう。「あのな、この前な、電話で…」という、意外にもはっきりとした声が聞こえてくる。「でもね、奥さん、今日は来ないんだって」と、看護師さんはタイゾウさんに答えていた。

 7時頃になって、朝食を食べながらテレビでニュースを見ていると、背後でドアがゆっくりと開いた。振り返ると、タイゾウさんだった。とても不安そうな表情だ。

 「あの、ここ、隣の部屋です」と私は言った。タイゾウさんは、ぼんやりとした目で私を見るだけで、その場を動こうとしない。私は食べかけのトーストを皿の上に置くと、タイゾウさんのところまで歩いて行った。「あのね、ここ、私の部屋です。タイゾウさんのお部屋はこっちですよ」と横の病室を指して説明した。タイゾウさんはしばらく考えて、そして小さな声で「ごめんね」と言った。

 この後、タイゾウさんは何度か病室を抜け出したようだった。ベッドに寝て本を読みながら、看護師さんも大変だなあと考えた。

DAY 21 I say a little prayer

 パジャマの上にコートを羽織り、地階のカフェに行き、ゆっくりとコーヒーを飲む。買ったことのない付録付きの女性誌を、勇気を出して買ってみる。生まれ変わった私は、何にだって挑戦する。付録がかわいいと感心しつつ、最近のこういう女性誌には殺人事件などの記事は掲載されていないのだなと心のなかでつぶやいてみる。カフェのスピーカーから流れてくる「I say a little prayer」を聞いていたら、なんだかタイゾウさんの昨日の「ごめんね」が、じわじわとカウンターパンチのように効いてきた。

 コーヒーを飲み終えるとそそくさと病棟に戻った。病室に戻る途中の廊下でタイゾウさんと遭遇する。「出たらダメだって~」と、いつもの言葉で看護師さんになだめられていた。「僕は家に戻らなくちゃいけないんや」と、はっきりとタイゾウさんは答えていた。彼はきっと、家に戻ろうとしている。突然、知らない場所に来てしまい、困惑しているのではないか。そう考えると、彼の不安そうな表情も理解できるのだった。

DAY 22 季節外れの花火

 朝、ベッドの上で雑誌を読んでいたら、いきなりドアがバーン!と開いた。おいおい、朝っぱらからまたタイゾウかよ~と思ったら、循環器科医師団だった。その中で一番威厳のある医師が、私の胸に聴診器を当て、ふむふむと何ごとか言い、「んじゃ、退院!」と、ひとこと言うと、全員がドドドと勢いよく出て行った。なんなんだ、今のは…と唖然としていると、主治医がニコニコしながら病室に入ってきた。「突然ごめんなさいね」と言うので、「今のがドラマでよく見る医局長のナントカってやつですか?」と聞くと、クスクス笑って「そうです」と言った。

「それじゃ、週明けに退院ですね」と主治医は言い、あっさりと退院が決まった。

 午後になって、病室の前の廊下で数人が話し合いをはじめた。聞きたいというわけでもないが、耳に入ってしまう。転院先を考えなくてはいけないといった内容だった。もしかしたらタイゾウさんのご家族なのかもしれないなと考えた。

 夕食も終わり、消灯までの時間を持て余している時だった。突然、窓の外でドーンという大きな音がした。カーテンを開けて外を見ると、季節外れの花火だった。琵琶湖の真上に、大きな花火が何発も何発も打ち上げられる。遠くの病室から、歓声と拍手がかすかに聞こえてくる。こんな真冬に花火だなんて、どうしてだろう。真冬の澄み切った夜空に上がる花火は本当にきれいだった。

 耳を澄ますと、隣のタイゾウさんの病室からも、若い看護師さんの「わー、きれい! ほら、見て、見て!」という歓声が漏れ聞こえてきていた。

DAY 23 帰り支度

 相変わらず、タイゾウさんは脱走の日々である。時折私の病室のドアを開けては、無言で立っている。私はそんなタイゾウさんに、挨拶だけするようになった。するとタイゾウさんは、しばらく何やら考えて、節くれ立った痩せた手を顔の前で振りながら「ごめんごめん」とドアを閉めてくれるようになっていた。

 もうすぐ退院だ。溜まっている洗濯物をコインランドリーで洗濯し、洗面台やテレビ台の引き出しを片付けた。友人、知人、編集者が送ってくれた書籍や雑貨を箱に詰め、宅配便で家に送った。病院から渡された書類をフォルダに入れて整理し、提出が必要な書類はすべて提出を済ませた。退院を前にカウンセリングが行われ、退院後の生活について、注意すべき点の説明を受ける。主には食事療法と薬の管理であったが、ここを一歩出れば、今までとは全く違う生活がはじまるのだと気を引き締めた。

 なんだかとても寂しい。優しい人たちばかりの、とてもいい病院だった。退院なんてしたくない。でも、そろそろ戻らなくてはいけないようだ。

DAY 24 退院

 朝食を済ませ、入院した日に着ていた服に着替えた。なんだか季節外れのような気がする。外はすっかり春めいて見えたからだ。これだったらレンタルパジャマの方がずっとマシかもしれないと、少し恥ずかしかった。

 準備はすべて整っていた。薬剤師さんが一ヶ月分の薬をナイロン袋にたっぷりと詰めて持ってきてくれた。病室もきれいに掃除が済んだ。あとはもう、主治医の到着を待つだけである。

 10時頃になって、ようやく主治医がやってきてくれた。

 「次の診察は一ヶ月後になりますけど、何かあったらいつでも来てください。その時までに、転院の詳細はお伝えできるように準備しておきますから」

 「先生、本当にありがとうございました。色々とお世話になりました」

 主治医はやっぱり照れながら、いえいえと言いつつ、部屋から出て行った。

 名残惜しくて、ほぼ三週間を過ごした病室の写真を、最後に一枚だけ撮影した。荷物を持って病室を出る。タイゾウさんの病室の前を通ると、ドアが開け放たれており、タイゾウさんが、一人静かにベッドに座っていた。足を止めると、彼もこちらを見てくれた。心の中で彼にも別れを告げた。タイゾウさん、元気でいてね。早く家に戻ることができるといいね。

 会計を済ませ、病院の外に出た。風が強く、冷たい。体力が落ちてしまい、歩くのがやっとだ。病院駐車場に辿りつくと、車の中に愛犬ハリーが座っているのが見えた。私の姿を見つけると、興奮して大声でワンワン吠えはじめた。退院してすぐにこれかとうんざりしつつ、またあの騒がしい日々が戻ってくるのだなと、少しうれしい気持ちになった。

(「突然の入院騒ぎ」篇 おわり)
(「心臓へたっちゃってますけど大丈夫」篇につづく)

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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