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プロローグ
滋賀医科大学医学部附属病院心臓血管外科。
前回心不全で入院した病院の主治医から転院を勧められた私は、この日、一人で滋賀医科大学までやってきていた。心臓血管外科の浅井徹先生の診察を受けるためだった。
この日の診察を、首を長くして待っていた。二月の退院以降、体調は日を追う毎に悪化していた。これだけ大量の薬を飲んでもこの酷い状態であるのなら、薬なしでは一歩も動けないのではないかと毎朝不安に思った。夜になれば、翌朝目覚めることができないのではと考えずにはいられなかった。
電車とタクシーを乗り継ぎ、辿りついた。最寄り駅から乗ったタクシーの運転手さんには、「どこも悪いように見えないのに心臓ねえ、かわいそうに……。でも、滋賀医大の心臓外科にはすごく有名な先生がいるから大丈夫! 先生を信じてがんばるんやで、な?」と言われ、力なくハイと答え、車を降りたのだった。病院の建物に入ると、大勢の人が忙しそうに働き、また、患者と思われる人々が窓口に並び、ベンチに腰掛けている姿が見えた。入り口のすぐ左手にはタリーズ。窓には「Instagramはじめました!」の文字。非日常の中の日常がそこにあるようで、なぜだかとても安心した。
心臓血管外科の外来を目指して少し急いで歩いたが、途中、階段の踊り場で息が切れて動けなくなった。エレベーターを使えばいいものを、外来は二階だから登れるだろうと高をくくっていたのだ。横を80歳ぐらいのおばあさんがスイスイと登っていく。それでもなんとか登り切って、荒い息を整え、外来に並べられたイスに腰掛けた。周りは年配の男性ばかりだ。時折、若い患者さんが外来のカウンターにやってくる。バッグには赤いヘルプマークがつけられている。ちらっと表情を盗み見ると、とても元気そうで血色もいい。心の中で「先輩、ご苦労さまです」とつぶやき、その後ろ姿を羨望の目で見てしまう。
10分ほどであっさりと名前が呼ばれた。診察室に入っていくと、そこには背がすらっと高く、ハンサムでやさしそうな印象の浅井先生がいた。インターネットで事前に調べた時に見た姿そのものだった。
ひととおりの挨拶が済むと、浅井先生は「普通の生活はできていますか?」と聞いた。私は答えにぐっと詰まった。ほんの10分前に階段で立ち往生したことを思い出す。
「もう階段を登ることができません」と正直に答えた。
「そう……」と浅井先生は言い、前の病院から送られたであろう資料に目を通しつつ、少し考えている様子だった。
「僧帽弁閉鎖不全症の手術は得意としています。きっとあなたのケースでも治るはずです。どうされますか?」
私は間髪入れずに答えた。
「手術していただければと思います。どうぞよろしくお願いします」
その場で、私の生涯二度目となる開胸手術の日程は決まった。浅井先生はにっこりと笑いながら、「がんばりましょう。大丈夫、僕らに任せて。絶対に治すからね」と言い、私と握手した。その大きな手の感触と力強い言葉を頭の中で繰り返しながら、足取りも(比較的)軽く病院を後にした。しかし、しばらくするとさすがに冷静になりはじめた。
「もう一度あれをやるのか……」と、七歳の時に受けた一回目の開胸手術の壮絶さをはっきりと記憶している私は、やるせない気持ちになった。でも、手術を受けなければ、私はそう遠くない未来に、たぶん、死ぬ。選択肢はない。
Day 1 入院スタート
よくわからないこだわりで、私はこの日も一人で病院にやってきた。心臓手術であっても、一人で入院して、一人で退院することができると、どうしても証明したかったからだ。
入院手続きを終え、荷物をカートに載せて、指定された病棟まで向かう。病棟までは、病院建物の一番奥にあるエレベーターを使って行かなければならない。つまり、病人にしては結構な距離を歩かなければならない。薄暗く、長い廊下をとぼとぼとゆっくり進む。郵便局、コンビニ、図書室など、様々な施設があって楽しい。元気になったらこのあたりで遊ぼうと夢を膨らませる。
いろいろな人々とすれ違う。車椅子に乗った人、不安そうな表情の人、同じように大きな荷物をカートに載せた、今日から入院するであろう人。しばらく歩くと、茶色い大きなエレベーターが目の前に現れた。そこから三階D病棟へ向かう。略して3Dだ。
エレベーターで三階に到着すると、出てすぐ左手に大きな自動ドアがあった。ドアの横の白いパネルに「Cardiovascular Medicine Cardiovascular Surgery」(循環器内科 心臓血管外科)とある。
お、おう……。
自動ドアを抜けて病棟内に入る。うわあ、広い! どこまでもまっすぐ廊下が続いている。廊下の途中に回廊があり、屋上まで吹き抜けになっているようで、そこから太陽の光が燦々と降り注いでいた。廊下に沿ってまっすぐ歩くと、右手に3Dスタッフステーションが見えてきた。パソコンとモニタがずらりと並んでいて、スタッフステーションというよりは宇宙ステーションだ。多くのスタッフが忙しそうに働いていた。
エンジ色のスクラブを着た、すらっと背の高い、ショートカットの看護師さんに声をかけた。とてもやさしそうな人に見えたからだ(後に彼女には心臓リハビリでお世話になる)。
彼女が案内してくれた個室(パソコンの使用は個室しか許可されていなかったので、今回も個室に滞在することにした。差額ベッド代? なにそれ食えるの?)でそわそわしつつ座っていると、今度は笑顔のチャーミングな看護師さんが現れた。「今日から退院まで担当します西岡です! さっそく血圧測りますね!」と、あっという間に血圧計のカフを腕に巻かれ、そして熱を測られる。
「ここにパジャマを置いておきますね。今日は検査がありますので、それまでゆっくりしてください」と笑顔で西岡さんは言うと、風のように去って行った。
多少不安な気持ちを抱えつつもレンタルパジャマに着替え、暇なのでパソコンを開き、インターネットで遊んでいると、誰かが部屋のドアをノックし、病室に入ってきた。今度は若い男性だった。
「担当します、近藤です」と、その若い男性は言った。私を担当してくれる三人の医師の中の一人だった。「心臓は結構へたっちゃってますけど、ま、大丈夫ですよ! もしかしてお仕事ですか?」と、近藤先生は私のパソコンを見て言った。心臓は結構へたっちゃってる……という言葉に若干ショックを受けつつも、まさかNetflixで『ル・ポールのドラァグ・レース』を見ていたとは言えず、「ちょっとインターネットをしていました」とごまかした。すると近藤先生は「ちなみにお仕事って何をしていらっしゃるんですか?」と聞いた。
「翻訳業です」と答えると、「へえ! 珍しいですね。英語ですか?」と、驚いた様子だった。「ハイ、一応……」と答えた。へえ~と先生はもう一度言い、それじゃあ検査のほう、よろしくお願いしますと言って去って行った。メモ帳に「気さくな近藤先生(黒メガネ)」と記した。
今日は忙しそうだなと思いつつ、個室の窓から外を眺める。3D病棟に繋がる建物の向こう側に、グラウンドや寮が見えていた。遠くから、学生がスポーツに興じる声が聞こえてくる。なんとなくほっとする。
手術まであと四日。覚悟はすでに決まっている。絶対に自分の足で歩いて、生きてここを出る。たった一人で乗り越えてみせる……と、こんな感じで一人熱く決意を固めていると、再び部屋をノックする音が聞こえた。入ってきたのは、妙にパワフルな印象の男性だった。体全体から強めのビームが出ているようだ。結構寒い日だったのに、半袖の手術着を着ていた。「村井さん、体調はどうですか? 担当の木下です。ええっと……」と言いつつ右手で後頭部をワシワシとかきながら言葉を探しているようだったが、「とにかく、安心してください。大丈夫ですから。僕らに任せてください!」と、それだけ言い、あっという間に去って行った。もう一人の担当医師、木下先生だった。
お、おうッ……!
勇気が湧いてくるうっ……と拳を握りつつ、メモ帳に「ビーム出てる木下先生(強い)」とメモした。
なんだかうれしかった。私は今、多くの人に見守られている。ここは私にとって、とても安全な場所だ。ここにいれば、何があっても私は大丈夫だ。
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村井理子
むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 村井理子
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むらい・りこ 翻訳家。訳書に『ブッシュ妄言録』『ヘンテコピープル USA』『ローラ・ブッシュ自伝』『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『子どもが生まれても夫を憎まずにすむ方法』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』『サカナ・レッスン』『エデュケーション』『家がぐちゃぐちゃでいつも余裕がないあなたでも片づく方法』など。著書に『犬がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』『全員悪人』『家族』『更年期障害だと思ってたら重病だった話』『本を読んだら散歩に行こう』『いらねえけどありがとう』『義父母の介護』など。『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』で、「ぎゅうぎゅう焼き」ブームを巻き起こす。ファーストレディ研究家でもある。
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