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村井さんちの生活

2018年5月8日 村井さんちの生活

心臓へたっちゃってますけど大丈夫 その2

―When in Rome, do as the Romans do.―

著者: 村井理子

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DAY 2&3 検査と暇つぶしの週末

 病院の朝は早い。六時前に、ヘッドボードに取り付けられた読書灯を、ぴかーっと顔に当てられ、有無を言わさず起こされる。「おはようございまぁす」と、看護師さんの声はとびきり穏やかでやさしいが、こちらは取り調べ室の被疑者のような気持ちになる。これは毎朝恒例の、採血、血圧測定、体温測定だ。寝ぼけ眼のまま挨拶をして、素直にパジャマの袖をたくし上げる。前日、肺機能、CT、心エコー、そしてレントゲン検査を受けて、その疲れが抜けきっていない。

 子どもの頃から注射には慣れっこなので、寝起きでいきなりの採血も苦ではない。苦ではないけれど、ここ数ヶ月、血液がサラサラになる薬を飲んでいるため、入院初日の血液検査や点滴で、すでに右腕の内側は所々派手に内出血していて、それが気になっていた。また増えるのだろうか。その部分だけ見れば、自分でもびっくりするほど病人然としている。結局この日はやさしい看護師さんに左腕を差し出し、そこから採血してもらった。

 看護師さんの仕事が終わると、次は体重測定である。これは、一人で歩くことのできる比較的元気な患者がスタッフステーション前にある体重計まで行き、体重を測るという毎朝のルーチンだ。たぶん、むくみの有無をチェックしているのだろう。この体重測定が終わると、各自、朝食までの時間を、病室やデイコーナー(テレビ、給湯器、簡単な調理家電、自販機、テーブル、イスが設置されている患者さん憩いの場)で自由に過ごすということになる。

 比較的年齢の若い患者は、デイコーナーの窓際の席を陣取ってスマホを手にしていることが多かった。年配の患者は、お茶を飲みながらテレビで朝のNHKニュースが定番である。若手と年配の共通項は、それぞれが相棒(点滴のポール、酸素ボンベ、あるいは歩行器、場合によっては全部)を連れているということ、それから同じ柄のパジャマを着ているということ。私たちは同志のようであり、同時に囚人のようでもある。

 
 朝食の配膳が始まると、病棟内が少しだけ活気づいてくる。看護師さんが各病室にトレイに載った食事を配膳するそのかすかな音が、本当の意味での一日のスタートを告げているように思われた。手術前の私は、たぶん病棟内でも元気な患者(手のかからない患者)であったとは思うけれど、看護師さんは常に病室までトレイを持ってきてくれ、そして取りに来てくれた。

 朝食が済んだ頃にやってくるのは、清掃のおじいさんである。私が入院してから退院するまで、同じおじいさんが私の病室をほぼ毎日きれいに掃除してくれ、私と話し、そして激励してくれた。手術当日には「行ってらっしゃい」と神妙な面持ちで声をかけ、手術翌日には「おかえり。よくがんばったね」と言ってくれ、退院の日には「おめでとう。元気でね」と、少し涙を浮かべつつ言ってくれた(どこに行ってもおじいさんとの親和性は高い)。

 清掃が終了した頃にやってくるのは、その日の予定表と朝食後に飲む薬を持った看護師さんだ。A4の紙に、その日の予定が時間とともに記され、印刷されている。指定された時間に指定された場所に行き、指定された指導や検査を受けるのが、私の病院内での仕事だ。それらをすべて終了させれば、晴れて完全なフリータイムである。病院内のどこへ行っても、なんなら最上階にある展望レストランに行ってもいいのだ(行く元気があればの話だけれど)。

 時間の流れが特殊な病院内において、決まったスケジュールがあることは患者にとっては救いである。これが済めば次はこれといったように、緩慢で曖昧なその流れに自分にとってわかりやすい区切りをつけることができるからだ。毎朝配られるこのA4の紙は、暇を持て余していた私に、パズルのピースをはめ込んでいくような快感と達成感を与えてくれた。場所が変われば刺激も変わる。驚くほどシンプルなものごとに人間は満足することができる。

 入院二日目の夕方、浅井先生と近藤先生が私の病室にやってきた。

 「前の病院の資料を見たけど、心臓、かなり弱っていたんだね」と、病室の壁に軽く寄りかかりながら浅井先生は言い、右手を上げて指を少しだけ動かし、「これぐらいしか動いてなかった」と言った。そして、「今はこれぐらい」と、今度は少しだけ大きく指を動かして言った。私が「そんなに状態が悪かったんですか?」と尋ねると、今度は近藤先生がウンウンと頷いた。漫才のようだ。

 ここ数週間の体調を考えればそれは理解できた。前の病院に入院したときだって、歩くのがやっとの状態で呼吸も苦しかった。不整脈の自覚症状もはっきりとあった。どう考えても状態は悪かっただろう。そりゃそうだ。

 「前の病院がしっかり治療してくれているから本当によかった。今は状態もいいですから、手術まで体調を整えてゆっくりしてください。心配しないでね。がんばりましょう」と浅井先生は言い、きっちりと糊付けされた白衣を翻して病室を去って行った。浅井先生に続いて病室を出る近藤先生は、去り際に頭をちょこんと下げて、ひょいと片手を上げた。

 ベッドに横になって考えた。確かに私の病状は深刻だけれど、考え得る中でベストな場所に辿り着いたのではないだろうか。このまま手術し、リハビリをすれば元の生活に戻ることができるかもしれない。心不全を恐れながら生活することも、不整脈に不安を抱える必要もなくなるのかもしれない。手術さえ乗り越えればいい。手術さえ乗り越えることができれば…。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥


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