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御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

2018年12月25日 御つくりおき――京都のひととモノとのつきあいかた――

20 河原町五条の茶筒司「開化堂」で掛け花を注文。御つくりおきの醍醐味を知る

著者: 入江敦彦

 大好きな言葉に【用の美】があります。思想家の柳宗悦やなぎむねよしが提唱した民藝運動のなかから誕生した理念ですね。陶芸や染織の世界の専売特許という印象もあるかもしれませんが、このムーヴメントはあらゆる分野の作家や職人に影響を及ぼしました。柳とともに活動に取り組んだのが英国人作陶家バーナード・リーチだったこともあり、民藝の美意識は洋の東西を問わず浸透してゆきます。Mingei は英単語としてこちらの辞書にも載る言葉。

日本民芸館刊行、柳宗悦の『丹波の古陶』 (1956年)。数ある彼の著作の中でも、とりわけ民藝精神がストレートに伝わってくる名著。我がバイブル的一冊。リーチのマグでお茶を飲みながら、ことあるごと儀式のように捲る。

 民藝は怪物めく身体をもった哲学体系ですから、簡潔に説明するのは困難を伴います。たとえばシュルレアリズム運動を説明した「解剖台上のミシンと傘の偶然の出会い」のような明瞭なガイドラインがない。件の用の美にしても深淵のごとき奥行きを有しています。「実用性を備えた日用雑器に宿る美」だとか言ってしまえばそれらしいのだけれど、あまりに乱暴すぎる。
 ある意味、わたしがこの連載で紹介している京都のものたちの物語は、まさに【用の美】とはなにか? という話です。用の美を巡る冒険なのです。
 てなことを書くとなんだかえらいカッコイイふうに聞こえますが、冒険譚の主人公がわたしである時点でもはやカッコイイとかは無縁です。そもそも特別な人たちの特別な道具になってしまった段階で、それは用の美の輝きを失ってしまうのではないか。
 そんなわけで、この文章に登場するものたちはいくつかの例外もありますが、あくまで普通の人々の普通の道具。そのうえ記しているのはあくまで結果が上々だったものばかり。実は失敗談も数多あります。基本的にどんくさい人間なのでしょっちゅうずっこける。もちろん非は概ねこちらにあります。
 この際、いくつか「やってもた」エピソードもご紹介いたしましょうかね。これから先、御つくりおきしてみたいなーと興味を持たれたみなさんへの一助として。
 まずはせっかく作っていただいたものの使い勝手が悪かったり、見た目がしゅっとしていなかったケース。
 この代表が錦市場にある包丁の「有次」にお願いしたトングでしょうか。わたしはこの台所道具を蒐集しゅうしゅうしており、世界各国のキッチンショップを訪れては鵜の目鷹の目。頭の隅に常にトングがある(笑)。だからたまたま割烹で隣に座られた方がお遍路された話をされており、会話の中で「『有次』さんに杖の先にはめる金具をお願いした」と聞き及んでわたしは即座に「ひょっとして有次のトングとかめっちゃお洒落ちゃう?」と妄想の虜になってしまったのでした。
 その方のお名前を伺い、ダメ元でお店に相談させていただいたところ、二つ返事で承知して下さったのには心底驚きました。が、ここで遠慮しては男がすたる。いやさ用の美が泣く。おっかなびっくりで真鍮のトングを発注させていただいた! まではよかったんですが、どうにも締まりがないものが完成してしまった。産まれてきた子がヒルコだった伊耶那岐命イザナギノミコトの気持ち…。
 それでも自らを鼓舞して台所で使っているうち、ああすりゃよかった、こうすべきだったと改良点が見えてきました。すなわち注文前のわたしのヴィジョンがお粗末だったのが失敗の原因だったのです。以降、御つくりおきの前には脳内シミュレーションを重ねるようになりました。せっかくの有次だったのに。もったいない。
 知識不足が祟って門前払い喰らったケースもあります。竹工芸品の「公長齋小菅こうちょうさいこすが」にお願いした茶筅がそれ。こちらでは穂の根元の絡み糸(かがり糸)に通常の黒とは違ったカラーを展開されていると知り、茶匣ちゃばこの道具立てテーマに合わせた色で編んでもらえるかどうかたずねたところ「特別な糸を、小菅のためだけに染めてもらっている特注なので不可能です」と断られたのでした。
 それまで、あの糸が茶筅のためだけの特殊な糸だとは知らなかったせいで恥かいた。結局、裏千家で献茶用に使われる白糸かがりの茶筅を買い本藍で染めることにしました。なんとか期待した色にはなってくれたものの、これからは御つくりおきをしてもらう際にはもう少し事前に勉強せねばと反省。この茶筅のように自分で工夫できちゃうものだってあるわけですし。
 あとね、事故みたいなケースもあります。差し障りがあってはいけないのでどことは申しませんが、わたしはその店のご主人と水と油だったのです。ひとことひとことが癇に障ったらしい。もう、それが手に取るように伝わってきました。あちらもプロですから、むろん失礼な態度をとられたわけではありません。が、最後まで打ち解けていただけなかったのも事実です。
 あるものの付属品を作っていただいたんですが、その方、ついには不注意で本体を壊してしまわれた。ものすごく丁寧な謝罪と言い訳のメールをいただきましたし、金継ぎ修理料金は負担して貰ったんですが、いまもそれを眺めるたびに苦い気持ちが蘇ります。
 そこは信用のおける老舗ですし、そちらを利用されているほかの方に尋ねても悪い話はついぞ出てきませんでした。けれど、それでも人と人との生身の関係ですから、こういう事故だってあり得ます。だからこそ反対にいつの間にか親戚みたいになってしまう職人さんたちだっているわけで、人の縁とは面白いものですね。
 たぶん茶筒司「開化堂」と、職人の八木さん一家はその代表。そしてわたしにとって、こちらの茶筒は目に見える形で用の美を体現しているかけがえない道具。

それらは茶筒だが大きくは「いれもん」だ。用途は茶葉に限らない。抹茶のなつめにもなる。パナソニックと共同で音のいれもんも作られた。

 四半世紀も前、たまたま通りかかった店の小さなウィンドウに並ぶ茶筒に好奇心を動かされて暖簾を潜ると、筒の並ぶ棚があるほかはショップらしい体裁のない一般家庭の応接間でびっくりしたのを覚えています。けれど戸惑ったのは最初だけ。「まあ、とりあえずこれをご覧ください」と卓上に載せられた茶筒の外蓋が自らの重みで内径を滑って閉まる動きを目の当たりにして、わたしはたちまち開化堂の茶筒の世界に惹きこまれました。
 もちろん緩いからではなく気密性の高さゆえに抵抗なくそれは滑るわけですが、この微妙で精緻な塩梅が機械ではなく人の手から作り出されていることにわたしは敬意を抱きました。しかも、ただゆるゆる落ちてゆくのではない。まるで能役者が舞台上を流れるみたいに移動する、あの動きを想起させました。幽玄なのです。
 経年変化によるテクスチュアの経緯の楽しさも格別でした。ただ一定に燻んでゆくのではなく段階ごとに異なる表情がある。使い手によっても、使い手の暮らしの環境によってもそれは違い、またそのどれもが美しいのだと説明され、その全部が腑に落ちました。

応接間時代の風景。八木家のお母さんが淹れて下さるお煎茶(平松洋子さん絶賛)を啜りながら、あれこれ迷う楽しさは格別。経年変化した茶筒との対面は〝未来の自分〟に出会うような酩酊。

 当時わたしは貧乏で先行きの見えない日々を過ごしていましたが、だからこそその茶筒の美しさがわたしには必要でした。手に入れた日は本当に嬉しかった。そのときはしかと意識していたわけではありません。けれどいまになって思えばそれは自分の根幹にあるものに触れたのでしょう。「美にうたれ」るなんて表現がありますが、まさにわたしは「用の美にうたれ」たのでした。
 それから十数年が過ぎ、わたしは折々に開化堂の茶筒を手元に増やしていきました。そんなある日、会社を辞めて職人になられていた息子さんの隆裕くんから「こんどロンドンにあるお茶の専門店 Postcard Teas で茶筒作りの実演販売をするので遊びに来てください」という連絡が入ったのです。
 英国人というのは基本的に人の善意を信じ(ようとし)ている善良な人々です。けれど、だからこそ人間関係の距離感にものすごくデリケート。そして疑り深い。イベントにはそこそこの人たちが集まっていましたが彼らは一様に英国人らしく関心を示し、口々に賞賛はするのですが誰も買わない。蓋がするする落ちるのを見て「おお!」とか唸りはするが、まるで京都人みたいに「ほな考えさしてもらいまっさ」と帰ってゆく。
 けれどわたしには確信がありました。続けてさえゆけば開化堂はきっとこの国の住人たちに愛されるようになること。なぜならば、それは用の美の結晶であり、用の美の半身にはイギリスの血が流れているのですから。むろん隆裕くん的には辛かったでしょう。わたしが最初に京都で茶筒を買ったころの不安がまんま重なりました。
 もちろんわたしは正しかった。年を追うごとにファンを増やし、セレブな顧客がつき、新たな取引先を獲得し、ついには「V&A博物館」のパーマネントコレクションにまで選ばれたのですから。そのオープニングレセプションに招んでいただき、陳列されている棚からふと左手を見やると、そこには柳宗悦が民藝の象徴 / 用の美の表徴として位置付けていた丹波焼や備前の生活雑器を集めたケースが。あのときは本当に感動しました。
 さて、ここまで親戚化が進行してしまうと御つくりおきをお願いするにしても、もう、ツーカーでこちらの意を酌んでもらえます。いくつもの思い付きを形にしていただきました。こちらのヴィジョンの曖昧さや知識不足をこれまで互いに築いてきた理解と信頼が補ってくれるので隆裕くんも気負わずになにか新しいものを形にする悦びを満喫できる。それを知っているのでわたしも頼みやすい。ウィンウィンといったら身勝手に過ぎますが。
 様々なものを拵えてもらいましたが我ながらヒットだと思っているのは掛け花です。床の間に飾るものというイメージが日本人にはありますが、こちらでは非常にカジュアルな室内装飾。わたしが隆裕くんに依頼したのは、むしろ英語でHanging Vase と呼ばれているものの性質を帯びたアイテムでした。
 開化堂で銅の茶筒を買うと「水にだけは濡らさんように気をつけてくださいね」と念を押されます。ウォーターマークが変色して取れなくなるからですが、それって存外難しい。置いてあるのは台所、水回りですから。それにね、わたしはそれはそれで個性ではないかと考えるんです。ついた染みをただの汚れと感じるか、ならではのキャラクターと捉えるかは人それぞれでしょう。
 シンプルな筒状だけれど使ってるうち経年変化とともに叢雲むらくものように染みがまとわいついてゆく掛け花。きっと和花にも洋花にも山野草にも似合う素敵な一本になる予感がしました。最終的には緑青を吹いてくれたらどんなにかいいだろう。さらには本来、銅には殺菌作用があり水を長持ちさせてくれます。花器としてとても優れた材料なのです。これぞ用の美ではありませんか。

右:庚申薔薇、黄菖蒲、コリアンダー、八丈薄 。左上:長猿尾枷ながさるおがせ、里桜、ざい振り木、やまぼうし。左下:額紫陽花がくあじさい、薄木葉、 糊空木、 ヘンリーネイビー

 開化堂のイギリスでの成功を的中させたように、この掛け花もまた見事に目論見が当たってくれました。あまりに佳すぎて。ついついこればっかり手に取ってしまうのが問題ですが、なにを挿してもそのたびに違った表情をみせてくれるので飽きることがありません。
 隆裕くんがロンドンの我が家に遊びに来てくれたとき、ウェルカムフラワーを飾ったこの掛け花を眺めて、
 「変なこというようですけど、入江さんが死なはったら、これ、譲ってもらえへんでしょうか?」
 と呟いてくれました。わたしはこれ以上の褒め言葉はないと胸が熱くなりました。お願いした甲斐があった。これぞ御つくりおきの醍醐味と申せましょう。


有次 http://www.kyoto-nishiki.or.jp/stores/aritsugu/
公長齋小菅 www.kohchosai.co.jp/
開化堂 https://www.kaikado.jp/
Postcard Teas  https://www.postcardteas.com/site/
V&A  https://www.vam.ac.uk/

イケズの構造

2007/08/01発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

入江敦彦

いりえあつひこ 1961年京都市西陣生まれ。多摩美術大学染織デザイン科卒業。ロンドン在住。作家、エッセイスト。主な著書に、生粋の京都人の視点で都の深層を描く『京都人だけが知っている』、『イケズの構造』『怖いこわい京都』『イケズ花咲く古典文学』や小説『京都松原 テ・鉄輪』など。『秘密のロンドン』『英国のOFF』など、英国の文化に関する著作も多数。最新刊は『読む京都』。(Photo by James Beresford)

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