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AI時代を生き延びる、たったひとつの冴えたやり方

 堅苦しい話が続いたので、しばし、「プログラミング」のオールドタイマーの話をしよう。竹内薫プログラマー回顧録である(笑)。


 そもそも私はパソコン好きが高じて、気がついたら、プログラマーになってしまった人間だ。冗談ではなく、私の30代の収入のほとんどは、自分で書いたプログラムを売って得たお金だった。

 実は、新潮社の担当編集者のKさんに指摘されるまで、私は、この事実に気づいていなかった。これまでに科学、技術、科学史、哲学、英語など、さまざまな分野の本を200冊超、書いてきた私だが、不思議なことに、プログラミングに関する本は、たった2冊しか書いたことがない。

 その2冊は(『パソコンによる広告管理 実践編』(八巻俊雄監修、日経広告研究所)と、『はじめての数式処理ソフト−−−Maximaで楽しむ数式計算と物理グラフィック』(講談社ブルーバックス)である。最初の本は、広告代理店向けのきわめて専門的な内容の本だった。視聴率と料金とのかねあいで、どうやったら広告出稿が最適化できるか、いいかえると、どうすればもっとも経費を節約しながら、大勢のお客さんに広告を見て(聞いて)もらえるか。そんな計算をするソフトを開発し、複数の広告代理店に売って生計を立てていたのだ。

 もう1冊は、「数式処理」という、これはこれで専門的な内容の本で、どう考えても一般の科学好きの読者に買ってもらえるような本ではなかった。

 もしもこの連載が本になるとしたら(人類が早めに絶滅しないかぎり本になると思うが)、竹内薫が書いた3冊目のプログラミングに関係する本、ということになるのだろう。

ある日マックがやってきた

 というわけで、まずは、私とパソコンのなりそめから(笑)。

 私が生まれて初めてパソコンなるものに接したのは、大学時代に東芝のパソピア7というマシンを買ってもらった時だった。父親が東芝に勤めていて、

「全然売れないから、社員は一台買えということらしい」

 と言って、家に持ち帰ったのだが、今となっては、それが単なる冗談だったのか、本当の話だったのか、知る術はない。

 今から考えると、ほとんどおもちゃのようなスペックで(失礼! 今のゲーム機のスペックは半端じゃないから「おもちゃ」という表現はまちがっていますね)、ブラウン管の画面のドットも粗かったが、BASIC言語を使って簡単なゲームを作成して遊んだのを覚えている。

 で、私にとって、初めての「ホンモノ」のパソコンは、大学院時代の1985年、カナダのモントリオールで出会ったMacintosh 128Kだった。メモリ容量が128キロバイトで、今私が使っているMacBook Airの8Gと比べると…ええと、キロは「千」で、メガが「100万」で、ギガは「10億」だから、だいたい6万倍くらいか? 逆にいうと、今の6万分の1の「アタマの容量」でワープロを打ったり絵を描いたり通信をしたりしていたのだから、驚異的というほかない。もっとも、ガレージから始まったアップル社が世界一の巨大企業に成長してしまったことを考えれば、そのアップルのパソコンのメモリが6万倍になったことくらい、なんでもないのかもしれないが。

 この初代Macは、当時、米ドルで2500ドルくらいしたはずだ(現在の貨幣価値で60万円程度)。とても、貧乏学生に手が届く値段ではないが、あろうことか、私はカナダ政府と(通っていた)マギル大学からもらっていた奨学金を注ぎ込んで、憧れのマシンを手に入れてしまった。そのせいで、Macを買ってからしばらくの間、毎日、カップラーメンだけで生き延びた覚えがある(日本の食文化は侮ることができず、当時のモントリオールでもカップラーメンは売っていた)。

竹内さんの愛機・初代Macと愛猫の尻

 ちなみに、この奨学金は、そもそも学生の生活費として給付されるもので、返済義務もなかったので、物理学徒であった私が「研究の計算と論文執筆のワープロ」として買った以上、まったく違法性はない。念のため。

 いま「憧れ」と書いたが、それは、日本で大学に通っていたとき、同じ研究室の茂木健一郎と二人で生協に展示してあったLisa(リサ)というアップル製パソコンを涎を垂らしながら見ていたからだ。Lisaにはたしか200万円の値札がついており、初代Macは、その後継機だったのだ。

 200万円だと貧乏学生には絶対に手が出ないが、60万円ならカップラーメンでしのげばギリギリ手に入れることができたわけだ。

 私はこのMacを心から愛した(笑)。

 今ではノートパソコンを海外に持ち出すことなどあたりまえだが、いくら小さいとはいえ、初代Macは7.5キロの重さがあった。それなのに、私は日本とカナダを行き来する飛行機に「手荷物」として旅の供をさせていた。考えてみれば、物理学徒にとって、愛用のパソコンは脳の延長みたいなものなので、持ち歩く方が自然だが、当時も今も、デスクトップパソコンをいつも抱えて歩いている人は、そう多くはない。

 一度、日本からカナダに戻ったとき、税関で足止めを食らった覚えがある。そもそもカナダで購入し、日本に持って帰り、再びカナダに持ち込んだのだから、税金などかかるわけがない。だが、税関職員は、「大きな」デスクトップパソコンの機内持ち込みを不自然と判断したのだろう。彼のアタマの中には「日本はパソコン製造国だ。そこで安く買ったパソコンをカナダに密輸して利ざやを稼ごうとしているのでは?」という発想があったらしい。いやいやいや、アップルはカリフォルニアの会社だし、Macの製造もアメリカ国内でおこなわれている。私がスティーブ・ジョブズの話や先代のLisaの話から始め、延々とアップルの説明をし始めると、税関管理は、やがてうんざりした顔になって「よくわかった。行ってよし。エンジョイ・ユア・アップル」と、無罪放免とあいなった(笑)。

 ちなみに、この最愛のMacだが、10年後、私の父親が自己破産した際に行方不明となった。これは推測でしかないが、金に困った親父が、金目のモノをことごとく売り払っていたので、私のヴィンテージMacも同じ運命を辿ったものと思われる。私が側にいてやれなかったので、名も知らぬリサイクルショップの棚に置かれてしまったのかもしれない(涙)。

 さて、私のアップル与太話は、実はどうでもいい。だが、そもそも私がどのようなプログラミング修行をし、どんなプログラマーの仕事をしていたのかはお伝えせねばなるまい。(続く)

愛猫はニャン太郎といったそうな

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

竹内薫

たけうちかおる サイエンス作家。1960年、東京生まれ。東京大学教養学部、同理学部を卒業、カナダ・マギル大で物理を専攻、理学博士に。『99・9%は仮説』『文系のための理数センス養成講座』『わが子をAIの奴隷にしないために』など著書多数。

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