歴史上の人物の肖像画や骨格をもとに声を復元した合成音声をいくつか聞いた。ネットで聞ける音声については出典が分からないので信憑性は度外視になるが、舌の動き加減で時折発音が不明瞭になる感じや、喉から口の外に出るまでの微妙な時差など、肉声の揺らぎが見事に再現されていて驚いた。坂本竜馬の土佐弁などは、秀逸に思えた。
私は四歳以来シーンレス(私の造語で全盲の意味)のため、竜馬はもとより、歴史上の人物の顔をまったく知らない。見えなくなるまでに、人の顔はおそらく親や友達くらいしか見ておらず、顔を見分ける技術そのものが育たなかった。両親の顔もおぼえていない。顔には目と鼻と口があり、その形と並び方によって、彫りが深い、整っている=美人またはイケメンになるといった知識ぐらいはあるが、実践ではせいぜい、彫刻などに触れてイケメンや美人の目鼻立ちを理解している程度である。
ところが声の復元を聞いて、そんな私に竜馬や聖徳太子の風貌が思い浮かんだのだ。竜馬には、三十代相応の声の細さと張りと同時に、現代の三十代よりは十歳近く老けた感じがあった。着物を着て靴を履いた竜馬の、繊細さと頑強さを兼ね備えた男ぶりと貫禄が、復元の声から伝わってきた。聖徳太子の声は想像よりずっとくぐもっていて、太くぼやけていた。民衆に教えを説いた声とは思えなかった。一般には細面というイメージらしいが、私には、丸顔でどこかぼんやりした印象だった。和を重んじた心が声に表れたのだろうか。音源の信憑性はさておき、復元された声から見たことのない人たちの雰囲気が、まるで隣にいるかのようなリアリティを伴って伝わってきたのにはびっくりした。「名は体を表す」ならぬ、「声は人物を表す」なのかもしれない。
日本人の声が変わったと思い始めたのは、六、七年前からだろうか。特に女性の発声が違ってきた。喉からまっすぐ声が出ず、声帯の端に突っかかるような「躓いた声」が多くなった気がするのだ。
発音も変わった。サ行とナ行が気になる。sの音がthに似たあいまいな子音になり、nの音が鼻づまりになった。母音では、ウとエ、アとオがそれぞれ近づき、どちらともつかない音になっている。
ファミレスのアルバイト店員さんが「こちらオリーブオイルになります、お好みでお使いください」と言うのを発音通りに写すと、「カチラ、アリーブアイルになります。アカナミでアツェカイケダサイ」となってしまう。私の感覚では、子供が大人に甘えたいときの発音に近い。日本特有の「かわいい」を込めた話し方なのだろうか。
声や言葉を職業とする人たちの間でも、この変化は見られる。たとえば駅のホームで「代々木上原行きです」とアナウンスしている女性駅員さんの言葉は、音の通りに写すと「ヤヤギエエハライキレス」と聞こえることがよくある。公共放送のお天気キャスターさんが「気象情報」と言うのが「キシャージャーハー」と聞こえたこともある。
人にもよるが、この発音は、現在三十代もしくはそれ以下の年齢の人たちに多いように思える。昭和の映画やテレビドラマの子役さんたちの発音は大人と変わらないが、平成の若手役者さんたちの発音は一般人と同じにぼやけていることが少なくない。もしこれが演出なら、発話の変化が演出の世界でも意識されていることになる。
物まねの得意な私は早速まねしてみたが、ぜんぜんできなかった。彼らの口は、いったいどんな動きをしているのだろうか。あるいは、骨格が変化し、声も変わっているのだろうか。
電話の一一七番で時報を読み上げている中村啓子さんに話すと、口が縦に動いていないのだと思う、とのことだった。中村さんは心の通じる温かい存在であり、尊敬する声の使い手だ。その声は聞いているだけで、冷たくない水晶に触れているような、心地よい滑らかな気持ちにさせてくれる。何気なくおしゃべりしていても、声の質はぶれない。こんなエキスパートの見解には説得力があった。
実は「躓いた声」からは、その人の様子が想像しにくい。痩せ型なのか、お澄ましなのか、私に対して誠実なのか。顔を知らない歴史人物たちの風貌はありありと浮かぶのに、いま話をしている若き女子からは心も表情も伝わってこない、そんなことがしばしば起きる。彼女らが美人と教えられても、声からは美人感が共有できない。
こうしてみると、私にとって、美しい声とは単に「美声」ではないようだ。たとえだみ声でも、人となりが伝わってくる素直な発声と明瞭な発音が両立した声は、美しく響く。私自身も、そういうまっすぐな声を目指したいものである。
(「考える人」2016年春号掲載)
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三宮麻由子
さんのみやまゆこ エッセイスト。東京生まれ。4歳で病気のため光を失う。上智大学大学院博士前期課程修了(フランス文学専攻)。処女エッセイ集『鳥が教えてくれた空』で第2回NHK学園「自分史文学賞」大賞、『そっと耳を澄ませば』で第49回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。『空が香る』、『ルポエッセイ 感じて歩く』など著書多数。通信社勤務。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
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