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文学は予言する

2022年11月17日 文学は予言する

第5回  アマンダ・ゴーマンの詩が提起した「翻訳の政治」問題

著者: 鴻巣友季子

*本連載について

大統領就任式で披露された「言葉と声の力」

 ここからは、現代を象徴するもうひとつの特徴である「多様性と他者性」、つまり異なる人種や文化、言語がますますおなじ空間に(リアル空間だけでなくネットやSNS空間も含めてシームレスに)共存していく世界状況を通じて、21世紀の世界文学や文芸の行方を探っていきたい。それは本質的に、自己と他者との出会い、衝突、擦過、あるいはこれらを内包・外包する「翻訳」という営みの問題とつながっている。

 最初にとりあげるのは、アマンダ・ゴーマンというアメリカの若き黒人の女性詩人である。ジョー・バイデン第46代米国大統領就任式で自作の詩をみごとに朗誦したのがきっかけで、一躍名を知られるようになった。大坂なおみやビリー・アイリッシュと共にMET Galaの司会を務めたり、スーパーボウルのハーフタイムに出演したりし、もはやアメリカの国民的スターと言えるだろう。

 アメリカでは、大統領就任式で詩人が詩を披露するのは1961年のジョン・F・ケネディ大統領就任式以来の慣わしであり、ロバート・フロストやマヤ・アンジェロウといった国を代表する有名詩人が登壇してきた。そこに、ハーバード大学を卒業してまもない22歳(式当時)の詩人が登用されること自体が画期的なことだった。

 ゴーマンが朗誦した詩The Hill We Climb(わたしたちの登る丘)は、階層や人種の分断を露わにしたアメリカ合衆国の国民ならびに世界の人びとに、ふたたび絆を取り戻して光射す未来へと進んでいこうと力強く訴える詩である。就任式の中継を深夜のテレビで見ていたわたしは、詩の美しさとパワーもさることながら、若い詩人の威厳ある佇まいと、卓越したパフォーマンスの力に強く心を動かされた。言葉と声の力を実感した。

 この詩は細部から全体にまで驚くほど精緻な構成をもつ。すべての語、すべてのフレーズ、すべてのモチーフが、「反転」と「対照化」を繰り返し、「暗」から「明」へと覆り、過去から未来へと進んでいく。まさに言葉の魔術師が織りなした奇跡のテクストと言えるだろう。

公共の場が育てた才能

 アマンダ・ゴーマンは1998年、カリフォルニア州ロサンゼルスに双子の妹として生まれ、シングルマザーの母が教師をしながら姉妹を育てた。2017年、連邦議会図書館が新設した全米青年桂冠詩人プログラムの初代受賞者となる。その後も、ニューヨーク公共図書館などが支援し、ポエトリー・リーディングなどを催したことで名を知られていった。

 米国において、図書館は非常に大きな力を持つ。全米図書館協会(ALA)の「図書館宣言」は、だれもが読み書きをし、書物の知に触れられることを「基本的人権」として保護しており、たとえば、刑務所には必ず図書室の設置を求めている。ドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館」(2018年)から引用すれば、「図書館はひとである」。

 アメリカの公共図書館は就職活動の支援から、そのためのスキルアップ講座、学習困難児への支援、研究のサポート、講演、朗読会、資料の見学会などなど、地域の生活を大きく支えている。このへんが、日本の図書館とは異なる点だろう。

 連邦議会図書館での朗読が、当時の元副大統領夫人であるジル・バイデン博士の目に留まり、就任式詩人として抜擢を受けたことも大きかったろう。ジル・バイデンは50代になってから、リーダーシップ教育学の分野で博士号を取得しており、ハーバード大学在籍中からリーダーシップ教育のNPOを立ちあげていたゴーマンを、次世代の女性リーダーとしても高く評価したのではないだろうか。

翻訳者に求められた「代弁者の資格」とは?

 ところが、この詩の翻訳者の選定をめぐっては、世界中で騒動が持ちあがった。同詩のオランダ語とカタルーニャ語の翻訳者が、属性を問題視されて降板することになったのだ。そのほか、ギリシャ語の翻訳者と版元など、原作者側からの「承認」を待っているところもあった。

 これは、当事者表象の問題、言い換えれば「だれに代弁する資格があるか」という難問である。オランダ語訳者には、オランダの作家のマリエケ・ルーカス・ライネベルトが指名された。ところが、その後「白人で、ノンバイナリー(性別を自認・公表していない)で、この分野の経験がない(英語に明るくなく翻訳に不慣れ)」ことを理由にネット上で激しい反対の声があがり、辞退することになったのである。

 カタルーニャ語訳者は「男性で、若くなく、活動家でもない白人である」ことを理由に、版元から契約を解除された。両者とも、翻訳の力量ではなく、主に属性が作者本人と違うことで不適任とされたのである。

 「それなら、谷崎潤一郎の作品はその時代の日本人以外は誰にも理解できないし訳せないのか?」とか、「メルヴィル白鯨は黒人には訳せないのか?」とか、もっと言えば、「戦争や障害の当事者でなくてはそれらを作品に描けないのか?」といった疑問は当然出てくると思う。それはもっともだ。

 問題は大きく三層に分けて考えるべきだろう。第一層としてまず議論すべきなのは、翻訳という学術と創作をあわせた領域に、あまりにも白人の割合が多く、BIPOC(Black, Indigenous and People Of Color:黒人、先住民や有色人種)の人材が少なすぎるという社会構造上の偏向問題である。翻訳者を選び直すことでは解決せず、社会の仕組みから変えていく必要がある(これはゴーマン自身が詩で訴えていることでもある)。

 いまでも人種差別に遭うというゴーマンが、人びとの相互理解と友愛を願う政治的メッセージをこめた詩の翻訳をめぐって、人びとの分断をむしろ助長しかねない問題が起きているとしたら、皮肉で悲しいことだ。

 第二層は表現形態の問題である。今回、翻訳者の属性がことさら問題になっているのは、この詩が文字芸術というより、いまアメリカで若い人たちによって興隆している「スポークンワード」(朗読、歌など口承によって伝える声の芸術。しばしば音楽を伴う)と呼ばれる分野であることも関係しているだろう。

 このアートは言葉を書き文字にするだけでなく、作者本人が声に出して聴き手に届けることで、作品として完成する部分がある。詩人は純粋な書き手というより演じ手、役者に近い。そして現在、アメリカでは、ハリウッドでもブロードウェイでも、黒人の役を社会的により立場の強い白人が演じることは、まずもってNG行為なのだ。

 たとえば、ゴーマンの詩のフランス語訳者に選ばれたのは、黒人女性ラッパー「ルース・アンド・ザ・ヤクザ」(ステージネーム)だ。コンゴに生まれ、ベルギーを拠点として活躍するアーティストであり、セリーヌやルイ・ヴィトンの「顔」にも抜擢されている。彼女などを見ると、翻訳者としてというより総合パフォーマーとして選ばれている感がある。

「翻訳する側」と「翻訳される側」のパワーバランス

 しかしこの翻訳者選定の議論は人種のことだけでは終わらない。その第三層には、翻訳のもつ政治的で複雑な本質が横たわっている。

 今回の一件には、「強国アメリカ+英語」対「その他の国+文化と言語」という図式があることも考えるべきだろう。翻訳というのは原文との「同一性保持」が求められる(かけ離れたものになっては困る)のだが、原作者が翻訳者の選定や、訳者の解釈にどれぐらい口を出せるかという問題は一筋縄ではいかない。翻訳される側と、翻訳する側の、政治的なパワーバランスが、必ず介入してくるからだ。

 存在原理的にいって、原作者と翻訳者では、原作者のほうが立場的に強い。しかし、たとえば、17世紀に現ヴァージニア州に住んでいた先住民ポウハタン族の言い伝えを、現代アメリカの白人が英語に訳すとなると、力関係は完全に逆転する。

 多くの場合、文化、文字、言語体系、出版産業などが圧倒的に発達した白人社会にとって理解しやすく好ましい解釈によって、“物語”が変形してしまうだろう。これを翻訳用語で「馴化」という。実際、そのような形でラブストーリー化されたのが、ディズニー制作のアニメーション映画ポカホンタスである。アジア人に関しても、ハリウッド映画などに奇妙な形で登場してきた例は山ほどある。

 こうした場合は、社会的弱者である原作者のほうが「原文」のありようを損ねないよう、翻訳者側に強く訴えることも重要だろう。

 いま話題の若いアメリカ詩人は、人種とジェンダーの点ではマイノリティの立場にある一方、アメリカという強国の知識層であり、英語という最強のヘゲモニーをもつ言語の話者でもある。そういう強い立場にある原作者と版元が、それぞれに異なる文化的コンテクストをもつヨーロッパやアジア諸言語の翻訳者の選定から、原文の解釈、訳文自体に強い指示を出しはじめると、ともすればその言語や文化や歴史を"抑圧"することになりかねない。この点は留意されるべきだ。

 言語にはそれぞれの構造と語彙と音声と複雑な社会と歴史があり、よって多種多様な翻訳方法が存在する。本来は、翻訳する側のそうした事情も充分知ったうえでなくては、原作者側が翻訳者側に指示を出すことはできないはずなのだ。

 答えの出ない難問だが、翻訳とは純粋な言語の通路ではなく、複雑な政治の場だということ、そして翻訳とはどのような行為なのかについて、この一件が考えをめぐらせる格好の機会になっているのは確かだろう。

文学は予言する

2022/12/21発売

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
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「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

鴻巣友季子
鴻巣友季子

1963年、東京生まれ。翻訳家、文芸評論家。英語圏の現代文学の紹介とともに古典新訳にも力を注ぐ。『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫)の他、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(同)、ヴァージニア・ウルフ「灯台へ」(『世界文学全集2-01』河出書房新社)の新訳も手がける。他訳書に、J・M・クッツェー『恥辱』『イエスの幼子時代』(ともに早川書房)、アマンダ・ゴーマン『わたしたちの登る丘』(文春文庫)など多数。『熟成する物語たち』『謎とき『風と共に去りぬ』 矛盾と葛藤にみちた世界文学』(ともに新潮社)、『翻訳ってなんだろう? あの名作を訳してみる』(ともに筑摩書房)など翻訳に関する著書も多い。

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