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堀部安嗣「建築の対岸から」

2023年4月6日 堀部安嗣「建築の対岸から」

中島岳志にきく、死者の声が聴こえる場所とは? 前編

著者: 堀部安嗣 , 中島岳志

 若い頃から東大寺や奈良公園周辺を歩き、悠久の時間を感じながら物事を考えることが好きでした。いままで数十年にわたって何十回と奈良を訪れてきましたが、ここに来ると、それまでの自分にまとわりついた考え方の贅肉や虚飾や汚れを洗い流してくれるように感じるのです。ゆえにパンデミックで行動制限がされて奈良に行くことができない頃は大切な自分の居場所が奪われたように感じました。

 少し時世が落ち着いた頃、自然と奈良に足が向いて、気づけば東大寺の境内に一人立っていました。そしていままでとは違う不思議な雰囲気を東大寺周辺に強く感じました。いつもより圧倒的に人が少なかったことや、不穏な世の中とは不釣り合いな、抜けるような青空が広がっていたことが影響していたのかもしれません。しかし何より、どこか建築とその周囲の場所が人々や時代を〈救済してくれている〉、そんな雰囲気を感じたことが強く影響していたのではないかと思います。世の中が異常な状況にあるからこそ、人の心が穏やかでないからこそ、時代が弱っているからこそ、この建築とこの場所が人に与える平常心と安らぎに深く感じ入ったのです。

 東大寺盧舎那仏(奈良の大仏)は、もともと自然災害や飢饉や伝染病の蔓延に度々見舞われた不穏で救いのない世の中をどうにかするために、聖武天皇と高僧の行基が造立しました。いまの時代とどこか似た時代背景があったわけですが、大きく異なる点は、建築行為が困窮者や弱者の救済を目的としていたこと、さらに千年以上の時を経て現在の私たちさえも救済していることにあります。

 あるとき、政治学者の中島岳志さんにこの話をしたところ、中島さんもいままさにこの困難な状況にあって、聖武天皇の言葉を辿っていると語られ、自分のこの不思議な体験と気付きにさらに深い〈縁〉を与えてくれました。中島さんは、まるで実際に聖武天皇や行基と話をして、当時の人々の苦悩や心を汲み取ってきたかのように、臨場感と生命感をもって私に話をしてくれたのですが、そのとき私は中島さん特有の〈場所〉に対する眼差しの深さを感じたのです。中島さんが見つめる場所とは、人が価値あるものとして認められる〈居場所〉のようなもので、いまを生きる人はもちろんのこと、無数の無名の死者の居場所も含まれているようなのです。そこはまた、建築に携わるものが本来見つめなくてはならない大切な場所であるけれども、いつしか忘れられ、置き去りにされてしまう場所のように直感しました。

 それでは、中島さんが見つめる死者とともにある場所とはいったいどういったところなのか、それが建築においてどんな意味をもつのか、中島さんに尋ね、ともに考えてみたいと思います。 

〈平凡〉や〈普通〉をつかめなかった近代建築 

堀部 最近、建築あるいは住まいをつくるまえに、考えなくてはならない、整理しなくてはならないことが多々あると感じています。建築家としての創作意欲は人一倍もっているのですが、〈良い環境をつくる〉という大目標に対して、ひょっとしたら建築をつくらないという選択肢もあり得るのではないか、という思いが頭をよぎります。そんななかで出会ったのが、中島さんの「憲法は死者の声である」という言葉でした。

中島 憲法の言葉とは、無数の無名の死者たちの声の集積であって、その言葉がいまを生きる為政者や権力者を縛っている―そのような意味合いで使っています。

堀部 言い換えると、憲法とは社会における死者の居場所である、ということですよね。建築を考える上でも非常に重要な言葉です。戦後日本の建築は、明るい未来だけを見ようという空気のなかでつくられ、多くの建築教育の場では、学生たちに「見たこともないものを、普通ではないものをつくりなさい」という指導が行われてきました。つまり過去と接続したものは、普通でつまらないものであるという価値観が横行していたのです。残念なことに実はこういった指導に挫折してしまう学生も少なくありませんでした。

中島 「平凡の非凡」という言葉があります。イギリスの作家チェスタトンの著書『正統とは何か』にある言葉で、真新しいオリジナルなものをつくることが非凡と言われているけれど、実はそうではないよ、という主張です。たとえば、50年間八百屋を続け、次の代に渡した男がいたら、チェスタトンは、その男のなかにあるものこそ非凡であるという。つまり50年にわたり、継続してさまざまな客に野菜を買い続けてもらう、その力こそが叡智であると言っているのです。

堀部 そうした〈平凡〉や〈普通〉の豊かなありようを、戦後日本の建築界や建築教育は掴みきれなかったんですね。尊敬する建築家の吉村順三が、ある建築の講評会で「ふつうじゃいけないのかい?」と言ったという、その言葉が思い出されます。

民藝と近代建築のはざまで

中島 堀部さんのお話をうかがっていて感じるのは、民藝思想との近さです。堀部さんは、周囲と馴染むようにとか、昔からあったようになどとおっしゃり、風土が本来備えている性質をあぶりだすような設計を心がけていらっしゃいますよね。一方で作家の個性があらわれた新奇性の強い建築に対しては懐疑的です。民藝思想を提唱した柳宗悦は、芸術家が〈はからい〉や〈衒い〉を持って生み出したものより、庶民が必要に迫られて、あるいは自然に沿って淡々とつくりだしたものに美を見出しました。堀部さんはおそらく、建築家以前の建築、無名の職人などによってつくられた〈はからいのない〉建築と、作家性の強い近代建築との間にあるギャップを乗り越えようとしているのではないでしょうか。

堀部 ええ、そうかもしれません。ヨーロッパの街路で、イチョウ型に連続した石畳をご覧になったことはありますか? なぜああいったデザインが生まれたかというと、職人が一点に留まって、そこから扇形に手を伸ばして石を置いてゆけるからなのです。つまり人体の寸法と人間がつくりだすものが一体化しており、職人の身体や人間性が阻害されることのないつくりになっているのです。日本の伝統的な瓦も同様です。波型の形状は、職人の手になじみやすく、また瓦の下には空気の通り道ができるから、室内環境にも良い効果をもたらす。あれ以上小さくても大きくても、あれ以上重くても軽くてもいけない、完成されたものなのです。

中島 石畳や瓦のように、使われるということ、つまり身体感覚と密着したものにこそ美が宿るというのが、民藝でいわれる「用の美」にあたるのでしょう。

堀部 はい、ではなぜそんな完成度が高いものができたかというと千年以上にわたって改良が繰り返され、無数の無名の人々の意見と知恵が蓄積され続けてきたからなのです。石畳や瓦のような風雪に耐えてきた技術や素材には、個人の思いや趣向、また平凡非凡の概念を超えた域があります。そんな世界を知れば、とても自分の一過性のアイディアなどは敵わないという、前向きな諦めを持つようになり、過去を否定したものづくりなど、容易にはできなくなります。

「極端はよくない!」

中島 民藝運動が大きな影響を受けたものに浄土教の思想があります。なかでも浄土真宗の開祖である親鸞はオリジナリティを徹底的に疑った人なのです。自分の能力=自力によって何かを創ることができるなんて嘘だという。徹底的に自力の世界でやった末に、ぶつかるのは無力という問題だが、そのときに後ろからやってくる大きな力を、彼は「他力」と捉えました。その大本は阿弥陀仏からやってくる力であり、死者たちの歴史を経て私たちに届くものでもあるという。そんな他力によって生かされているのが、私たちの主体である、これが親鸞の考えなのです。何か堀部さんの建築と相通ずるところがあるのではないでしょうか。無名の死者たちから得たものが滲み出ているような、他者と自己の区別がつかなくなっていくゾーンが、そこにはあるのではないかと思います。

堀部 いま通俗的にいうオリジナリティとは、樹木のかたちにたとえると、枝葉の方を指しているように思います。そして表現が極端である方がオリジナリティがあるという、とんでもない誤解が生まれてしまった。極端な未来志向、極端な自然回帰。極端に私的なもの、極端に公的なもの。このような明快さは話題や評価を呼ぶ傾向がありますが、しかし本来オリジナリティというのは、分化する前の起源とか、枝分かれする前の木の幹の部分を指すのではないでしょうか。親鸞が見つめていたのもその部分なのではと思います。

中島 私は「朝まで生テレビ!」には絶対出ないことにしているんです。司会者の田原総一朗さんは好きな方なのですが、あの番組では必ず「極論するとAなの、Bなの?」と聞かれるから。私の考える政治学から見ると、その問い自体が間違っている。大切なのは、AかBかの極論のどちらかではなく、その間にある無数の選択肢のうち、どこに均衡のとれた解があるのかを、人々の良識や死者の声に求めつつ、ジャッジしてゆくこと。そうした〈永遠の微調整〉こそが政治だと思うのです。

堀部 私も設計にあたっては、できれば極端に傾くことなく、バランスを取ることに腐心したいと考えています。そのバランスの取り方、取り続け方にこそ、本当の作家の個性があるのではないでしょうか。しかしこの移り変わりの激しい時代、今日バランスが取れたとしても、明日はまたバランスを取り直さなくてはならないし、一週間後、一月後、一年後には、当初とは違ったバランス感覚が要求され続けるのです。尾根筋をどちら側にも転ばないように慎重に歩き続けるような、そういう身体感覚と体力が必要です。しかしこれをやり続けることが、中島さんがおっしゃる〈永遠の微調整〉にあたるのでしょう。

中島 ええ、まさに。師匠の西部邁さんには、「時評から逃げてはいけない」と言われました。学者というのは体系的なものや、オリジナルの何かを生み出すことが重要であると思われがちですが、西部さんの教えはそうではなく、いま自分の生きている時代の一つ一つの出来事に向き合いながら、自分の見解を述べること、その蓄積においてはじめて現れるのが、思想である―というものでした。それは、いま堀部さんがおっしゃったことと同じ話なのではないかと思います。

堀部 ちょっと思い出したのは、よく通った東池袋大勝軒店主の山岸一雄さんのことです。大勝軒のラーメンは、40年間変わらない味で、行列もずっと絶えなかったと言われています。でも40年間一定の味を提供し続けたということは、水面下では試行錯誤が繰り返されていたと思うんです。取引先が変わっても、材料の値段が変わっても、同じものを出し続ける。つまり山岸さん自身が変化し続けることによって、トータルとしては変わらずにいた。むしろ表面的に変えることの方が楽なのです。

中島 老舗の方はみな、時代にあわせ常に変化しているといいますよね。だから表面的な味だけを継承した2号店は失敗することが多い。チェスタトンのいう八百屋も、大勝軒の山岸さんも、永遠の微調整を続けていたということですね。

堀部 私にとって、一つの理想的な仕事のあり方です。

 

後篇につづく

対談者プロフィール

中島岳志(なかじま・たけし)
政治学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1975年、大阪府生れ。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『超国家主義 煩悶する青年とナショナリズム』(筑摩書房)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点―安田善次郎暗殺事件―』(新潮文庫)、共著に『料理と利他』(ミシマ社)、『いのちの政治学』(集英社クリエイティブ)など。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

堀部安嗣

建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。

中島岳志

なかじま・たけし 政治学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1975年、大阪府生れ。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『超国家主義 煩悶する青年とナショナリズム』(筑摩書房)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点―安田善次郎暗殺事件―』(新潮文庫)、共著に『料理と利他』(ミシマ社)、『いのちの政治学』(集英社クリエイティブ)など。

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