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堀部安嗣「建築の対岸から」

2023年4月6日 堀部安嗣「建築の対岸から」

中島岳志にきく、死者の声が聴こえる場所とは? 後編

著者: 堀部安嗣 , 中島岳志

前篇はこちらから

映画『キャスト・アウェイ』と私たちの歴史

堀部 以前『キャスト・アウェイ』(2000年)という映画を観ました。フェデックスの飛行機が墜落し、トム・ハンクス演じる主人公が無人島に漂着するのですが、一緒に流れ着いた飛行機の積荷をサバイバル生活に活かしてゆくのです。たとえばドレスのレースを網にして魚を採ったり、スケート靴の刃を包丁代わりにしたり。そんな姿を見て、これは意外や私たちのこれまでの歴史そのものなのでは、と思ったのです。つまり辺境の地にあって、海の向こうから流れ着いたものをうまく活かしながらブリコラージュして生活していく。そんなことの積み重ねによって、これまでの歴史や文明が形成されてきたのではないか―ということです。しかし振り返ってみると、どうもある時点から、私たちは〈あるものを活かす〉のではなく〈ないものをねだる〉ようになってしまったようなのです。領土が少ないから植民地をとりにいこうとか、資源がないから石油とか石炭を外にとりにいこうとか。その歴史的に馴染みのない行為がやがて戦争にもつながっていったのではないでしょうか。いまの建築の世界の閉塞感も、この〈ないものねだり〉の精神と大きく関連しているのではないかと感じるのですが…。

中島 現代の根底にある近代的な人間観の綻びが見えてきているのでしょう。近代的人間観とは、理性を持った主体が合理的な意思をもって選択をする、そして意思を持って選択したことには責任が伴う、という考えをベースにしたものです。私たちは、これを戦後民主主義を通して教えられ、意思を持って生きることこそが肝要と言われてきました。しかし実際に私たちの生そのものに目を向けてみると、意思が介在しているものなんてごくわずかで、圧倒的に多くが意思を越えた偶然性に支配されていることに気づくでしょう。たとえば私自身を例にとっても、大阪という生地、日本語という母語、そして両親などの家族…これら私という人格に関わるおおよそのものは、ほとんど自分で選択していないのです。たまたま付与されたとしかいいようのないものによって、私という存在が構成されているとしたら、人生の重要事はこの偶然をどう受け止めるかという問題であろうと考えられます。つまり、人間はすべてにおいて主体と意思を持って選択しているわけではなく、私たちの前に偶然やってきたさまざまなものに対応しながら、その都度何かが構成されてゆくという存在だと思うのです。

堀部 以前うかがった、ヒンディー語の与格構文の話を思い出しますね。与格構文においては、自分というのはある種、器や型のようなものであって、たとえば「私は悲しい」ではなく「私に悲しみがやってきて留まっている」と表現されるそうですね。もし自身を器や型と捉える、そんな思想がもっと人々に共有されていれば、〈ないものをねだる〉ことが常態化してしまうことはなかったのではないでしょうか。

中島 ええ、そうなんです。本来私たちは偶然が織りなす存在なのだから、偶然のかかわりの中で苦しんでいる人には手をさしのべよう、という世界観の方が、より利他的で、多様な繋がりを回復できるはずですよね。

 仏教では、絶対に変わらない自分というものは存在せず、そのような思い込みこそが苦しみに繋がっていると考えます。たとえば就職活動で、「あなたらしさと向き合え」などと言われるが、仏陀がいたらポンポンと学生の肩を叩いて、「そんなものないよ」と言ってくれると思います。では、しかしそれでも一貫して感じられる〈私〉とは何なのかといえば、仏教では〈現象〉であると捉えるのです。(しき)(じゅ)(そう)(ぎょう)(しき)五蘊(ごうん)というものが存在しており、これが自分の器や型のようなものにあたるのでしょう。この五蘊の結合状態が、他者や外部のもの―仏教では縁という概念で捉えますが―と関われば、動いて変化する。そうすると昨日の私と、何かと出会った今日の私とは少し変わっている。けれども同じ私が続いている、ということになるのです。これは、自分らしさとか、あるいは自我などという問題をうまく解消させてくれる、とても重要な世界の見方でしょう。

堀部 おっしゃる通りですね。私たちにはすべてをコントロールでき、予定でき、計量でき、所有でき、設計ができてしまうといった錯覚や驕りがあり、それを当たり前のものとして生きてきてしまった。しかしいま起きている戦争や原発や環境問題など、近代がもたらした世界中の問題に対して、中島さんをはじめ過去に潜ることを日常化している人たちは、ずっと前から警鐘を鳴らしてきましたね。苦い過去に蓋をして未来だけを美しいものと捉えてゆく人たちには、その警鐘が響かないのが残念ではありますが......。

過去に〈潜る〉わけ

堀部 そもそも中島さんはなぜ過去に遡ろうとされたのでしょうか。最初の著書である『中村屋のボース』(2005年)は太平洋戦争を背景にしたノンフィクションですが、刊行当時こういった戦争絡みの過去に遡ることは非常に勇気のいることだったのではないでしょうか?

中島 西部さんの教えもあるのですが、私はある一つの理論や一つの視点によって特定の事象を分析・予測するというのは不可能だと考えているのです。しかし、人間行為の総体であり、またそのエッセンスがつまった歴史というものに目を向ければ、予見可能性が拡がると思ったのです。

 堀部さんもよくおっしゃっていますが、日本の近代には大きく二つの波があったと捉えることができるでしょう。まず、明治維新から坂の上の雲をめがけ登ってゆく時期があり、日露戦争ぐらいでピークを迎え、太平洋戦争に向かって下ってゆくという流れ。もう一つは、敗戦から高度経済成長期を経て登ってゆき、1980~90年代のバブル期に頂点を迎えたあとに、ふたたび下ってゆくという流れ。『中村屋のボース』を書こうと思ったとき、現在は第二の波の下り坂にあたるのだから、第一の波の下り坂にあたる時代に遡行してみれば、いまを見通すときに、非常に教訓を得やすいと考えました。具体的に言えば、1930年代の日本には、国家の物語と同一化できずにいた青年たちに生きることへの精神的な煩悶が生まれてゆき、やがてそれが超国家主義へと繋がってゆくという流れがありました。1990年代以降にも、高度経済成長期に形成された価値観が崩れ、共有できなくなってゆくという何か共通する流れがあったのです。それで、戦前の社会と青年たちの内面の問題へと潜っていったのです。

堀部 なるほど…建築も、この二つの大きな波をつくることに大きく加担し、また同時に二つの波に大きく翻弄されてきました。しかし、こんなに激しい波を経験してしまったあとには、結局何も残らないのです。たとえば明治時代に西洋の真似をしてつくられたレンガ造の建物などは、現在ほとんど残っていませんし、あるいは高度経済成長期に建てられた建築も多くがその役目を終え、解体されていっています。

中島 日本の建築史を1000年、2000年という単位でみると、この150年、200年はそうとう異常な動き方をしているのでしょうね。江戸期の300年間を見ても、建築のあり方というのは、初期と中期と後期にここまでの大きな変化はないでしょう。

堀部 そうなんです。私が大学の4年間を過ごした筑波研究学園都市は、高度経済成長期に、多額の費用を投じ、当時の頭脳を集積させてつくられた人工都市でした。しかし、町には、歴史の蓄積や、住人の多様性の欠如からくる閉塞感が漂い、庶民の暮らしを重層的に支えてくれるような奥行のある空間はついぞ生まれませんでした。私自身もそこに居場所を見出せず、やがて歴史や伝統が息づく集落や寺院に出かけることが多くなりました。いま思うと筑波学園都市には死者の居場所がなかったのでしょう。30年以上経ったいま、町の大部分はゴーストタウン化しています。死者の声が聴こえないから、〈ゴースト〉タウンになったとはなんとも皮肉な話です。歴史や風土や慣習といった〈根〉を切断してつくられる都市は、数十年で枯れてしまったのです。もうこういった乱高下に、多くの人はうんざりしているでしょう。もう少し低空飛行でもよいので、穏やかな時代が続いてほしい。スクラップアンドビルドの流れを断ち切って、平常な世界に戻してゆくことを建築から発信できたら良いなと思ってはいるのですが…。建築にかかわる私たちも、まずはもう一度過去にしっかり潜るところから始めなくてはなりませんね。

「のど自慢」と「寅さん」の間(スペース)

堀部 ところで先日Eテレで放映された歌手のUAさんとの対談で、中島さんの理想のあり方は「のど自慢」の伴奏者とおっしゃっていましたね。

中島 ええ、イントロを間違えたり、テンポがずれたりする素人の歌い手を、あそこまでのびのびと気持ちよく歌わせてしまう、その利他的な姿がすばらしいなと思ったんです。高い演奏技術を前面に出すことなく、歌い手のための良いスペースづくりに専心している。

堀部 建築をやっていると〈空間〉という言葉がよく出てきますが、それは壁や天井や屋根で囲まれた、物理的な空間を指すことが多い。しかしその物理的な空間をつくる前の段階で、人と人との関係において、お互い良いスペースを用意しあうということが大事なのではないか。そのスペースの用意の仕方や、スペースの質によって、その後につくられるものが大きく変わっていく気がするんです。

中島  おっしゃるとおりです。思想家の和辻哲郎が、私というものは、人と人との〈間柄〉によって成立し、この〈間柄〉に生まれてくるものこそが倫理であると言いました。さように〈間〉または〈場〉というのは人間の幸福にとって非常に重要なものだと思います。

堀部 私は『男はつらいよ』が大好きで、何度も観ているのですが、あの映画ではいつも弱い人と強い人が交錯しあって場がつくられているのがいいなあと感じるのです。そしてまた寅さんの実家である柴又の「とらや(くるまや)」の空間が実にすばらしい。店舗と住居が一体化した空間に、土間があって、座敷があって、中庭があって、台所と2階にあがる階段との位置関係も絶妙で。そこに寅さんがフラっと帰ってきたり、隣の工場からたこ社長がひょいっとやってきたり、お客さんがやってきたり。さまざまな立場の人を包摂し、集った人々が補い合うことによって、強い共同体が生み出されている。誰もが自身の居場所を見出すことができる、一つの理想的な場のように感じます。

中島 寅さん自身が、場をつくる人でもありますよね。彼が各地を転々とすることによって、そこにさまざまな人間関係が生まれたり、誰かの心の中にあった大切な記憶を喚起したり。よそ者で、ある場所の秩序を一度ぐちゃぐちゃにしてしまうのだが、それによって皆自分たちの大切なものに気づいてゆき、また秩序が生まれてゆくという、文化人類学的にいうとトリックスターのような存在でしょう。

 建築家にも実は似たような部分があるのではありませんか? 建築家は他者の人生にある種トリックスター的にかかわり、施主は自らの人生や生活を客体視するプロセスを経験するでしょう。そうやってあるスペースを創出してゆく、実に面白い仕事ですよね。

堀部 そうですね。寅さんのように、人が互いに価値あるものとして認めあえるようなスペースをつくれたら、建築家としてこれ以上のことはありません。また同時にそこは、死者の居場所としての抑制や謙虚さを備えた場であってほしいと思います。東大寺しかり、とらやしかり、時代を超えて人々に感銘とやすらぎを与え続けている場は、みなそのような質や品位を保っているように思うのです。

中島 ええ、そういった場がもっと増えてゆくことを切に願っています。西川きよしが、「大きなことはできませんが、小さなことからコツコツと」と言っていたように、堀部さんも一軒一軒つくってゆくし、僕も同じことを言い続けるだけ。ただそれを生活の現場で継続してゆくことがすごく重要なのだと思います。

堀部 本当ですね。設計を続けてゆく上で非常に勇気付けられる言葉です。中島さんとの対話をつうじて建築家としての役割や原点を再確認することができました。お互いコツコツとやってゆきましょう。 

(対談おわり)

対談者プロフィール

中島岳志(なかじま・たけし)
政治学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1975年、大阪府生れ。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『超国家主義 煩悶する青年とナショナリズム』(筑摩書房)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点―安田善次郎暗殺事件―』(新潮文庫)、共著に『料理と利他』(ミシマ社)、『いのちの政治学』(集英社クリエイティブ)など。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

堀部安嗣

建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。

中島岳志

なかじま・たけし 政治学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。1975年、大阪府生れ。大阪外国語大学外国語学部ヒンディー語学科卒業、京都大学大学院博士課程修了。2005年、『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で、大佛次郎論壇賞とアジア・太平洋賞大賞を受賞。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を経て、現職。主な著書に、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)、『血盟団事件』(文春文庫)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『超国家主義 煩悶する青年とナショナリズム』(筑摩書房)、『思いがけず利他』(ミシマ社)、『テロルの原点―安田善次郎暗殺事件―』(新潮文庫)、共著に『料理と利他』(ミシマ社)、『いのちの政治学』(集英社クリエイティブ)など。

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