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堀部安嗣「建築の対岸から」

2023年5月10日 堀部安嗣「建築の対岸から」

若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 後編

著者: 堀部安嗣 , 若松英輔

前編はこちらから

古い本と古い建築

堀部 家は人が弱くなれる場所、という話でしたが、こういった「弱い」とか、「古い」とかいった言葉に価値を見出せない日本語の状況について、よく考えています。これは私見なのですが、やはり富国強兵をとなえた明治以降にこういった言葉のネガティブな意味が固定化してしまったのではないでしょうか? どうしたら言葉の認識を変えられるのでしょうか。

若松 たとえば「古い」という言葉も、大事にされたものと、単に古びたものが混同され、見分けがつかなくなっているんでしょうね。それこそ建築においても、いまあるものに新しい息を吹き込むのもとても大切なお仕事だと思うのですが、近代日本というのは、とにかく経済効果を優先して、壊す。つまり新築する。でも古くなるということは、悪いことばかりでなくて、本当にそのものらしくなっていくということでもある。私たちが、いわゆる消費しているものは、〈古く〉なる前に壊れてしまったわけですね。

堀部 〈消費〉され、風化ではなく、〈劣化〉するんですよね。

若松 逆にいうと消費されるものは、古くなれないものともいえるかもしれません。古くなるということは、育っていくということで、つまり時間が経てば経つほどその価値が定まってくるともいえる。その価値というのも、バリュー(value)、つまり価格化できるものでなく、英語でいえば、あの人は信頼できるというときに使うトラストワージー(trustworthy)、またはワース(worth)という言葉の方で、こちらは消費されない、量化できない価値です。

堀部 しかし私たちは全てをバリュー化してゆく方向に進んでいますね。たとえば〈ヴィンテージ(vintage)〉という語は、本来、古さの価値を示すとてもすてきな言葉だと思うのですが、これすらバリュー化されてしまっている。

若松 残念ながらそうですね。でも最近、あらためて古い本っていいなと思い直していて、たとえば武者小路実篤の戦前に出版された本なんかを、わざわざ古本屋で見つけては買って読んでいるんです。全集を持っているにもかかわらず。ほんの数百円なのですが、その金銭的価値とは無関係の、格別な味わいがあります。書き手だけでなくて、その本に携わった人たちの気持ちがあらためて伝わってくるような、古いからこそ古くならないモノが伝わってくるような感じがあるんです。

堀部 おっしゃること、わかるような気がします。本は特に信頼関係が築きやすいメディアですよね。読み進めていったら「ここからは有料」だなんて言われたり、途中から広告が入ったり、あるいは充電が切れて読めなくなるなんてこともない。さらに若松さんがおっしゃるような戦前の本は、こんなに丁寧につくられているんだとか、こんなに大切にされてきたんだなどとこの手に実感でき、より一層信頼を深めることができるんでしょうね。

若松 ええ、そうなんです。さきほど新潟の家の話をしましたけれど、家も住まわれると、より住みやすくなる。竣工したては傷ひとつないピカピカな状態でしょうけれど、人が1年、2年、3年と住みこんでいくと家が〈住処〉になっていくというか。建築物が人の居場所としての用をなし、あるべき姿へ変わっていくっていうことですよね。

堀部 戦前の本と同じように信頼のおけるような住まいというのは本当に数少ないのですが、いくつかありまして、大体が古いものなのですが、そういった建築を見ることが私自身にとっても一番勉強になる。なぜ古い家や建築がいいのかというと、そういった場所では死者の声が聞こえるからです。

若松 私が堀部さんのことをはじめて知ったのは『書庫を建てる』という本なのですが、あの本のなかで、施主の松原隆一郎さんのお祖父さまの仏壇を安置されることと、ご自身の蔵書を収めることが一つの建築のうちに美しく融合していて、ああ、こういうこともできるのだ、とびっくりしたのです。私はどちらかといえば、家を買うなら、本を買いたいと思うほうで、自分の家を持つことにはあまり関心がなかった。けれど年齢を重ねてくると、だんだん亡きものと暮らしてゆくための場を準備したいなと思うようにもなってきたんです。今日のお話でいえば世の中で生きていく時間よりも、私が私として生きていく時間、つまりそれは、亡きものとともに生きるということだと思うのですが、そのことがますます重要になってきて、そういう時空の重みが増してきたんですよね。

堀部 若松さんはよく御著書の中で死者というのは実存していると書かれていますが、私も古い建築の建つ場所へ行くと、かたわらに設計者なり、建てた人なりが語りかけてくるようなことをよく経験します。そこで戒められるときもあれば、励まされて背中をポンと押されることもある。建築が時空に働きかける大きな力を実感します。

若松 彫刻家のロダンが、ある聖堂に入って自分の魂の中に入ったようだ、と言った、と高村光太郎が訳した『ロダンの言葉』に記されています。これと似たことが古本の扉を開くと起こる気がするのです。ごく小さな扉だけれど、その向こうにはとてつもなく深く広い世界が拡がるというか。そしてそういった場所で生者の道案内人になってくれるのは、堀部さんが古い建築で体験されたように、亡き人々なのでしょうね。

人と自然をつなぐ建築

堀部 先日長崎の軍艦島に行ってきました。石炭が主要エネルギーでなくなった途端使い捨てられた島ですが、当時は石炭=金であったように、現代では情報がそれにあたり、シリコンバレーや中国の深圳がかつての軍艦島のような状況にあるのではないでしょうか。しかし情報=金という図式もまた変わるとすれば、次はついに自然が金の価値とイコールになるのではないか。ようやく自然が豊かであるということに価値を見出すようになる、ホモサピエンスの歴史のなかで、そういった瀬戸際にあるような気がするんです。

若松 気候変動の危機といわれますが、私たちが自然とのつながりをもう一度つくり直す最後のチャンス(機会)ともいえますね。

堀部 そのときに自然が残っているのかという問題もありますが。自然が人間にとって価値あるものだとすると、日本は相当アドバンテージの高い国だったと思うんです。しかしやってきたのは、その資源を自ら破壊してゆくことでした。

若松 私たちはどうしても〈人と自然〉という考え方をしがちです。でもそれは、無意識に人が上位にあって、人間が自然をどう利用できるのかという認識にあるということですよね。

堀部 はい。あるランドスケープデザイナーの方が、詩歌にしても歌謡曲にしても童謡にしても、かつての日本の歌はみな自然の美しさを歌っていたのに、いまは愛だの恋だのの歌ばかりになってしまった。それはこの日本において自然が、あるいは豊かな景観が失われていったことの証ではないかとおっしゃっていました。

若松 かつて歌われていたのも、〈自然の内なる人〉だったと思うのですが、大事なのは、私たちが自然の一部であるという認識をどう取り戻すかです。そして住まいも自然の脅威に抗う役割がある一方、自然の内なる人を見出し、自然とより一体となるための役割があるのではないでしょうか。ここでいう自然というのは、植物や動物などのみならず、過去や未来の時間も含む、〈自ずからあるあり方〉といったものにまで及びます。その自然と私たち人間がどうつながっていくのか。それは〈叡知〉という言葉にもつながり、家というのはそういったことを考えるための土台になりうる場だと思うんです。

堀部 姉が造園をやっているんですけど、コロナ禍以降、建築に比べると明らかに造園の分野の注目度が高くて、お金も回るようになっているらしいんです。自分の足元から自然との関係や生活の違和感を見直す動きがぽつぽつ出始めているのではないでしょうか。これはいい傾向ですよね。

若松 ついこの間、故郷に帰ったんですが、母が「英輔、見て見て」って、庭で育てている夕顔が2輪咲いているのを見せてくれたんですよね。夕顔って1日しか咲かない儚い花なのですが、何かとても大事なものをわけ与えてくれたような気がして、生涯その日のことは忘れないなと思いました。家というのは、こういうかけがえのないことが起こりうる場ですよね。けれど東京に帰ってきたら、自分の家があまりにも機能に塗りつぶされていることに気づいて、自分の暮らしをちょっと反省しました。

堀部 そのお話は、若松さんとお母さまが自然を介してつながったということですよね。たとえば閉ざされた部屋の中で人と人が直接向き合っても、息苦しくなるばかりで、理解し合えることは少ない。でも、海を見ながら話をしたり、あるいは縁側に並んでボーっと過ごしたりなんて時間を共有すると何かしらの結びつきが生まれたりする。つまり人と人の間には自然が必要で、それはまた人も自然の一部であることを証明しているとも思うんですけれど。

若松 そうですね、おっしゃるとおりです。

堀部 そういった人と自然の関係性を取り戻していくために建築に何ができるかというと、若松さんとお母さまが夕顔をみた庭のような、そういう場を用意してゆくことなのかな、と思っています。

若松 すばらしいですね。建築というのは、やはり物理的なかたちがもたらす大きな力がある。また、その決断がもたらす影響力を考えれば、建築家の責任も大きい。その大きな力を、現代のバリューに惑わされずに、死者や未来の人々の力を借りて、これからも発揮していただけたらと思います。

堀部 建築の初源的な役割を示すとても深い言葉に襟を正す思いです。本当の〈建築の力〉を発揮できているか、これからも自問してゆきたいと思います。ありがとうございました。

(おわり)

対談者プロフィール

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家。1968年、新潟県生れ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年、「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。2016年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。2018年、『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞。同年、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年、第16回蓮如賞受賞。2021年、『いのちの政治学』(集英社インターナショナル、対談 若松英輔 中島岳志)が咢堂ブックオブザイヤー2021に選出。その他の著書に、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『悲しみの秘義』(文春文庫)、『イエス伝』(中公文庫)、『言葉を植えた人』(亜紀書房)、最新刊『藍色の福音』(講談社)など。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

堀部安嗣

建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。

若松英輔

批評家、随筆家。1968年、新潟県生れ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年、「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。2016年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。2018年、『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞。同年、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年、第16回蓮如賞受賞。2021年、『いのちの政治学』(集英社インターナショナル、対談 若松英輔 中島岳志)が咢堂ブックオブザイヤー2021に選出。その他の著書に、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『悲しみの秘義』(文春文庫)、『イエス伝』(中公文庫)、『言葉を植えた人』(亜紀書房)、最新刊『藍色の福音』(講談社)など。

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