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堀部安嗣「建築の対岸から」

2023年5月10日 堀部安嗣「建築の対岸から」

若松英輔にきく、身体の内に建てる家とは? 前編

著者: 堀部安嗣 , 若松英輔

 建築とは言うまでもなく人の身体の〈外〉に柱や屋根を築いてゆく行為です。そして身体を覆うスケール感やダイナミックさに魅了されたのが、私たち建築を生業とする人たちと言えるのではないかと思います。

 しかしそのスケール感やダイナミックさは、ときとして自然や景観を破壊する暴力的な存在になるので、その危険性を常に肝に銘じておかなければなりません。

 そんな身体の外に建築を築く仕事をしている私が、あるとき、作家の若松英輔さんの著書に出会いました。

 そして数々の澄んだ美しい言葉を噛み締めていったとき、若松さんは、実は人の身体の〈内〉に建築をつくっているのではないかと感じたのです。身体の〈内〉に考えの基礎や土台を敷き、思考の柱を建て、社会や環境の厳しさから心を守る屋根や壁を築き、さらに景色を美しく捉え、心地の良い風を取り込む窓を注意深く穿っている―そんな感覚を文章から抱いたと言えばいいでしょうか。

 読後はいままでよりも確実に自分の心身が整い、風通しがよくなり、暖かな陽だまりが身体の内に生まれているのです。

 ではなぜ人は、人の心身の内外に建築的なるものをつくるのでしょう。

 それはまず人という動物が他の動物に比べて肉体的にも精神的にも〈弱い〉からなのではないかと思います。雨に濡れ続けては風邪をひきます。強い日射や風を浴び続けていては体力が奪われます。暖かさが得られなければ生きてゆくことはできません。

 そんな肉体的な弱さを補うために生まれてきた建築は、言い換えるならば弱者のためのものと言えるのです。そんな肉体の弱さは、当然精神的な弱さと連動しています。たとえば寒くて凍えているときに、人は未来への希望を思い描くことはできません。雨や強い日射を浴び続けながら、睡眠や食事を摂ることはできません。台風や地震に怯えていては生活が貧しくなるでしょう。

 人の身体の外側と内側からその弱さを自覚し、その弱さを知恵で補うことこそが建築的な行為なのです。

 そして若松さんも人の〈弱さ〉や〈貧しさ〉を基盤とした、しかしだからこそ信頼できる建築を心の内に打ち建てているのでしょう。

 身体の内外で繰り広げられる建築的行為の交点に、信頼できる建築のすがたを求めて、ぜひ若松さんにお話を伺いしたいと思いました。

家とは魂の神殿である

堀部 私は柱を建てたり、屋根を架けたり、いわば人間の身体の外部にあるものをつくってきたんですけれど、若松さんの本を読み、その言葉に触れると、自分の身体の内側に部屋が用意されるような、建築がつくられていくような思いがしたのです。良い言葉に出会い、自分の身体内側にある部屋が開かれていくとでもいうか…。

若松 ありがとうございます。そのお話で思い出すのが、私たちの魂はもう一つの神殿である、という言葉です。

堀部 どういう意味ですか?

若松 私たちは、心の内側に神と向き合う場所を、つまり祈りの家をもたなくてはならない、ということです。私はカトリックなのですが、これは、カトリック思想に、そしてユングに至るまでのドイツ神秘主義に多大なる影響を与えた、中世ドイツの司祭で神学者の、マイスター・エックハルトの言葉です。彼はまた、人は心の中に神だけが住む場所を持たねばならない。しかし人々はそこを神との取引や商いの場所にしてしまっている、とも言っている。

堀部 なるほど、とてもよくわかります。

若松 もうひとつ、作家の須賀敦子さんが若いころに書いた「シエナの聖女」というエッセイには、聖女カタリナの「霊魂の中に秘密の小部屋をつくりなさい。(中略)そこに入って、おはじめなさい。自己の探求を、ひいては、神の探求を」という言葉があります。二人とも心の内なる場所―そこはいわゆる「真善美」を認識できる場所でもあると思うのですが―の存在を指摘し、私たちがそこをどのように守っていくか、あるいはどのように用いるかを問うているのでしょう。

堀部 二人とも心の中に家を打ち建て、そこを大切にせよ、と言っているのですね。

若松 ええ、堀部さんの作品集を眺めつつ、物理的な建築物も、この魂の神殿のように、ヒトが〈人〉になっていくための場所であり、また本当の自分自身と出会える場所だったのではないか…などといったことを考えていました。

堀部 私はときに建築をつくることの意味が見出せなくなることがあるのですが、そんなときにはある一つの情景を思いだすようにしています。

 二人で雪山を歩いている。寒くて、空腹で、睡魔にも襲われ、同伴者とは会話もなく、心が閉ざされてゆく。そんな中で小さな小屋に出会う。窓から漏れる暖かい光や暖炉からの煙を見て、安堵感や安心感がもたらされる。そして小屋の中に入ると、暖をとったり、食事をしたり、眠ったり、同伴者と会話をしたり、外の雪山ではできなかった人間らしい営みができるようになる。ほんの小さな小屋だけれど、これこそが私が建築に求めるもの、建築の力なんだ、と感じるのです。この小屋においては、人の心の中の情景と身体の外の環境が無理なくつながっており、人の営みは、国籍や人種や思想の違いを問わないもので、ここには建築がもたらす理想的な状況があるように思うのです。

若松 なるほど、それは、私たちの中で本当の意味での〈用〉がはじまるときの姿だと思うんです。〈用いる〉とは、その対象を育てていくということで、たとえば本は書店に並んでいるときは、まっさらな存在だけれど、読者に読まれることによってはじめていのちを帯びる。そんなふうに、家や建築も用いられることによって生き生きとした本来の姿になってくるのではないでしょうか。

 私の故郷は新潟なのですが、故郷にいると家を育てるというのはある意味あたりまえのことで、逆にそうしないと「家も育てられないのか」というような、ある種の軽蔑されるような感じさえあるわけです。しかし自分自身の生活も含めて、どうも住まいや建築を〈消費〉してしまっている感じがある。いのちを吹き込むというよりは、摩滅させ、古びさせ、いつか使えなくなってしまう、モノとして扱っている。家や建築と、こういった関係が保ちにくくなってしまったのは一体なぜなのか。逆に堀部さんにお伺いしたいです。

堀部 うーん、そういった問題意識は、建築にかかわる人たちは、みな潜在的に持っていると思うのですが、見てみないふりをしているというか、それに気づいてしまうと自分の仕事が奪われてしまうという危惧があるのかもしれません。たとえばいま、建設業界でも環境問題が取り沙汰されていますが、本当に環境問題を考えるのであれば、一部例外を除いて、建築は建てない方がいいんです。

若松 なるほど、なるほど。

堀部 けれど、省エネルギーにこれだけ配慮していますとか、こうすれば災害に強くなりますとか、いろいろな免罪符を用意して、建築をつくることの正当化が無理やり行われている。そうやって若松さんのおっしゃる〈用いる〉ための家とは違ったものが量産されていっているのが現状です。

 〈住む〉という言葉はもともと〈澄む〉という言葉からきているそうなんですね。つまり家なり建築なりに〈住む〉と、生活が安定して、心が澄み渡っていくということが語源にあるのでしょう。先ほどの雪山の小屋の話もそうなんですが、私は建築というのは、もともと他の動物に比べ身体的に弱い人間をまもるために生まれてきたものだと考えているんです。ですから、建築を建てるときには、若松さんもよく書かれているように、その〈人間の弱さ〉を認めるところから始めなくてはならないと思うのです。

若松 おっしゃるとおりですね。私たちが家にいるときって基本弱い状態にあるときですよね。たとえば寝ているとき。

堀部 いちばん無防備ですよね。

若松 家は、無防備になれる場所だっていうことですよね。別な言い方をすれば、人は一度無防備にならなくては、もう一度立ち上がることはできないともいえる。弱さを全身で受け取れるということは、私たちが日々新生していくことにつながっているわけです。しかし現代では、こういった〈弱さ〉が持つ創造性が見失われていますね。

堀部 そうなんです。そこを見つめることをせず、強きもののための、強い建築ばかりをつくるようになってしまった。その反転した建築行為が、建築や住まいを〈消費〉することにもつながっているのでしょう。

会社に侵食される家

若松 いまオンラインでお話をしているわけですけれど、家というのは本来こういう場ではなかったと思うんです。家というのは、自分自身と向き合い、大切な人と過ごし、明日への活力を養うような空間だったのが、コロナ禍を契機に、便利な仕事のスペースへと変わりはじめている。そうして私たちが無防備になれる場所がなくなるということは、私たちが日々新生することもむずかしくなるわけで、その影響はけっして小さくないと思います。

堀部 戦後の住まいの特徴の一つにさまざまなものを外部化していったという点が挙げられると思います。昔は葬式、出産、もてなし、食事、会合などはみな家で行っていたけれど、いまは機能を外に出すことによって家をより単純化させ、機能を限定していった。しかしこのコロナ禍においてステイホームが叫ばれ出すと、複雑で多様な人の営為や心身に対応できない家のあり方が明るみに出ました。

若松 そうですね。もちろん以前から仕事を家に持ち込んでやる人はいましたけれど、コロナ禍ではじまったのは会社が家に侵入してくるということだと思うのです。冒頭にエックハルトの話をしましたけれど、家が、私たちのある種の神殿であるとすれば、当然会社も入ってこない場所であるはずなんです。でも現実は違っていて、有無をいわせず入ってきてしまった。その決定の大きさに気づかないまま便利さをとってしまったのではないか―。もちろん会社に出勤することが良いことだなどと言いたいわけではないですよ。

堀部 たとえば昔の八百屋さんやたばこ屋さんなど商売をやっている家は、職住が一体化していますよね。ただ彼らの仕事や生活はその場で完結しており、自立したものだった。一方で会社というのは個人が大きなものにコントロールされる状況にあるということで、在宅勤務というのは、家が会社の支配下におかれるということですよね。しかしやはり家というのは、本来誰からも支配されない場所でなくてはならないと思います。

若松 さきほど住むの語源のお話がありましたが、〈住〉という漢字はまた、人偏に主(あるじ)と書き、主は〈つかさどる〉とも読みますよね。つまり〈住む〉とは、自らをつかさどるということで、だから家とは、自らをつかさどる場所で、自らに由(よ)る、〈自由〉な場所であるといえるでしょう。そうして本当の自分自身とつながれるはずの家という場所で、今日ではインターネットを通じて会社とつながってしまっている。

堀部 ぐさりとくる言葉ですねえ。多くの建築関係者はステイホームを単なる「ビジネスチャンス」と捉えていますので…。

若松 会社が家に入ってくることの最大の弊害は孤独の時間が侵害されることではないでしょうか。孤独であるということの創造性、あるいは孤独であることの生の深まりは、家が担保してくれていたと思うんです。本を読んだり書いたり、設計もそうなのではないでしょうか。一人であるからできることがたくさんあって、そういう時間が奪われていくと自由や創造、安らぎが私たちの生活から消えていってしまう。

堀部 いまは、家に限らず、街や道路などの公共空間にも孤独の置き場がなくなっていますよね。若松さんと私はほぼ同い年ですが、子供の頃は『ドラえもん』のなかに出てくる土管が置かれた空き地のような場所がその辺にもっとたくさんありませんでしたか?

若松 ええ、ええ。

堀部 ああいった場所が、気づいたらいつのまにか駐車場とか有料のテニスコートとか、お金を生み出す場所に変貌していっている。おもしろいことに、お金を生み出す場所には孤独を受け入れるゆとりがないのです。時間制限もありますから(笑)。孤独は世の中の金銭や時間の感覚から最も遠いところに置かれなくてはなりませんね。

若松 その点ニューヨークってビルだらけの大都会ですけど、ビルとビルの間にすごくいい公園があったりするんですよね。

堀部 ポケットパークですね。

若松 そう。Greenacre Parkという場所です。あの公園に行きたいがためにニューヨークへ行くようなところがあるんです。東京以上に忙しない大都会ですから、どこかに人がホッとひと息つける場を設けねば、とロックフェラーの孫娘が基金を設立してつくられたようなのですが、私たちもそういう社会資本としての場所を意識してつくっていかなくてはならないのではないでしょうか。すべての人が、堀部さんがおつくりになるような、すばらしい家に住めるわけではないので。そういう公共空間があると、より多くの人が、そこで弱くなって、孤独になって、創造的な時間を過ごすことができるようになる。

堀部 同時に孤独な一人一人があの場を共有すること自体に大きな意味があるのではないでしょうか。お互いわかちあえなくとも、わかちあえない他者がいることを知ることができる。それは結局自分自身を知ることにもつながってゆく。家という単位に話を戻しても、たとえば四人家族の家を設計するとき、その四人はそれぞれ全く異なる個人であることを前提にして、だからこそ家族が共有する場の力をどう生み出すかを考えるようになりました。それこそが住宅設計の仕事の肝なのではないかと思い始めています。

若松 そうですね。時空という言葉がありますが、特に建築には、空間のみならず時間の質を変えていく大きな力があると思います。だから美術館に入るともう2時間経ったのかとなり、会社に行くとまだ30分しか経ってないのかとなる。ポケットパークや家で一人で過ごせば、会社とか学校とかで過ごす、社会の物差しで測れるような時間とは別の、それこそ量化できないような豊かな時間が流れるのだと思います。

後編へ続く) 

対談者プロフィール

若松英輔(わかまつ・えいすけ)
批評家、随筆家。1968年、新潟県生れ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年、「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。2016年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。2018年、『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞。同年、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年、第16回蓮如賞受賞。2021年、『いのちの政治学』(集英社インターナショナル、対談 若松英輔 中島岳志)が咢堂ブックオブザイヤー2021に選出。その他の著書に、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『悲しみの秘義』(文春文庫)、『イエス伝』(中公文庫)、『言葉を植えた人』(亜紀書房)、最新刊『藍色の福音』(講談社)など。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

堀部安嗣

建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。

若松英輔

批評家、随筆家。1968年、新潟県生れ。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年、「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選。2016年、『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞。2018年、『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞。同年、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、2019年、第16回蓮如賞受賞。2021年、『いのちの政治学』(集英社インターナショナル、対談 若松英輔 中島岳志)が咢堂ブックオブザイヤー2021に選出。その他の著書に、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)、『悲しみの秘義』(文春文庫)、『イエス伝』(中公文庫)、『言葉を植えた人』(亜紀書房)、最新刊『藍色の福音』(講談社)など。

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