私は建築設計を30年以上やっていますが、建築学科出身ではなく筑波大学で環境デザインを専攻していました。学生時代はバブル経済の最盛期であったものの、筑波という土地柄、そして公園やランドスケープの設計が主な環境デザインという性格上、世の中のイケイケドンドンの流れとは無縁のところにいたように思います。また建築学科の教育が全国的にどう行われているのかも当時はあまり知りませんでした。つまり私自身が建築の対岸にいたのです。
自分で設計事務所をやり始めると、大学の建築学科で講師を務めたり、学生が応募する建築のアイディアコンペの審査員を務めたり、建築教育の現場に接する機会が増えました。いまでは慣れてさほど驚かなくなってしまいましたが、当初はその教育の実態に衝撃を受けたものです。
つまり建築学科では、人の心身の状態や周囲の自然環境を的確に捉えた作品に対して、先生や大学院の先輩たちが、「面白くない。既視感がある。もっと人が見たこともない感じたこともない作品をつくりなさい」と批評するのです。
建築には芸術的な側面と技術的な側面が混在しています。意匠、設備、構造と縦割りにして、意匠設計は芸術的な分野、設備構造は技術的な分野と区分するのもおかしな話です。
また本来建築における意匠性も芸術性も、科学的な裏付けがしっかりなされたものでなければなりません。
2×3は常に6です。
それなのに大学の建築の意匠教育は「2×3は7にでも10にでもなれるよ、その方が先生はじめみんなのウケがいいよ」といっているようなものなのです。
実際に建築をつくると、科学的ではない意匠は完成後すぐにボロが出ることがはっきりと認識されます。2×3は6であることをしっかりと表現できた意匠、デザインしか、時間の試練に耐えることはできないのです。
さて、今回の対談の相手である野池政宏さんは、そんな自然科学の大切さを建築の対岸から一人乗りの手漕ぎの船でやってきて、建築島の島民にわかる的確な言葉と手法によって伝えてくれる伝道師のような人です。野池さんの仕事は、住環境を科学的な視点をもって整え、向上させることですが、野池さん自身が建築島を超えたもっともっと大きな世界と環境を相手にしているからこその説得力をもちます。
現に、これまでに多くの工務店や設計者を指導してきて、野池さんの教えは建築界(主に住宅の分野)の技術力の向上や底上げに大きく貢献しました。また野池さんは大きな企業や組織に属することなく活動してきたゆえに、組織のしがらみや忖度などなく、自然科学を見据えた〈こう考えざるを得ない〉ことだけをストレートに伝えます。そんなところにも支持者が多いのです。
しかし自らを〈理想主義的現実主義者〉と言う野池さんは、物事を杓子定規に捉えるだけでなく、人間的な気持ちの揺れやおかしさを愛する面も持っています。つまり野池さんは自然科学と人間を愛する人であり、ゆえに〈人間も自然の一部〉である状態を理想とし、その状態の美しさを伝えようとしているのではないでしょうか。
家庭での省エネ
堀部 野池さんと知り合ったのは、5~6年前、私が住宅の性能向上や省エネ化について集中的に取り組むようになった頃です。
野池 私は〈Forward to 1985 energy life〉という省エネ推進団体で、〈1985アクション〉という運動をやっていたのですが、堀部さんにはそこが主催するセミナーにご登壇いただいたりしました。
堀部 〈1985アクション〉とはどんな取り組みなのか、あらためて教えていただけますか?
野池 家庭の電力消費量を、1985年当時のレベルに戻そうという取り組みです。ちょうど1985年に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の反対ですね。
堀部 1985年といえば私も10代の後半で当時のことはいろいろ覚えているんですが、何不自由なく暮らしていたことを覚えています。当時の日本の電力消費量にくらべて現在は……?
野池 およそ2倍近くの消費量になっています。
堀部 1985年の生活で充分だったのに、どうしてそんなことになってしまったのでしょう? 当時から現在まで人口は減り続けていて、家電も省エネ型になっているのに。
野池 家電の保有台数が増加したことや、世帯数が増え、世帯人数が減ったことなどが関係していると考えられます。その膨れ上がった大部分は原子力発電で賄ってきました。
堀部 年次によっても異なると思いますが、エネルギー消費量全体のうち、家庭での消費量はどのぐらいを占めているのですか?
野池 電力消費量全体と、エネルギー消費量全体で異なってきますが、電力消費量については、ざっくりいうと3割弱ぐらいですね。
堀部 わりと大きな割合を占めるんですね。
野池 ええ、そうなんです。国がエネルギー消費量をカウントするとき、産業、業務、家庭、輸送の4部門に分けるんですが、電力に関していえば、産業部門が4割弱、業務部門が3割強なので、家庭部門は決して少なくない。その中で家庭部門は、小さな単位が集積して構成されているものだから、個人的な働きかけがしやすく、変化も起こしやすい部門なんです。
堀部 家庭での省エネを心がけて、電力消費量が減れば、こんどは勤め先とか、学校とかにもその意識が浸透してゆくような気がします。
野池 そう、住まいというのは、暮らしのベースとなる場所で、そこでの実践と気づきの波及効果は大きいものがあると思っています。ですから私は長年、住まい手の方はもちろん、特に工務店さんや建築家の方に向け、講習会や勉強会などを通じてエネルギー問題の現状を周知したり、省エネを実践するための知恵の提供をしたりしてきました。
堀部 私たちも野池さんを講師に勉強会をしたり、実際の設計でも科学的見地からアドバイスをいただいたりして、住宅の省エネ化に取り組んでいます。野池さんは気候変動や温熱環境についての最新の論文に目配りしながら、一方で生活の現場における具体的方法論、たとえばどれだけの断熱材を入れたらよいか、エアコンはどの時間に稼働させるのがよいか、といったことまでフォローされていて、ある種科学技術の翻訳者のような役割を担ってらっしゃいますよね。
野池 そうですね。科学の力を人々の生活の向上に役立てたくて、地球単位や国単位のマクロな問題と住宅というミクロな取り組みをいかにして結びつけるかということにずっと力を入れてきました。
夏暑く、冬寒い、日本の家
堀部 住宅の省エネに関してはいくつか問題があるということでしたが……。
野池 ええ、日本の家にはいま大きく二つの課題があげられます。一つはエネルギー消費量の削減。もう一つは温熱環境の向上です。後者は、いかに冬暖かく、夏涼しい家にするか、ということです。日本の住宅の温熱環境は〈貧しい〉といっていいレベルと考えてよい。
堀部 日本人は「子供は風の子」だなんていって、寒さは耐え忍ぶものだという考えが身に沁みついているのかもしれません。あとは、ちょっと辛抱すれば暖かい春が来る、とか。有名建築家が建てた家も、燃費が悪く、温熱環境も過酷な印象がありますよね。むしろそういった環境をつくりだす建築の方が人気があったりして。大体建築家って肉体が屈強で面の皮も厚い人が多いから、人より鈍感なのかもしれないですが(笑)。
野池 でもその認識をあらためなくてはなりません。室温環境については、〈快適性〉をキーワードに語られることが多かったのですが、この20~30年ぐらいで、室温が人間の身体にどれだけ影響を与えるのか、〈健康〉をキーワードにした研究が世界的に進んだのです。それであらためてだけれど、寒い家というのはものすごく身体に悪いことがわかってきた。
堀部 最近、歴史をさかのぼってヒトの暮らしや住まいの原型について考えるのが好きなんですが、そもそもホモサピエンスって圧倒的に寒さに弱い存在ですよね。南半球のアフリカで誕生して、生息地もずっと暖かいところだった。それが建築と衣服の改良によって、寒冷地でも住むことができるようになって、人はどんどん北上していったわけで。
野池 ええ、ホモサピエンスの二大死因は、ながらく低体温症による凍死と感染症でしたからね。だから寒さを防ぐことは、建築や住まいの基本なんです。しかも冬暖かく、夏涼しい家は、熱の移動が少ないから、エネルギー効率も格段に良い。つまり住まいが適切な温熱環境であれば、快適かつ健康に過ごせるだけでなく、省エネにも繋がるんですよ。
〈断熱気密性能〉とは?
堀部 じゃあどうすればそういう住環境になるの?というのが読者の最大の関心だと思いますが、野池さんと家づくりに取り組んで痛感したのは、断熱気密の重要性です。
野池 おっしゃる通りです。断熱気密というとちょっとわかりにくいかもしれませんが、住まいの保温・保冷性能などと考えていただくのがよいかと思います。
堀部 外の冷気や熱気を室内に取り込まないように、もしくは室内の冷気や熱気を室外に逃さないように、建物の性能を上げることですよね。建物のボディに関わる話なので、省エネ型の冷蔵庫に買い替えるなんてこととはちょっとレベルが違っていて、賞味期限も長い。製品や方法論もかなり確立されてきて、新築でも、改築でも、建築技術的にかなり取り組みやすいものとなっている。
野池 そうなんです。それと住宅の省エネ化を進める際には取り組むべき順番というものがあって、やっぱり1番目が断熱気密なんです。2番目が日射コントロール。これは冬の日射熱取得と、夏の日射遮蔽のことを指します。自然エネルギーとうまく付き合うパッシブデザインと呼ばれる技術のメインですね。3番目が暖冷房計画。こちらはアクティブデザインとも言われます。4番目が省エネ設備の導入。どんな給湯器や照明にするかということです。さいごの5番目が太陽光発電システムを導入するか否か。これは創エネなどといいますね。新築でも、改築でも、省エネを実現するには、この順番が非常に重要なのです。でも住まい手にもつくり手にもこのあたりのリテラシーがまだまだ浸透していなくて。こうした知識を定着・普及させてゆくことから始めなくてはなりません。
堀部 エアコンを嫌いな人って多いじゃないですか。でもそれって、結局断熱性能の悪い家に住んでいるからなんですよね。野池さんがおっしゃったように順番通りにやらないから、エアコンがうまいこと性能を発揮できないんです。断熱気密性能の高い家でエアコンを稼働させると、音もしないし、風もこないし、変な動きをしないんですよ。正しい使い方があるんです。
野池 そうですね。断熱気密をしっかりやると柔らかな暖冷房になる。柔らかな暖冷房の家に住むと、足元と頭部の温度差がなくなって、身体にすごく良い。
温熱環境と住まい手の幸福
堀部 エアコンも使いようなんですよね。そうやって野池さんに色々教わりながら建てた家に住まう人が、腰痛が治ったとか、基礎体温があがったとか報告してくださって、具体的な結果に繋がると、設計のやりがいになります。ベタな言い方になりますが、温熱環境の向上は住まい手の笑顔と幸福に直結する。
野池 そこはベタでよいと思いますよ。
堀部 ですよね。建築の魅力っていくつもあって、構造やプランニングやデザインやいろいろ挙げられますが、温熱環境の改善に関しては、住まい手の喜びが一番ダイレクトに伝わってくるんです。言い換えるとデザインがダサい家でも暖かい家だったら幸せに繋がる。
野池 堀部さんが以前「温熱環境が悪い家は、住まい手が愛してくれないんだ」とおっしゃっていて名言だなと思いました。建築家らしいすてきな言葉だなと思って。でもこんな考えを持つ建築家ってまだまだ少ないんですよ。
堀部 形があるものじゃないですからね。雑誌に温熱環境って写らないし、たとえば温熱環境の良いモデルハウスを建てたとしても、その良さって一時的な滞在ではなかなか伝わらないでしょう? アピールが結構むずかしいんですよね。
野池 建築家の方でも、省エネ住宅にアレルギーを持っている方は多いですね。そんな数値で家の良し悪しを判断するななんて言って。
堀部 外皮性能という言葉があって、室内外の熱の出入りを示すUA値とか、夏にどれだけ日射熱が入ってくるかを示すηAC値といった数値で表せるんです。この地域でこの数値だったらこれくらい快適に過ごせますよ、という指標もあって、最初たかが数字でしょと私もちょっと半信半疑なところがあったのですが、その数値に則した設計を実践してみると、数値と自分の体感がほぼ一致しているんですよ。これは大きな一歩でした。
野池 生理学的な研究が進んでいて、こんな環境だったら心地よい、よくない、というのはかなりわかってきているんです。さらに家の中の環境、たとえば風の動き方や、熱の伝わり方などの物理的研究もかなり進んできているので、両方を合体させると、数値的には最適な家というのが見えてくる。家の熱性能、プラン、気候などの条件を数値化して、パラメータとしてシミュレーションツールのなかに放り込むんです。
堀部 野池さんは、そのシミュレーションツールなども開発なさっていて、私たちも設計に活用させてもらっています。
野池 20年ぐらい前までは大学の先生くらいしか使えないものだったんですけれど、いまは実務者も使用できるものが出てきている。同時に地球温暖化も気候変動に関するシミュレーションがどんどん進化していて、精度の高い情報が得られるようになっています。
堀部 家一軒のなかにもさまざまなパラメータがあって、宇宙があって、家一軒と地球全体の環境がつながって考えられるかもしれないということですよね。
野池 そうです、そうです。
(後編へつづく)
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堀部安嗣
建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。
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野池政宏
住まいと環境社代表。株式会社暮らしエネルギー研究所代表取締役。Forward to 1985 energy life発起人。1960年、三重県生れ。岡山大学理学部物理学科卒業。高校の物理教員を経て、「住まいと環境」のテーマに取り組む。温熱・省エネ・パッシブデザインに関する講演や講義、工務店・メーカーへのコンサルティング、執筆活動や各種媒体への情報提供を行っている。著書に『小さなエネルギーで豊かに暮らせる住まいをつくる』(学芸出版社)、共著に『本当にすごいエコ住宅をつくる方法』(エクスナレッジ)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 堀部安嗣
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建築家、京都芸術大学大学院教授、放送大学教授。1967年、神奈川県横浜市生まれ。筑波大学芸術専門学群環境デザインコース卒業。益子アトリエにて益子義弘に師事した後、1994年、堀部安嗣建築設計事務所を設立。2002年、〈牛久のギャラリー〉で吉岡賞を受賞。2016年、〈竹林寺納骨堂〉で日本建築学会賞(作品)を受賞。2021年、「立ち去りがたい建築」として2020毎日デザイン賞受賞。主な著書に、『堀部安嗣の建築 form and imagination』(TOTO出版)、『堀部安嗣作品集 1994-2014 全建築と設計図集』『堀部安嗣作品集Ⅱ 2012–2019 全建築と設計図集』(平凡社)、『建築を気持ちで考える』(TOTO出版)、『住まいの基本を考える』、共著に『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(ともに新潮社)など。
- 野池政宏
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住まいと環境社代表。株式会社暮らしエネルギー研究所代表取締役。Forward to 1985 energy life発起人。1960年、三重県生れ。岡山大学理学部物理学科卒業。高校の物理教員を経て、「住まいと環境」のテーマに取り組む。温熱・省エネ・パッシブデザインに関する講演や講義、工務店・メーカーへのコンサルティング、執筆活動や各種媒体への情報提供を行っている。著書に『小さなエネルギーで豊かに暮らせる住まいをつくる』(学芸出版社)、共著に『本当にすごいエコ住宅をつくる方法』(エクスナレッジ)など。
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