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あなたには世界がどう見えているか教えてよ 雑談のススメ

2024年2月21日 あなたには世界がどう見えているか教えてよ 雑談のススメ

4.よい雑談とは?——「ひとりで考える」と「誰かに相談する」の間

著者: 桜林直子

悩み相談やカウンセリングでもなく、かといって、ひとりでああでもないこうでもないと考え続けるのでもなく。誰かを相手に自分のことを話すことで感情や考えを整理したり、世の中のできごとについて一緒に考えたり――。そんな「雑談」をサービスとして提供する“仕事”を2020年から続けている桜林直子さん(サクちゃん)による、「たのしい雑談」入門です。

「考えすぎちゃう」は本当に考えているか

「考えすぎちゃうんです」と言う人がいる。

 わたしも子供の頃から間違いなく「考えすぎ」の部類に入る人間だ。例えば、誰かに何か嫌なことを言われたとしたら、「気にしない」とはできず、自然と頭の中で思考が始まってしまう。いちいち考えずに「気にしない」ができる人は、おそらく「考えすぎちゃう」人ではないだろう。

 しかし、「考える」という作業は目に見えず、何が行われているのかわかりにくい。「考えすぎちゃう」と言う人たちの話を聞いていると、どうやら人によってだいぶ違いがありそうだとわかってくる。

 例えば、誰かに何か嫌なことを言われたときに、「あの人はなぜそんなことを言ったのか」の可能性を延々考えてしまうということがよくあるようだ。自分以外の人がどう思ったかはいくら考えてもわかるはずがないのだが、想像の中ではいくらでも思考を広げられるので、考え続けてしまう。

 わたしも「あの人が何でそんなことを言ったのか」をまったく考えないわけではない。もともとイライラしていたのか、わたしが気に障ることをしたのか、体調でも悪いのか、単にわたしのことが嫌いなのか。あれこれ理由や可能性を考えてみても、行き着く先は「わからないな」となる。理由はわからないけど、相手がわたしに嫌なものをぶつけてきた。嫌だった。事実はそれのみだとわかる。どれだけ時間をかけてもわからないものには、多くの時間を使わない方がいい。

 そのかわりに、「わたしは何が嫌だったのか」を考える。相手の思い込みで決めつけられたのが嫌だった、とか、本当のことを言われてしまい図星で悔しかった、とか、もともと相手の機嫌が悪かっただけでやつあたりされたのが嫌だった、など、どの点が嫌だと感じたのかを探る。正確にはわからなくとも、「たぶんこれかな」というくらいまではわかる。「わたしはこれが嫌だったんだな」とわかると、考えを終わらせることができる。漠然と嫌な気分になったことが、考えることによって理由が見えると、安心するのだ。

 考え始めるときに「わたしは何が嫌だったのか」という問いを立て、それがわかれば考えるのを終わらせることができる。問いに対してすぐに正確な答えが出ずに時間がかかっても、そこに向かって考え続けることが悪いこととは思わない。

 しかし、「あの人は何でそんなことを言ったのか」と考え続けるのは、答えは「わからない」でしかないので、それについて考え続けてもキリがなく、終わらない。挙げ句の果てに「きっとわたしがダメな人間だからだ」と思い込みの結論に達したり、「そういえばあの時もそうだった」「いつもこうだ」などと関係ないものを持ち出したりもしてしまう。長く時間をかければかけるほど苦しくなるだろう。

 同じように頭の中で考えるという行為でも、わたしにとっては問いのないもの終わりのないものは「想像」や「妄想」で、「考えている」と捉えていないのかもしれない。

 ひとりで考えると、馴染みのやり方で答えや出口のない場所をぐるぐる周り続けてしまったり、事実とは違う自分が思い込んでいる場所に無理やり結論を持っていってしまったり、お気に入りの傷を触り続けてしまったりする。ほとんどが反芻で、先に進まない。とはいえ、「考える」のやり方は意識してやっているというよりも自然にやってしまうことでもあるので、すぐに変えるのは難しい。

 それならば、ひとりで反芻を繰り返すよりも、一旦外に出してみるといい。人に話すことで、風に当て、少し客観的な視点で見ることができる。

「誰かに相談する」のパッケージ化

 ひとりで悶々と考えていることを外に出す方法として、「相談する」という形をとる人が多い。相談自体はもちろん悪いものではないが、わたしには少し気になる点がある。

 誰かに相談しようとすると、相手にわかりやすいように無意識に悩みを整えた形にする。「これで困ってるんだけど、どう思う?」「こういうことがあったんだけど、どうしたらいいいと思う?」と、相手が答えやすいようにパッケージ化する。

 そうなったものは、嘘ではないが、悩みを整える際にいろんな雑味が削がれていく。わたしは、その雑味の部分、本人は意味がないと思っている部分、前後の関係ない部分にこそ、あれこれ大事なものが詰まっていると思っている。だから、「相談」という形にしたばかりに、本当に触れたい部分に触れられないことがあるのが残念なのだ。

 自分から「どう思う?」と相談した手前、相手の考えや意見をちゃんと聞いてしまうことも多い。自分のために差し出されたアドバイスを必要以上に受け取ろうとしてしまう。ピンと来ないことを言われて釈然としないこともあるし、「そうなのかなあ」と余計モヤモヤしてしまうこともある。

 人の意見を聞いて「そういう考え方もあるのか」と選択肢や可能性を広げるために話をするのはいいのだが、相談された側が、「せっかくアドバイスしたのに、聞くだけ聞いといてわたしの意見を採用しないのか」とお怒りになるパターンがあるのも要注意だ。かと言って「あなたはどう思うか聞きたい。聞くだけで採用はしないけど」と言うわけにもいかないので、「相談したい」という形にするのが楽なのもわかる。

 どうすべきか明確なアドバイスがほしいときに、完全に信用できる人にピンポイントな相談をするのはいい。しかし、自分でも何に悩んでいるのか、どうしたいのかがわからない段階では、「相談」が必ずしもいい手ではないと思うのだ。

 また、「どうしたらいいと思いますか?」と聞き、「こうしたらいいのでは?」と一意見を聞いただけで「じゃあそうします!」と、自分ではよく考えずに他人の考えで動くのも危険だと思う。自分がどうしたいかわからないまま、どうすればいいかを他人に決めてもらおうとするのはよくない。

 占いと同じで、自分の考えや思いがまず先にあって、それを後押しするために人の言葉を使うのは有効かもしれないが、人の言葉がないと自分で決められないのはまずい。それだと人のせいにしてしまうし、もっと厳しく言えば依存の始まりだと思うからだ。

 あなたがどうしたいかは、あなたにしかわからない

 ひとりで考えるよりも外に出して人に話した方がいい。とはいえ「相談」が必ずしもいい形だとは思えない。

 そこで、雑談だ。

 きれいな形に整えた「悩み」を持ってこられるよりも、よくわからないけどどうにかしたいのだというときは、よくわからないものをそのまま見せてほしい。自分の中にあるものに、意味があるとかないとかのラベルを貼らないで、一旦机の上に出してみて、それを一緒に眺めたい。そうすれば、「これとこれは別の話だね」とか「これとこれは同じ傾向だね」などと観察しながら、分解したり分類したりできる。

 誰かに答えをもらうための会話ではなく、自分がどうしたいのかを自分の言葉でみつけてほしい。

 雑談の中で「わたしはどうしたらいいと思いますか?」と聞かれれば、「あなたがどうしたいかはあなたにしかわからないので、わたしの口からあなたがどうしたいかが出てくることはないのよ」と言う。厳しく聞こえるかもしれないが、そこは他人に委ねてはいけない部分だと思うからだ。そのかわりに、いろんな方向から質問をして考えるきっかけを作ることはできるし、ふとした言葉選びから「こういう言葉をよく使うね」などと気がついたことを教えてあげることもできる。

 「話すつもりはなかったのに、こんなのが出てきたなあ」と、話した本人が驚くこともよくある。聞いてくれる相手がいなければ出てこないものが出てくるのも、雑談の醍醐味だ。

 このように、自分の中から出てくるものを見つけて言葉にするためには、「ひとりで考える」と「誰かに相談する」のどちらでもなく、その間くらいの位置にある「雑談」がちょうどいいと思うのだ。

 「雑談する友達がいない」

 わたしは仕事にするほど雑談が好きだが、仕事ではない場面では、誰とでも上手く話せるわけではない。お互いに信用できる人とでないと難しいし、話したい熱量や人の話を聞ける状態かどうかは、各自のタイミングにもよることも知っている。

 普段、自分の話を誰にするか何人かに聞いてみると、多くの人は「友達」だと言う。

 しかし、仲のいい友達だからといって話しにくいことも多々ある。「明るくノリのいい友人には暗い話はしづらい」とか、「いつも聞き役に回ることが多く、自分の話をするのは申し訳ない気がする」とか、「理解されなかったらショックだから話すのが怖い」とか。

 友達同士の間に流れる空気のようなものは、深く理解し合うことだけで成り立っているわけではないので、すべてを理解しなくても、考え方が違っても、仲良くすることはできる。相手に不快な思いをさせてまでわかってほしいと願うよりも、サラッとほどほどに伝える方が雰囲気を壊さずにいられる。居心地の良い空気や雰囲気を大事にした結果、自分の話を深くする場ではなくなってしまうということもあるだろう。

 「なんでも話せるのが友達」という理想があり、そのうえ「わかってもらいたい」と思ってしまう。しかし、何でも話せる相手で、さらに理解度が高く人の話を聞く余裕がある人だけを「友達」として望み、そうではない距離の人を「友達ではない」とすると、友達のハードルが高くなりすぎる。結果、そのハードルを誰も越えられず、孤立してしまう。だから、なんでも話せる人や深く理解し合う人だけではなく、深い浅いにしても頻度にしてもグラデーションでいろんな距離の友達がいた方がいい。大人になるほど特にそう思う。

 「雑談したいけれど、友達がいない」という人も多いが、雑談する相手は必ずしも友達がよいとは限らない。むしろ、友達が相手だと、つい「わかってほしい」と思ってしまうが、わかってもらうために話すのではなくて、自分の中にあるものをただ出すという場が必要だと思う。

 友達に話をして「わかってほしい」と思うことはもちろん悪くないが、話してもわかってくれないのではないかという不安や、評価やジャッジされるのが怖くて思いや考えをそのまま出せなくなるのは、自分のことなのに他人の許可がないと認められないということでもある。他人にわかってもらう前に、自分が何を感じているかを知って、認める必要があると思うからだ。

 他人に認められるかどうかではないところで、自分のことをもっとよく知るために話す相手は、友達ではない方がやりやすいのではないか。

雑談相手として「友達とカウンセラーの間」でいたい

 話を聞くプロとして、カウンセラーさんや精神科医などがいる。個人的にはカウンセリングはもっとカジュアルに受けられるようになるといいと思っているけれど、一般的には「何か大きな悩みがある人やすごく困っている人が受けるもの」という感覚の人が多い。精神科医になるともっと敷居が高い。

 わたしが「雑談」を仕事にしたのは、友達とカウンセラーの間がないなと感じたからだった。友達だから話せることや相談したいことはあるけれど、そのもっと手前で、まだ言葉になっていないまとまらないものを出していい場所がない。大きな悩みではないけれど、なんだかこのままではよくない気がする。何かを変えたいけれど、それが何なのかはわからない。おそらく誰もが抱え得るそういった違和感やモヤモヤを、思いきり出していい場所があったらいいなと思ったのだ。

 「よい雑談」をするためには、自分の中にあるものを出すときに、誰かにわかってもらうことを目的にせず、ただ出せる場所、何を出してもいい場所が必要だ。

 

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

桜林直子

1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring

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