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あなたには世界がどう見えているか教えてよ 雑談のススメ

2024年7月17日 あなたには世界がどう見えているか教えてよ 雑談のススメ

9.「自分だけうまくいかない」のはなぜか――疑う力と信じる力

著者: 桜林直子

悩み相談やカウンセリングでもなく、かといって、ひとりでああでもないこうでもないと考え続けるのでもなく。誰かを相手に自分のことを話すことで感情や考えを整理したり、世の中のできごとについて一緒に考えたり――。そんな「雑談」をサービスとして提供する“仕事”を2020年から続けている桜林直子さん(サクちゃん)による、「たのしい雑談」入門です。

 子どもの頃から「将来の夢」や「やりたいこと」を訊かれると困った。どう考えてもわからないからだ。それで、数年前、「やりたいこと」がある人とない人は何がちがうのだろうと考えてみた。その中で、「未来を見るのが得意な人と、過去を見るのが得意な人がいるのではないか」という視点を得るに至った。というのも、わたし自身が過去を見るのが得意だからだ。そのため、何かを考えて決めるという場面では、常に過去の経験を材料にしていて、まだ見ぬ未来に対して「こうしたい」とか「こうなるだろう」という考えから決めることはなかったからだ。

 未来について考えようとすると、「わからない」としか思えなかった。そのことを当時は「未来を扱うのが苦手」と捉えたが、その先でもう少しちがうものも見えてきた。未来を自分で描くことができないのは、可能性を信じていないからだ。そう思うようになった。

 未来の可能性を信じていないなら、何を信じていたのか。

 「きっと悪いことばかり起こるはずだ」とネガティブ全開で考えていたわけではないが、「未来は自分にとっていいものだ」とは思えなかった。なぜかと言うと、そうならなかったときにガッカリしたくないからだった。ガッカリしないために、はじめから期待しない。欲しいと願わず、欲しくないことにする(・・・・・・・・・・)。つまり「望まなければ傷つくことはない」ということを信じていたのだ。

 実際、未来に期待しなければ傷つかなかったかといえば、もちろんそんなことはない。望んだものが手に入らない悔しさを味わうことはなかったかもしれないが、何も望まなければ、結局、何も手に入らない。ぼんやりしていたら空から降ってくるわけではないからだ。それに、欲を出さずにおとなしくしていれば悪いことが起きないということもない。ちゃんと起こる。

過去を捉え直す

 自分で望み、可能性を信じないと行きたい場所にはいけないのだとわかったのは、30歳を過ぎた頃だった。「なんでここにいるんだっけ? わたしが望んだのはこれだっけ?」と途方に暮れた。もちろん、わざと悪い選択をしているつもりはなく、その都度いいと思った方を選んできたはずなのに、なぜよい場所にたどり着いていないのだろうと不思議だった。

 そこでまずわたしが取り組んだのは、過去を編集し、捉え直すことだった。

 今まで来た道を戻りながら、自分の選択や感情をふり返り、そのとき何を大事にして何を無視していたのかを確認した。「このときは望むのを諦めて投げやりだったな」とか「このときは嫌なものからは逃げられたけど、行き先は考えてもいなかったな」などと、自分の思考と行動の傾向がわかり、おもしろかった。

 また、「とても大変ですごくつらかった」と思っていた過去が、出来事をただ書き出してみると、「つらかったことばかりじゃなくて、楽しいことやいいこともあったな」と思い直し、思い込みを補正できることもあった。必死に走り抜けて来た道をゆっくりふり返ると、渦中では見えなかった景色を見ることができた。走りながら落としてきた種が、時間が経って花を咲かせていた。過去をふり返り捉え直すのは、来た道を戻り、その花を集めながら花束にするような作業だった。

「大きなもの」を分解する

 かつて会社員だった頃の仕事についてふり返ってみる。すると、結果的にその職を離れたことを肯定するかのように、「向いていなかった」とか「苦手だった」とか、ザックリとした理由をつけそうになる。

 そこで、「でも、全部だっけ? 全部向いてなくて、全部苦手だったんだっけ?」と、疑いの目を向ける。

 やってきた仕事を具体的に細かく思い出しながら書き出してみると、ここでは役に立ったなとかあれは楽しかったなと思える部分が見えてくる。全部がイヤではなかったなとわかる。泥の中に手を突っ込んで、キラリと光る小さな金の粒を探すようだ。

 余談だが、このように「イヤなことの中のいいことを探す」クセはもともとわたしの中にあった。

 たとえば、誰かにイヤなことをされたときに、「でも悪い人ではないし」とイヤな奴の中のいい部分を探そうとした。そうすると「わたしも悪かったかもな」などとしっかり怒ることができない。怒るべきときになかったことにするのはよくないのに。

 過去の出来事を捉え直す際に自分にとって都合のよい「いいこと」を探すのはいいが、現在の自分の感情を抑えたり後回しにしたりするために「いやじゃなかったことにする」のはよくない。

 こうしたクセをどこでどう使うかが問題だ。「悪いクセがある」ことよりも「クセを悪い方に使う」のがよくないのだと思う。

 雑談をしにきてくれる人の中に、転職を考えるタイミングの人がよくいる。この先何をしようか考える時期に、「雑談」はちょうどいい。雑談をしながら、「仕事」という“大きなもの”を一緒に分解していく。

 「わたしって働くのが向いてないんですよ」と言う人に、「え、すべての仕事が?」と問いかける。世の中にはものすごくいろんな仕事があるのに、「仕事」という大きな言葉でまとめ、丸ごと避けてしまうのは、あまりにも雑すぎる。避けるものが大きすぎて何も残らなくなってしまうのはもったいない。

 「仕事」そのものが、過去の経験から「しんどくてつらいもの」としか見えなくなってしまっているかもしれないが、それならば、見る角度を変える必要がある。

 「仕事」そのものを見ようとしても大きすぎて見るのが難しいので、わたしはよく雑談の中で「“自分が仕事に何を求めるか”を考えてみましょう」と言う。「なにができるか」「なにをしたいか」はその後だ、と。

見る角度を変える

 仕事に求めるものは人によってちがう。

 わたしが仕事に何を求めているかというと、まだしばらく働き続けなければいけないので、「長く続けられること」をまずは求める。それを起点として、経済的に不足があると長く続けられないので、「必要な金額を稼ぐこと」も求める。また、楽しくないことを続けるのは苦痛だし無理だとわかっているので、「楽しいこと」も求める。それから、体力がある方ではないので、「時間や体力をたくさん使わないこと」も。そして、なにより求めることは「気があう人に会えること」だ。

 そんなの仕事に関係ない話だと思うかもしれないが、ぜんぜん関係なくないのだ。

 仕事について考えるとは、つまりお金の稼ぎ方と時間の使い方について考えることだ。となると、お金の使い方も同時に考えるべきだし、時間の使い方については仕事の内容だけではなく「どこで、誰と、何をするか」をすべて考えるべきだと思う。

 「自分が仕事に何を求めるか」を知るには、「仕事ってお金を稼ぐためでしょ」のような思い込みから離れ、時間とお金の使い方や、誰と(またはひとりで)どんな場所で過ごしたいかなど、生活に対する欲を知る必要がある。

 まず自分の欲を知り、それを満たす仕事はどんなものかを改めて考える。大きなものを丸ごと見ようとするのではなく(途方もないので諦めてしまう)、自分ならではのメガネをもって見るのがいい。

疑う力と信じる力

 出来事を多面的に見るために、自分が当たり前だと思っていることを「ほんとうにそうだっけ?」と疑うには、「疑う力」が必要だ。この「疑う力」は、先ほどの「仕事」のように大きなものを分解するときにも使えるし、うまくいかないときに自分のやり方を疑うのにも使える。

 しかし、「いいこと」や「うまくいっていること」に使ってしまうのはよくない。「こんなにうまくいくはずはない」と疑えば、その後尻込みして進めなくなってしまうし、「自分が好かれるわけがない」と疑えば、相手を信用できず、嘘つき扱いすることになるので、いい結果にはならないだろう。

 「疑う力」は、あくまでもよくないことやうまくいかないことに対して使うのがいい。

 一方で、「信じる力」を悪い考えに対して使うのもまた、よくない。

 「どうせダメだ」とか「また失敗する」というようなネガティブな予感を信じてしまうと、行動もそちらに引っ張られてしまう。そしてうまくいかなかったときに、「ほらね」と自分が正しかったことになる。信じた方に進んでしまうものなのだ。

 いずれにしても信じた方に進むのなら、「信じる力」は、いいことに対してのみ使うのがいい。

 「疑う力」を使うときは「問いを立てる」という行動に落とし込みやすいが、「信じる力」はどうだろうか。具体的に何をすればいいかわかりにくい。

 「いいことを信じた方がいい」とわかったところで、自然にはそれができない場合、無理やり信じることにする(本当は信じていない)でいいのだろうか。

 たとえば「きっとうまくいく」と信じたいが、本心では「うまくいく気がしない、きっとまたダメだろう」と思ってしまうとする。これまでのように「きっとまたダメだろう」を信じ、「うまくいく」を疑っていたのなら、「行動しない」につながっていたはずだ。

 ところが、「うまくいく」を半信半疑でも信じようとすると、「やってみる」につながる。なぜなら、やってみないことには「うまくいく」結果になることは絶対にないからだ。

 「信じる力」というのは「どれだけつよく信じられるか」ではなく、「信じる力のおかげで行動できること」に意味があるのではないか。

 「うまくいくかわからないけど、やってみよう」と思えるか、「うまくいくかわからないから、やめとこう」と思うか。そのちがいは、「うまくいくかも」を信じるか、疑う(「うまくいくはずがない」を信じる)かだ。

 いいことを信じると、そこに向かって行動ができる。いいことを疑うと、その行動を抑止し、よくない方へ向かう行動をしてしまう。良くも悪くも信じた方に進んでしまうのは、信じる力は行動につながっているからだ。疑う力は抑止力を、信じる力は行動力を作動させるのだ。

「やりたいことがない」のは、欲しいものが手に入る可能性を信じていないから

 わたしが「そのときどきの選択では常にいい方を選んできたはずなのに、いい場所に来られなかった」と感じていたのは、自分の未来にいいことがあると信じられず、自分にとっていいものを選び行動してこなかったからだ。ちょっとイヤでも「まあこんなもんだろう」と諦めていたのは、「人生にはイヤなことは付きものだ」と信じていたからだ。

 目の前にある選択肢から選ぶのではなく、まだ見ぬ遠くのものも望んでいいのだと思えなかったのは、それを手に入れることなどできるはずがないと信じ、そこに向けて行動ができなかったからだ。不思議でもなんでもなかった。

 今では、「欲しいものが手に入らなかったときにガッカリしたくないから欲しくないことにする」ようなことはしなくなった。欲しいと願って、手に入ると一旦信じなければ、なにも行動ができないからだ。「やりたいことがない」と言って、何をするか決められないということもなくなった。

 もちろん「すべてうまくいく」と思えるようになったわけではないが(そんなに人は変わらない)、うまくいくかどうか半信半疑のままでも、行動したほうがいいということは信じられるようになった。

 自分だけうまくいかない(ように思える)のはなぜか、という謎に、ちゃんと理由があったということが、わたしにとっては安心材料であり、希望の光だった。

 出来事を多面的に見て、自分が何を大事にして、何を信じて(疑って)いるのかを知るのは、わたしだけではなく多くの人にとっても、安心につながるといい。そう思って、雑談をしている。

 

*次回は、8月21日水曜日更新の予定です。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

桜林直子

1978年、東京都生まれ。洋菓子業界で12年の会社員を経て、2011年に独立。クッキーショップ「SAC about cookies」を開店。noteで発表したエッセイが注目を集め、テレビ番組「セブンルール」に出演。20年には著書『世界は夢組と叶え組でできている』(ダイヤモンド社)を出版。現在は「雑談の人」という看板を掲げ、マンツーマン雑談サービス「サクちゃん聞いて」を主宰。コラムニストのジェーン・スーさんとのポッドキャスト番組「となりの雑談」( @zatsudan954)も配信中。X:@sac_ring

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