十四、ブッダが「ブッダ」になるとき
著者: 南直哉
なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。
出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。
とある水曜日の昼下がり。バスに乗っていると、目の前の「優先席」に坐っていたご婦人ふたりが、
「この時間は空いてるわねえ」
「病院は混んでるのにねえ。私、明日病院なの。月曜だから大変よ、混んじゃって」
「日曜の後はねえ……」
(あれ? 今日は水曜日だけど……)
「今日ね、本当は午前に孫が来るって言ってたのよ。でも来なかったの。待ってたのに」
「ああ、で、午後に出てきたの?」
「そう。日曜日に行くからねって言うから、待ってたのに」
「あらあら……」
「3、4日前に来たばかりだったんだけどね」
(その日が日曜でしょ!)
私はどうしようかと思った。彼女たちは日曜日だと勘違いしているが、今日は水曜日だと言うべきであろうか。
しかし、彼女たちの会話は穏やかに、問題なく続いている。それでも、言う必要があるとすれば、次のような場合だろう。
一、会話の最中、時々不具合が生じて、二人が、どうも何か変だ、何かおかしいと感づいた様子が見えたとき。
二、このまま曜日の勘違いを放っておくと、かなりマズイ状況に至りそうだと予想できるとき。
そのいずれでもなければ、特にいま口を挟む必要もなかろう、と私が思い始めたそのとき、右横にいたランドセルが背中より大きい小学生が、いきなり、
「あのね、今日、水曜日!」
「え、水曜? そうなの?」
「あれ、やだ!」
「病院、すっぽかしちゃったわ!」
ご婦人ふたり、爆笑。小学生びっくり。住職苦笑い。
さて。このとき、素直な小学生の親切と、ヒネクレ住職の手抜き態度と、どちらがより適当だろうか? 言うまでもなく小学生だと思うが、私はさらにヒネクレて、こうも考えた。
小学生は「正しいこと」を教えたのだが、「正しいこと」の正体は、当事者の間で「正しいと合意したこと」に過ぎない。特定の日を「水曜日」とするのも、要するに決め事で、社会の便宜上そう合意しているだけで、「水曜日」それ自体が「正しく」存在するわけではない。
だとしたら、ストレートかつ問答無用で「正しいこと」を教えるべき理由もあるまい。当事者に不都合が生じていなければ、どうしても「正しいこと」を教えなければいけないこともなかろう。
実は、こんなことを考えたのは、バスを降りてから、ゴータマ・ブッダの「梵天勧請(ルビ ぼんてんかんじょう)」の話を思い出したからである。
ゴータマ・ブッダは「悟り」を得た後、それを他人に教える気はなかったと言う。要は、これでもう自分の問題は解決したし、この上他人に教えたところで、凡人にはわかるまい、と考えたのだ。
ところが、そこに神である梵天が現れて、是非とも教えを説くように三度にわたって懇願した結果、ブッダは語ることにした、と経典は言うのである。
要するにこの話は、高邁な「真理」を話す気がなかったブッダが、梵天に言われて、衆生への慈悲のゆえに仕方なく説法を始めた、と解釈されるわけだ。
だが、私に言わせれば、それは違う。そもそも、他人に語ってみて、その他人が理解しない話は「正しいこと」にも「真理」にもならない。つまり、言葉にした上での合意と共有が不可欠なのである。
ブッダひとりの胸の裡に起こったことそれ自体などは、それが「妄想」でない保証はどこにもない。また、誰にも語られなかった教えなどは、端的に「無い」のだ。
だいたい、梵天はその「神的能力」で、すでにブッダが「何かとても大事なこと」を悟ったと「わかった」から現れたのだろう。つまり彼の「歓請」は、アイデアが言語化され、合意され、共有されない限り、「真理」は成立しないという事情を言っているのである。
ブッダもあらかじめ「真理」とわかっていたことを、請われてイヤイヤながら言い出したわけではあるまい。凡人が「真理」を知らないのは気の毒だと同情したから、話したのでもないはずだ。
彼には「真理」か否かなど問題ではなく、自分がわかったことを知らないままでいると、とても苦しむ人が世の中にはいるだろうと確信したから、教えを伝える気になったのであろう。
あるいは、自分のアイデアを誰にも伝えず黙っていると、この世に起こらなくてよい難事が起こると予想したから、話そうと決めたのだと、私は思う。
そこで、あるいは自分の「妄想」かもしれないことを敢えて口に出してみたら、「そのとおりだ!」と理解する他人が現れて、初めて彼のアイデアは「真理」になったわけである。つまり、合意が得られたということだ。
ブッダが「ブッダ」になったのは、この合意以後のことで、「悟った」時ではない。
*次回は、12月1日月曜日に更新の予定です。
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南直哉
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 南直哉
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禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。
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