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「答え」なんか、言えません。

2026年1月5日 「答え」なんか、言えません。

十六、「無」の一歩手前

著者: 南直哉

なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。
出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。

 温暖化とか、気候変動などという言葉を、聞いたこともなかったような時代の話である。
当時豪雪地帯と言われた北陸の修行道場の冬は、まさに雪との戦いであった。

 11月ともなれば、まず雪囲いである。直径が20センチもあろうかという丸太を、堂宇(どうう)の周りに組み上げ、それを竹作りの()の子で覆う。門前の大工さんたちに協力してもらい、修行僧総出の作務(さむ)(修行として行う労働)である。

 そして迎える本格的な雪の季節。屋根に1メートル以上の雪が積もり、雪囲いも埋めんばかりである。連日の雪作務(雪かきのこと)にもかかわらず、雪は一向に減らない。吹雪の時などは、雪を排出した後ろから、また雪に覆われていくのである。

 今はどうか知らないが、あの頃は修行僧が屋根の雪下ろしもしていた。

 ある日、大勢で懸命に雪を下ろしていたら、ついに僧堂の屋根の一部と、地面に下ろした雪がつながってしまった。それを見た一人が突然言い出した。
「これはいけるぞ!」

 彼はスコップを片手に屋根を登れるところまで登り、そのスコップにまたがると、
「ひゃっほー!」
 そのまま滑り降りてきたのである。これを見て屋根を登り始める者が続出したのは、実に言うまでもない。苦労があれば、どこかに楽しみを見出すのは、修行僧の特技である。

 その年も、年明けから雪が降り続いていた。が、さすがに初詣の参拝者が引き、観光客の正月休みが明けた頃、ようやく小康を得て、連日の雪作務に参っていた修行僧も、ここで一息、というところだった。

 ある日、雪こそ降っていなかったものの、とりわけ寒さが身にしみる朝、私は用事で山門に通りかかった。すると、若い男がひとり、片手にカメラを持ったまま、仏殿を見上げて立っていた。

 回廊の掃除が終わった直後である。他に参拝の人は誰もいない。いつからあそこにいるのだろう。男は、薄手のジャンパーにジーンズという、真冬にしては軽装で、ほとんど放心したように立ち尽くしている。

「早いお参りですね」
 私は近づいて行って、声をかけた。
「はあ…」
 ちらっと私の顔を見ると、彼はため息のように続けた。
「きれいですねえ」
 感に堪えた、という口調で、視線はまた雪の境内に戻った。
 
 その頬が赤みを帯びた横顔を見て、私はつい、言ってしまった。
「上に登ってみますか」
 私は山門の天井を指差した。
「いいんですか?」
「いま誰もいないし、いいですよ。待っていて下さい」
 
 山内最古の建築物で、現在は国の重要文化財に指定されている山門は、当時も定例法要以外、特別の許可が無い限り、立ち入ることができなかった。私は多少の無理を通して、管理部署から鍵を借りて戻った。

「じゃ、いきましょう」
 古色蒼然の狭い、しかも急な階段を、二人してゆっくり登り、山門の上に出た。
「こちらへどうぞ」
 私は、伽藍(がらん)を一望できる欄干(らんかん)に、彼を導いた。
「ああ…」
 
 仏殿も僧堂も庫院(くいん)も、建物はすべて雪の中だった。見渡す限り、ただ、ただ一面に白かった。山々の木々はそれぞれに純白の重さに耐え、伽藍は澄み切った沈黙で身を守っている。諸堂をつなぐ縦横の回廊が、雪の切れ目のように細く見えた。黒衣の修行僧が一人、その切れ目を歩いている。

 隣の彼は何も言わない。私も何も言わなかった。そして、ある画家のことを思い出していた。

 ピート・モンドリアンは、19世紀末から20世紀にかけて活躍したオランダの画家である。
彼は、伝統的な美術教育を受け、最初は相応の絵を描いていたが、ある時、考えを変える。「絵画とは、所詮平面に書かれた線と色だろう。その線と色に、もっと自由に語らせよう」

 その彼の絵は、次第に線が整理され、色が単純になっていく。線は何本かの直角に交わる黒い直線だけになり、色もいくつかの原色に絞られて、直交する線に囲まれた四角の中に塗られるだけ。

 有名な「リンゴの樹」の連作を見ると、初期には普通の風景画として描かれたリンゴの樹が、次第に縦横の線に整理され、色彩が絞られて、ついに「冷たい抽象」と称される表現に行きつく過程がわかる。

 その構成は、その後もさらに単純化されて、ついには、菱形の白いカンバスに2本だけ、黒の直線が直交する作品になった。実に劇的な精神の遍歴である。

 絵の記憶の中で、眼の前の景色を見ているうちに、私はふいに思った、「無の一歩前」。無を体験できるとすれば、これだけだ。無は常に、無の手前にしか現れない。

「写真を撮ろうと思いましたが、やめました」彼が口を開いた。私のもの思いはそこで途切れた。
「そうですか」
「ありがとうございました」
 彼は深々と頭を下げた。空はいつのまにか
雲が厚くなり、また雪が舞い出した。

 下に降りると、彼はもう一度頭を下げて礼を言い、上の伽藍に向かわずに、そのまま帰って行った。何がしか貴重な体験を分けあった人と別れる時に感じる、おだやかな寂しさが、私の胸に触れてきた。あの冬、忘れがたい人だった。

 明けましておめでとうございます。本年も何卒よろしくお願い致します。合掌
 

 

*次回は、2月2日月曜日更新の予定です。

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 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
 「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
 どうして自分が「考える人」なんだろう―。
 手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
 それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

南直哉

禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。

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