十五、先生、ごもっともです!
著者: 南直哉
なぜこの世に生まれてきたのか? 死んだらどうなるのか?――その「答え」を知っているものなどいない。だから苦しい。だから切ない。けれど、問い続けることはできる。考え続けることはできる。
出家から40年。前著『苦しくて切ないすべての人たちへ』につづいて、「恐山の禅僧」が“生老病死”に本音で寄り添う、心の重荷を軽くする後ろ向き人生訓。
およそ学校と相性の良くなかった私は、懐かしい思い出などひとつもない上に、親が教員だったせいか、小学校から大学まで、「恩師」はおろか、記憶に残る教師もほとんどいない有様だ。が、ただひとり、例外がいる。小学校6年生の時の担任だった、「コヤマ」(確か、そういう姓だったと思う)という学級担任だ。
ある春の日、また例によって暇のついでに、父親の本棚を眺めていたら、性教育関係の書物が数冊並んでいた(この本棚は、後々まで息子の私に剣呑な影響を残すことになる。なにせ、出家の遠因なのだから)。
昭和40年代の半ば、小学校でどのような性教育をしていたのか、あるいはまったくしていなかったのか、まるで記憶にないが、とにもかくにも、その本棚には「性教育」と題された本がいくつかあったのである。
何の本なのかわからないまま開いて見たら、思春期に入りたての人間には、極めて意味深で、最も興味深いことが書いてある。が、言葉が難しい上に、言い回しがくどくて、よくわからない。
私は、親に隠れて、辞書と百科事典の首っ引きで眼を皿のようにして読み、どうにもわからないところは、町の本屋の立ち読みで補った。まるで御禁制の書物を読む異端者である。
さらに、当時、若者向けに「〇〇パンチ」とか「〇〇ボーイ」とか言う、そのテの雑誌が界隈を席巻していて、路傍に捨ててあったり、ゴミ収集所に束ねてあったりして、若者予備軍たる我々の「教科書」的存在になっていた。
すると結果的に、この6年生の頭の中は、部分的に正確な知識と、その間違った理解と、娯楽化した適当な情報がないまぜになった、極めて怪しい「性知識」でいっぱいになったのである(だからこそ、私は今思う。義務教育における体系的で徹底的な性教育が、是非必要である。特に、男子に向けては、身に染みるほど叩き込むべきだ)。
「いっぱい」になれば、外に出したくなるのが人情である。
小学校から大学まで、いわゆる「帰宅部」で通した私は、放課後に学校にいることなど、まず無かったのだが、その日は何かの用件で、図書室で面倒な作業をしていた。ようやく終えて、さあ帰ろうとクラスに戻ると、なにやら数人の女子同級生がいて、しきりに話し込んでいる。
「でさ、赤ちゃんって、お腹から出て来るわけでしょ!?」
中で一番背の高い女子が、声高に言った。
「ばーか、何を言ってるんだ」
私は反射的に言い放った。その反射とは、「好機到来」ということである。
「えっ、違うの!?」
女子が一斉に振り返る。
「まったく、物を知らないというのは可哀そうなことだな。教えてやるからここに坐れよ」
私は彼女たちを教室の最前列に坐らせ、自分は教壇に立って、黒板で図解しながら、赤ん坊が産まれるに至る、紆余曲折に満ちたプロセスを、「独自の知識」で「講義」した。私の人生における、これが初「講義」である。
女子生徒は、ぼんやり口を開けながら、眼は私に釘付けである。つまり、バカウケであるから、私は調子に乗って、おそらく小一時間、喋りまくった。
「話はこれまで。どうだ、わかったか?」
ようやく喋り終わって、振り返った私は、本当に心臓が口から飛び出すかと思った。教室の後ろの壁にもたれて、「コヤマ」先生がニヤニヤしながら、腕組みをして立っていたのである!!
熱中して「講義」していた私は、先生が教室に入ってきたことにも、ずっとそこにいたことにも、全然気がつかなかった。あろうことか、先生は何も言わず、何ら話を妨げることも無く、最後まで聴いていたのである!!
「南くん、ご苦労だったねえ。ちょっと話があるから、職員室に行こう」
私は、刑場に引かれる囚人もかくやという気持ちで、後ろにしたがった。
「南くん、いまの話、よくあれだけのことを勉強したなあ」
青菜に塩どころか、アゴが胸に着くほどに項垂れた私に、先生は意外なことを言った。
「よく勉強したけどね、君の話は、正しいところもあるけれど、間違っていたり、不正確なところも多い。それに何より、この話は、人間にとって、すごく大事なことなんだ」
「はい……」
どうして怒られないんだろう? 不思議だったが、先生は続けた。
「だから、これは、不十分な知識や、いい加減な方法で伝えると、後で困ることになる。わかるだろう?」
「はい……」
そのとおりである。
「でね、子供が生まれて来る話となれば、子供をつくったことのない君よりも、つくったことのある大人のほうが、より正確な知識を持っていると思わない?」
「思います」
反論の余地は無い。
「だからね、この話はとりあえず大人に任せて、君もさらに経験を積んで、きちんとした知識を持ってから、人に教えるべきだと、先生は思うな」
完璧な論理であった。
よく「子供の意見を尊重しよう」などと言う。それはそれで結構なのだが、得てして「尊重」が「迎合」にならないか? あるいは「聞き捨て」にならないか?
「尊重」と言うなら、思うに、まず大切なのは、子供の言うことを正確に聞くことだ。その上で、自分の立場をハッキリさせて、事の是非に対する自らの考えを、「論理的」に伝えることである。
大事なのは、この「論理的」であることなのだ。いかに小さくとも、子供は筋道の通った話ならば、理解の程度に差はあれ、受け容れるものだ。なぜなら、その時の感情に任せるのではなく、正面から「論理的」に話す大人の態度こそが、意見や人格の「尊重」を示すからである。「尊重」されれば、その相手を「信用」する。「信用」すれば、話の「理解」が十分でなくても、「納得」するだろう。
「コヤマ」先生は、特に生徒に好かれるわけでもなく、人気があるわけでもなかったが、クラスはよくまとまっていた。私も以後、先生の言うことには、素直に従っていた。自分のその後を考えれば、驚くべき一年であった。
本年もお読みいただき、ありがとうございました。明年の皆様のご多幸を心より祈念申し上げます。
*次回は、2026年1月5日月曜日更新の予定です。
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南直哉
禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
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- 南直哉
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禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。1958年長野県生まれ。84年、出家得度。曹洞宗・永平寺で約20年修行生活をおくり、2005年より恐山へ。2018年、『超越と実存』(新潮社)で小林秀雄賞受賞。著書に『日常生活のなかの禅』(講談社選書メチエ)、『老師と少年』(新潮文庫)、『恐山 死者のいる場所』『苦しくて切ないすべての人たちへ』(新潮新書)などがある。
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