厄介な「まぎらわしい漢字」
前回は簡体字の簡略化システムについて紹介した。初学者は、見慣れない字形にとまどうところだ。とはいえ、日本語の漢字と大きく異なるものは、大きく異なる分、違いが分かりやすいし、慣れるまでそれほど時間もかからない。学習が進んできて厄介なのは、むしろ微妙に違う字だ。
私は基本的に独学で中国語を勉強したのと、もともと細かい違いに気がつかない性格であるのに加えて、少々頭のねじの締まり方がおかしいので、日本語と微妙に異なる漢字には悩まされてきた。違いに気づかないままでいて、教師になってから誤りを指摘されたものもある。
頭の中が混線して、高校の国語の授業で、なぜか黒板に簡体字を書いていたこともある。さらには日本語と中国語の字体をフュージョンさせ、どこにもない漢字を作り出して書いていたこともある。
そんなまぎらわしいものを見てみよう。
(1)どちらが長いのか――天(天)
「天」の字は、小学校の時に下の線のほうが短くなると教わった。中国の簡体字は逆で、下のほうが長い。現在の日本の漢字字体は、清の時代に作られた辞書である康煕字典のデザインをおおむね採用しているが、康煕字典は印刷されたものであり、印刷用のデザインである。天の字も、康煕字典のデザインでは下の線のほうが短くなっているが、手書きの楷書では古くからずっと下の線のほうを長く書いていた。手書きで書く場合、下の線を長く書くほうが、運筆上のびやかにできるからだという。
ようするに、どっちが長くてもよかったのだ。ただ、現代では教育的配慮からか、一つの正解を決めたがる。中国と日本で、異なるデザインを正解としたのである。似たようなものに、「吉」がある。こちらは中国でも下の線が短くなっているが、たとえば牛丼の吉野家の「吉」の字は下の線が長い「」の字が採用されている。これも本来はどちらが長くても同じ字である。
(2)突き抜けるかどうか――写(写)、花(花)
“写(写)”は、日本では最後の横線が突き抜けるが、中国の字は突き抜けない。私はずっとこの違いに気づいておらず、教育実習のときに指摘されて初めて気がついた(私は教育実習は中国語で行った)。
逆に“花(花)”は、日本のデザインではヒの線が突き抜けないが、中国では突き抜ける。じつは康煕字典でも突き抜けているし、旧字体でも突き抜けていた。おそらく、「匕」の字が康煕字典で突き抜けていないので、「化」「花」と統一したのだろう。
(3)一画の罠――臭(臭)、步(歩)、骨(骨)
“臭(臭)”は、日本の漢字のほうが一画少ない。中国では下の部分が「犬」になっているのに対して、日本では「大」である。この字は本来、「自」の部分が鼻を表す象形文字で、それに「犬」が加わって、「におい」の意味を表しているものなので、中国の字のほうが元である。戦後の日本では、「犬」を「大」にしても識別に問題がないという理由で、削ってしまった。一画くらい削らなくてもいいような気がするが……。なお、“突”“器”も日本語では「犬」が「大」になっているが、中国の簡体字ではそのまま残っている。ちなみに日本語では「戾」「類」も「戻」「類」となっていて、徹底的に犬を殺している。
逆に“步(歩)”は、日本の字体のほうが一画多い。中国の字体である“步”は、簡体字になったときに一画減らしたのかと思ってしまうが、そうではない。日本は戦後になってからわざわざ一画プラスしたのである。なんでも、「少」から一画削った形を使うのが「步」(とこの字を構成要素として持つ「捗」など)しかなかったので、「少」にすれば、記憶が容易になると思ったかららしい。
同様に、微妙に違うのが“骨(骨)”である。なんと、上の部分の線が逆向きになっている。簡体字のほうが一画少なくできるから、という理由らしい。そこまでして一画削らなくてもよいような気がするが……。
(4)冠が違う――节(節)
「節」の字は、“节”となっている。下の部分がだいぶ簡略化されているのはいいとして、なぜか竹冠も草冠に変更されている。私はついうっかり上だけ竹冠で書いてしまう。日本漢字と中国漢字のフュージョンである。竹を草にしたらもう別の字ではないかと思うかもしれないが、古くから俗字として使われていた字体らしい。
(5)斜めか横か――铁(鉄)
「鉄」は中国では“铁”。繁体字では「鐵」なので、似たような略し方をしている。間違えようがない、と思うかもしれない。ところがよく見ると、一、二画目が日本の字体では傘のようになっているのに対して、中国では二画目が横にまっすぐ伸びている。こんなものはデザインの違いであって、どうでもよいような気がするのだが、中国人の先生は日本の字体で書くと×だとかたくなに主張することがある。ちなみに“钱(銭)”という簡体字にも注意が必要である。よく見ると右側の線が一本足りない。これも日本人の中にはなかなか気がつかない人がいる(私である)。
(6)異体字――冰(氷)
「氷」は簡体字では“冰”が採用されているが、日本語のパソコンで「こおり」と打っても「冰」が出てくるように、異体字の関係である。現在は、一つの漢字は一つの書き方に統一されているが、以前は同じ字でもいくつか異なる書き方があった。これを異体字と呼ぶ。もともと複数の書き方があった中で、たまたま日中で異なるほうを採用したのである。
異体字と言えば、魯迅の小説「孔乙己」を思い出す。乞食同然に落ちぶれた男、孔乙己は、かつて科挙の勉強をしていたらしく、語り手の少年に「“回”の書き方は四つあるが、知っているか?」などと問う。漢字辞典で「回」の字を引いてみると、たいてい括弧の中に「囘、囬」という字が書かれているのに気づくであろう(ちなみに四つ目の書き方は)。これも異体字の例であるが、異体字が「役に立たない知識」の象徴のように使われていることがわかる。確かに、たくさん知っていてもそれほど役には立たなそうだ。
(7)その他のひっかけ漢字――稳(穏)、处(処)
“稳(穏)”や“处(処)”なども微妙に違う。この二つも、私は日本語で書くべき場面で、中国語の簡体字を書いてしまい、恥をかいたことがある。中国語を学んでいるからこその間違いなのだが、事情を知らない人からすれば単なる「漢字が不得意な人」にしか思えないだろう。
私だけかもしれないが、ロシア語を勉強していた時、一時的に英語のNが書けなくなった。ロシア語にはИという文字があって、真ん中の線の向きが違う。Nを書こうとすると、どうしてもИになってしまうのだ。脳の中で何かが上書きされてしまうらしい。
筆順は「だいたい」でよい
なお、筆順も日中では同じではない。日本の学校で習う「正しい筆順」は、1958年に当時の文部省が出した「筆順指導の手びき」がもとになっている。しかし、もともと唯一の正解を定めたものではなく、あくまでも目安に過ぎないものであった。しかもこの手引きを作成するに際しても、書家の間で意見の対立があったという。日本国内でも統一するのが難しいのだから、日中でずれが生じるのも当然のことだ。
例えば「必」の字は、「筆順指導の手びき」に従うと、図1のようになるが、手元にある中国で出版された小学生用の『筆順規範辞典』(四川辞書出版社)では図2のようになっていて、左の点から書き始めている。
小学生のときに「なんでだよ!」と思ったのが「右」と「左」である。「右」は縦の払いから入るが、「左」は横線から入る。なぜこんな一見非合理的な書き順の違いがあるかというと、字源に違いがあるからだそうで、「右」はもともと図3のように書いた。このため、本来的には横線のほうが長くなる。「左」はもともと図4のように書いており、横線が短く、縦の払いが長くなる。筆で書く場合、長い線を引くほうが二画目にくるほうが、のびやかに書けるからよい、とのことらしい。中国では、「右」も「左」も横線から引くように統一されている。
なお、宮島達夫「日本語教育と漢字の知識」『国文学 解釈と鑑賞』(2003年7月号)によれば、他にも日本と中国で書き順の違うものに「耳、出、生、田、皮、母、方、北」などがあるという。書家になるのでもなければ、原則として右から左、上から下ということさえわかっていれば、厳密な書き順にこだわる必要はないだろう。
そういえば私が中国に留学していたころのルームメート(ドイツ人)は、最初、「国」の字の書き方がわからず、右下から書き始めてぐるりと□を描いていた。それまで私は「筆順なんてだいたいでいいだろう」と思っていたが、さすがにその破天荒な書きぶりをみて、「やっぱり“だいたい”は知っておかないとだめだな」と思った。
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橋本陽介
1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 橋本陽介
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1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。
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