シンプルな暮らし、自分の頭で考える力。
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小さい午餐

 用事があって別府へ行った。別府には子供のころにも来たことがある。地獄めぐり、泥色の大きなあぶく、赤い湯青い湯もあった。大きな鬼の像が真剣に怖かったから幼稚園児かせいぜい小学校1、2年生くらいのことだと思う。街のあちこち、道端や普通の民家と思しき家のパイプなどからも白い湯気が立ち上っているのを眺めたこと、土産物店で試食したかぼすを練りこんだ薄緑色のやわらかい餅のお菓子がおいしくておいしくて、ねだったが買ってもらえなかったのでなんども試食して親に叱られたのも覚えている。温泉に大きな、2歳下の弟の頭より大きなざぼんが浮いていていい匂いがして触ると硬くて、そうだあの餅に入っていたのはかぼすではなくてざぼんだったかもしれない。船旅だった。お正月で、船の甲板から初日の出を見ると言って起こされ半分寝ながら毛布にくるまったまま洋上の日の出を見た気もするし、湯気の中で鬼を見上げたあと海水浴をしてこれぞ天国というようなことを思ったような気もする。いくつかの旅行の記憶が混じり合っているのだろう。なんにしても久しぶりの別府、せっかくならまた地獄めぐりをしたかったが日程的にそれは難しく別府駅前で昼時だった。別府冷麺というのが有名だというので食べに行った。
 グーグルマップで調べた徒歩圏内の店は有名店らしく、ホームページにはお取り寄せ可という文字もある。別府の街は、観光客向けのお土産街と地元の人しかいないような生活道路と猥雑な路地とが入り混じったようになっていた。おしゃれなカフェやアートっぽい竹細工の店とやけに天井が低い薄暗い土産物店が並び、お地蔵さん、健康居酒屋という看板、成人向け映画館のかなりあけすけなポスターが開陳されているわずか数軒隣に保育園か幼稚園と思しき建物があったりもして心がざわついた。駅前にも温泉があったが、記憶の中の地獄のようにあちこちから湯気が吹き出したりはしていない。複数の土産物店に『別府レトロタオル』というのが並んでいた。子供のころの土産物に描かれていたような瞳に星の散ったまつげの長い頬の赤い少女のイラストタオル、また別の店には芸能人がロケで立ち寄ったことが写真つきの張り紙で示してあった。カラー写真が日焼けし色が抜けたようになっているせいで芸能人の黒目が緑色に光って見えた。どこからともなく焼肉のいい匂いがする。全員白いTシャツにジーパン、キャップ姿の集団が笑いながら互いに肩を叩きながら歩き去る。ドレッドヘアで大きなリュックサックの男性が片手に自撮り棒を持って大股に行く。
 目当ての冷麺店の前にはベンチが用意されておりそこに2人の男性が座って待っていた。名前を書く紙を置いた台もある。現在満席らしい。重たげな黒い布ののれんに赤い筆文字で店名が染めてある。私は彼らのどちらかの名前の下に自分の名前を書き、人数のところに1と書き彼らの隣に半人分くらいの隙間を空けて座った。ベンチの向こうには赤いスタンド灰皿が用意してある。「な。ちょうどいい」並んで座る男性の片方が言った。2人ともスーツを着ているが上着は脱いで傍に置いている。「にちりん(九州を走る特急)乗ったら大分別府間もう15分くらいだから明日は朝ばっと大分行ってアレしてそいつと別府駅で待ち合わして昼飯食ったら、な、ちょうどいい」高めによく通るのにどこかこもった独特のいい声、聞き取りやすい早口だった。もう片方がふんふんと頷いた気配がした。「昼飯食いながら話そうと思ってんの。あいつ民間行くつってもったいないじゃん。ナントカ(聞き取れず)の1級なんて希少価値なんだから民間なんか行ったら待遇買い叩かれんの目に見えてんだしうち来いよっつって、なあ?」「いくつくらいの人?」片方が言った。こちらは静かな声だった。どちらも標準語だった。「俺らより上?」「いや、下、下、全然下、40いってないんじゃないかな」「オー」「な? もったいないだろ。それでナントカ1級持って民間なんて」民間ということは彼らは公務員的な何かなのだろうか。民間と公務員だと民間のほうが待遇において買い叩かれるのが本当だとしたら、なんというか、やっぱり日本はとても不景気ということなのだ。店から誰かが出てくる気配や呼ばれる気配はない。すりガラス越しに人が動いているのが見える。店員さんは黒い服を着ているようだ。店の前には大きな公園があって、木々が日陰を作っているが誰もいない。木は桜で、春には壮観だろう。「田舎で困ンのはやっぱ方言なんだよな。島に住んでるお年寄りだともう生まれてこのかたいっぺんも島を出てませんみたいな人がザラなのよ。中学出てすぐ漁師になって親戚の結婚式に博多行ったのが人生一番の遠出ですみたいなおじいちゃんたちが」「うんうん」「テレビあるから、観てるから、向こうはこっちの言うことわかるけど、向こうが言ってることがこっちぜんっぜんわからない。あれは困るね」「そういうとき、どうすんの」「金額とか日時はいちいち書いて確認して現場現物見してもらって指差し確認して」「面倒くさがられない?」「いや、俺がちゃんと事情わかって書類作んないと困るのはあちらさんだから」「どういう人生だろうね、そういう…ずっと島でって」なんとなく、空を仰ぎつつのような気配のある声で言った。「幸せそうよ」こちらも気持ち、ゆったりした声になった。「少なくとも、俺みたいあちこち異動で全国っていうのよかいんじゃない。自分の島で、自分の船で、ずっと一生、同じ銘柄の酒飲んで」引き戸が開き、作業服を着た60代くらいの日焼けした男性が出てきた。1人だった。1人かと思っていると案の定、店から顔を出した店員さんが名前を書いた紙を見て「申し訳ありません」と2人連れの男性たちに声をかけた。「今、カウンター1席空いてるんですが、お1人でお待ちのお客さん、先にお通ししてもいいですか」男性たちはいっすよー、と明るく言った。「すいません。もうすぐテーブル席空きますんで。じゃあお1人でお待ちの…、どうぞ」私はどうもすいません、と彼らに頭を下げつつ店に入った。客席はエル字型のカウンターと4人掛け2人掛けのテーブル席、私の席はカウンターの1番奥だった。カウンターの上には木製のボックスに入り縦に置かれたティッシュ、コショウ、唐辛子、蓋つきの箸入れが順繰りに並んでいる。すぐ隣にレジがあり、初老の女性が立って会計をしている。私の背面に位置するテーブル席のお客さんのようで、彼女の娘か義娘と思しき若い女性が幼児と手をつなぎつつ帰り支度をしていた。卓上にたくさん丸めたティッシュがある。幼児と食事をするとどうしてもティッシュがたくさん出る。女性はティッシュを1か所にまとめていた。そのうち何枚かは持参のウエットティッシュのようだった。レジ奥に瓶ビールと瓶ジュースが冷えている冷蔵庫がある。私の隣席は中年の男女客で、男性は頬づえをついて漫画雑誌を読み女性は麺を食べている。男性はもう食べ終えて丼が下げられているのだろう。
 私は冷麺を頼んだ。メニューは冷麺、その大盛りと特盛りの他に温麺、ラーメン、中華そばというのもある。温麺は冷麺を温めたものだろうか。ラーメンと中華そばはどういう関係なのだろう。1つ100円のおにぎりもある。冷麺750円、温麺800円、ラーメンは700円で中華そばは700円、なかなか複雑な価格体系のような気もする。水はセルフサービスと書いてあったので入口脇の緑色の冷水機に取りに行く。四角い透明な氷がたくさん入った水を冷水機にあてがったプラスチックコップに受けると旅情と思う。それが地元のショッピングモールのフードコートでも旅情、と思う。プラコップを冷水機の弁に押し当てる動き、氷水の落ちる大きな音、勢い余っていくつかコップ外に飛び出す氷が、子どものころの旅行中立ち寄ったサービスエリアの記憶を連れてくる。父が運転して母が助手席で地図を広げて、途中立ち寄ったサービスエリアで食事をして両親が運転と地図を交代して、カーナビはまだなくて、スマホももちろんなくて全て地図と道路標示頼りで、後部座席で私と弟は遊んだりもめたりして米子や浜田、松江、秋吉台、船で行ったはずの別府でもどこかでこうしてプラスチックコップで水を飲んだだろうか。私が水を汲んでいると店員さんが空いたテーブルを拭き始めた。さっきの2人連れはもうすぐ呼ばれるだろう。レジには真っ黄色の招き猫が置いてある。私の席からは厨房内の食器棚が正面に見えた。丼鉢が、丸く膨らんだもの、シュッとしたもの、大きいもの、白、黒、青磁、同型同色のものごとに重ねられ整然と並んでいる。頭にバンダナを巻いた店員さんは男女老若動きつつ、時折短い、こちらにはあまり意味がわからない符丁のような言葉を発して意思疎通をしている。予想通りテーブル席にさっきの2人連れが案内されてきた。落ち着いた声のほうの男性が「大分はどこも寿司がうまいっつーの」と割合強い語気で言いながら席に着いた。どういう話題なのか、相方は笑っていた。彼らはそれぞれ大盛りか特盛りか声に出して迷ってから大盛りの冷麺を注文した。カウンターの前の段になっているところに店のパンフレットが置いてあった。それによるとかつて満洲に住んでいた日本人が引き揚げてきて開いたのが元祖だという。満洲は朝鮮との国境が近いため、朝鮮風の冷麺が朝鮮→満洲→別府と冷麺が伝わってきたということらしい。パンフレットには温麺とラーメンと中華そばの違いも明記してあり、温麺は冷麺を温めたもの、ラーメンはいわゆる豚骨ラーメン、中華そばは醤油スープのラーメンであるらしい。なるほどここは九州、ラーメンと言ったら豚骨、そのバリエーションとして醤油ラーメンと併記するわけにはいかないということだろう。
 冷麺が来た。丸い白い縁のやや膨らんだ丼に澄んだ茶色のスープ、中央に半切りのゆで卵、黄身は柔らかめに茹でられたオレンジ色をしており、赤いキムチに小口切り青ネギ、いりごま、濃い茶色の肉片が2枚、肉の形状はチャーシューっぽいが色が豚ではなく牛肉で、おそらくスネ肉とかそういう部位だろう、肉の中に透明なゼラチン質が走っている。白くこれまた丸みのあるレンゲでスープを飲むとかなり塩気がある。脂っ気は一切なく結構和風の味だ。牛のスープにカツオ昆布出汁を入れて醤油で調味し脂を除いたのだと思うが牛感はかなり抑えられている。麺をはさみあげるとちょうどこんにゃく程度の灰色をしていてやや透明感もありそしてとても丸い。断面が完全に円形をしている麺、すすると唇に舌に今まで口に入れてきたどの麺とも違う丸さ、やや歯ごたえがある。それにしても丸い。ラーメンやうどんの麺は包丁で切った切り角がある。そうめんにそれはないがやはりでも、伸ばす時できた角度のようなものがある。スパゲティも断面は丸い、が、この冷麺の麺の丸さと比べると全然違う。なんというか、丸さの純度が違う。それは、表面のなめらかさの違いなのか硬度か密度の問題なのか太さの妙なのか、35年生きてきて今年36、あらゆるものを食べてきたとは全く思わないがそれにしても、麺なんていう身近な食べ物を口に入れてそれが丸くてこんなに鮮烈な感覚がするとは思わなかった。上に乗っているキムチは一見白菜のようだが噛むとキャベツで、辛味酸味はあまり強くないが表面がキュッキュと軋むような感触でこれまた塩気が強い。牛肉は柔らかくかすかに弾力がある。スープの強い塩気はこのつるつる丸麺に汁が絡みにくいことを想定してだろう、ごくごく飲んだら体に悪そうなくらいなのだが、冷たくてつい飲み干しそうになる。私が食べている間に立て続けにお客さんが会計をした。私の席のすぐ隣がレジのため、皆が1度私の隣に立つ感じがする。若い人も年配の人もいる。働いている最中の昼休みっぽい人もいたし観光客らしい人もいた。徐々に店内は空いていった。冷麺を食べ終えるのはあっという間だった。会計をして店を出ようとすると、引き戸を開いたすぐ真ん前の足拭きマットのところに大きな猫が寝そべっていて踏みそうになった。猫の目は開いていたがこちらを見ておらず、私に踏まれかけたことは全くなんでもないし気づいてさえいないというような顔で横たわり続けている。外に出るには猫をまたがねばならないがそれはちょっととためらっていると察したのか黙ってゆったり起き上がりこちらを見ず公園のほうに歩き去った。店の前の灰皿でタバコを吸っていた中年の男性が黙って猫の行くほうに首を向けながら白い煙を吹いた。頭も脚も胴も尾も、ふさふさした香ばしそうな色の毛に覆われた猫だった。

庭

小山田浩子

2018/03/31発売

それぞれに無限の輝きを放つ、15の小さな場所。芥川賞受賞後初著書となる作品集。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

小山田浩子

1983年広島県生まれ。2010年「工場」で新潮新人賞を受賞してデビュー。2013年、同作を収録した単行本『工場』が三島由紀夫賞候補となる。同書で織田作之助賞受賞。2014年「」で第150回芥川龍之介賞受賞。他の著書に『』『小島』『パイプの中のかえる』など。

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