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エル・システマジャパン 震災5年  恩返しの旅 相馬からドイツへ

 ペーター・ハウバー博士とベルリン・フィルハーモニーの楽屋で向かい合って座る。彼の本業は小児科医で、今日もここに来るまでに診療をしてきたという。この連載の最初で触れたように、相馬にエル・システマジャパンが誕生する大きなエンジンとなったのは、早い話がハウバーの“勘違い”だった。にこにこと笑みを浮かべるハウバーに、「あなたの音楽への情熱はいったいどこから来ているのですか?」と率直に聞いてみた。

 「5歳から7歳ぐらいの頃から両親が私をよく音楽会に連れて行ってくれたんです。当時のミュンヘンは音楽生活が充実していて、アマデウス、ヤナーチェク、スメタナといった四重奏団、さらにヴァイオリンのオイストラフ、コーガン、メニューイン、ピアノのゼルキンなど巨匠の演奏を何度も生で聴きました。音楽を聴くことは私の人生の一部です。

 10歳のときにヴァイオリンを始めましたが、サッカーや陸上の方に熱中していたので、練習はあまりやらなかった。でも、私は楽器を弾くことでファンタジーを膨らませてきました。今も15分ほど楽器に触れない日はほとんどありません。ベートーヴェンの協奏曲の数小節を弾いたり、バッハだったり。ヴァイオリンは私の人生の伴侶ですね」

ペーター&イングリッド・ハウバーさん夫妻。©Peter Adamik

 小児科医のハウバーは、実は弦楽器の収集家としても知られる。そのきっかけは16歳のときに味わった“失恋”だったという。

 「当時交換留学でイギリスに滞在中だった私は、スウェーデン人の女の子に初恋をしていました。ところが、彼女が3年経って故国に帰ってしまい、私の心はぽっきり折れた。そんなとき、中古屋で古いヴァイオリンを見つけたのです。小遣いでそれを買い、3週間ほどひたすら弾き続け、遠くを想いました。それでなんとか生き延びたんです(笑)。つまり、ヴァイオリンが失恋の痛手から私を救った。その楽器をヴァイオリンの先生に見せたら、修理工を紹介してくれました。私は30マルクぐらい(当時の金額で約2000円)で買ったのですが、実際は500マルクの価値があると言われた。わずかなお金でいい楽器を手に入れたことに味を占めた私は、『よし、もっと楽器を探そう』と思い収集を始めました」

 現在、若い音楽家や学生、ソリスト、さらにベルリン・フィルやシュターツカペレ・ベルリンをはじめとするオーケストラに、ハウバーの所有する楽器(その数200以上)が貸し出されている。今回相馬のオーケストラにも3挺のヴィオラが貸与されているそうだ。「無料でお貸しする代わりに、メンテナンスはしっかりやってもらいます。自分の子どもが世界中に散らばっているようなものですね」。

 そんなハウバーが自らコンサートを企画するきっかけとなったのは、1980年に設立されたIPPNW(核戦争防止国際医師会議)のメンバーになったことだ。アメリカとソ連が核武装を競い、世界の人びとが核戦争の危険性に怯えていた時代である。

 「われわれ医師は核戦争がもたらす脅威を人びとに説明する義務がありました。ただ、それをデモの形で行うと暴力沙汰になるかもしれないから、コンサートホールに来てもらうのがいいと私は提案したんです。音楽が人の心を開き、そして同時に反核の医師たちのメッセージを伝える」

 こうして1984年11月、東西冷戦の最前線だった西ベルリンで最初のIPPNWコンサートが行われた。ブランディス四重奏団が演奏し、IPPNW創設者であるハーバード大学のバーナード・ラウン教授がスピーチを行った。反響は極めて大きかった。ハウバーはレナード・バーンスタインやユーディ・メニューインらに支援をお願いし、ヘルベルト・フォン・カラヤンに手紙を書いた。カラヤンからは「それは未来を指し示す考えだ。われわれもやらなければならない」という返事が届いたという。その頃から、ハウバーは妻のイングリッドと二人三脚でIPPNWコンサートの企画と運営に携わってきた。

 「とはいえ、さすがに私たち2人ではすべてをこなせないから、(医師が患者に出すような)処方箋の“コンサート版”を作って他の医師たちと共有したんです。どのようにして音楽家を見つけ、ホールを借り、メディアに伝達し、お客さんを呼ぶかということについての。2年後にはドイツ中で100以上のコンサートが行われていました」

1985年12月、IPPNWのノーベル平和賞受賞に際して行われたチャリティーコンサートにて、ヴァイオリンの巨匠メニューイン(左)と。©IPPNW-Concerts

 1985年、それまでの活動が総合的に評価され、IPPNWはノーベル平和賞を受賞。IPPNWコンサートのサクセスストーリーはそれに留まらない。1988年には東西ヨーロッパの楽団のメンバーが混合でオーケストラを作り、ベートーヴェンの《ミサ・ソレムニス》を携えて伝説的な演奏旅行を行った。ベートーヴェンの「内と外への平和の願い」を込めて、5日間で西ベルリン、モスクワ、ドレスデン、ロンドンを巡ったのである。広島と長崎への原爆投下から50年となる1995年夏には、日本の合唱団「晋友会」を招いてイタリアのアッシジでハイドンの《天地創造》を演奏。ベルリン・フィルのメンバーもその趣旨に賛同し、これまで多くのチャリティーコンサートに参加してきた。製作したCDの数は70以上に上る。

 ハウバーは緊急医なので、普段は週末も子どもの治療に当たる。毎週月曜と木曜の休日にコンサートマネージャーになるわけだ。「医者も音楽も、どちらも人を助け、癒しを与えるという意味では同じですね」と言ったら、嬉しそうにこんな話をした。

 「人が互いを理解し合う上で音楽以上に優れた言語はありません。音楽は子どもの成長を促進し、多くのことが楽器を通して学べます。例えば、繊細な指の動き、静かでいること、他の人の音を聴くこと(それは誰にでもできることではありません)、集団で一緒に作業すること、自分が得た喜びを他者に分け与えること」

 もっとも、ハウバーは相馬の子どもたちが今回どこまで演奏できるのか、ベルリン・フィルの人たちとの合わせはうまくいくのか、直前まで心配で仕方がなかったそうだ。が、「午前中の最初のリハーサルが始まった瞬間、鳥肌が立って、涙が出てきたんです。超一流のプロと子どもたちがあっという間に仲良くなり、一つの音楽をともに作り上げようとする熱い思いを感じましたね」

 「いい音楽家が集まってコンサートをやるでしょう。2000人が集まる。彼らは互いのことを知らないけれど、音楽が始まると一緒に呼吸をする。みんなが一体になる。幸せな気分になったり、夢を見たり、あるいはそれでも仕事のことを考えたりもするかもしれない。でも、席に座り、やがて静寂の中で音楽が始まる。それはシンプルに素晴らしいこと」

 今、彼が準備を進めているのは、9月に行われるIPPNWコンサート。ベルリンにある難民の施設をプロの音楽家が訪ねて子どもたちと一緒に音楽をやるという、エル・システマを模範にしたプロジェクトだ。ハウバーはすでに、パレスチナやベルリンの難民施設にいくつもの楽器をプレゼントしている。

 最後に、こんなことを言った。

 「残念ながらあまり幸福には見えない今の世界を動かす政治家たちに、明日フィルハーモニーに来てもらうのはどうでしょう。ベートーヴェンの第5番を聴いてもらった後、彼らを柵の中に入れ、友人同士になったら柵を外す。そうなったら素晴らしい!」

 そんなに簡単にはいかないだろうなあとは思うけれど、この人は何かを信じている。そのポジティブな気持ちがこちらにまで伝染するかのようだ。ハウバーのあふれんばかりの音楽への情熱、人を説得するエネルギー、これまでのコンサートで培ってきたノウハウが、このようにして周囲を動かしてきたのだろう。

 エル・システマジャパンがペーター・ハウバーに「捕らえられた」のは、幸運なことであった、と思う。

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考える人とはとは

 はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう―。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか―手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。

「考える人」編集長
金寿煥

著者プロフィール

中村真人

フリーライター。1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『ベルリンガイドブック 「素顔のベルリン」増補改訂版』『街歩きのドイツ語』がある。ブログ「ベルリン中央駅」http://berlinhbf.com

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