シリアからの避難生活を送る家族に産まれたサラちゃん。故郷にいれば子育てを助けてくれるはずの親戚、友人たちは、各国に散り散りの生活を強いられる。


 「お子さんはまだなの?」30歳になってから、これまでよりもそう尋ねられることが多くなった。日常会話の一部のような言葉かもしれない。ただ「早い方がいいわよ」「産んでこそ大人なんだから」と続くと、さすがにプレッシャーを感じてしまうことがある。
 事実婚家庭もあれば、LGBTパートナーシップ制度を導入した自治体もある。身体的に、あるいは環境的理由で子どもが産めないと悩む友人も少なくない。あるいは「子どもを産まない」という選択をしたカップルもいる。家族のあり方は多様化している中で、子どもがいてしかりの風潮はいまだ強い。
 そんな“産め産め”という空気が漂う反面、子どもを皆で育てようという場をどれほど私たちは築けてきたかと考える。先日、熊本市議会で緒方夕佳議員が乳児を連れ議場に入ったことが報じられた。熊本市議会では任期中の出産をしたのは緒方さんが初めてだという。だからこそ託児所を作れないか、難しければ子連れで議場入りできないかと掛け合ってきたが、環境が変わることはなかったようだ。一人会派であるため、声も届けにくい。
 思えば「任期中に子どもを作るのは無責任」「女性は子どもを産む機械」とこれまでも政治の場で、心ない言葉は飛び交ってきた。「子どもを4人以上産んだら表彰」という山東昭子議員の発言も物議を醸し、子どものいない世帯への増税も検討されている昨今だ。
 視野を広げてみれば、オーストラリアは昨年子連れでの議場入りが認められ、北欧諸国の中には育休中に代理議員を介して意思表示が出来る仕組みを導入している国もある。ノルウェーでは男性閣僚が育児休暇を取得している。
 制度として導入されていなかったとしても、家族の定義の広さに支えられている国もある。ヨルダンでは飛行機の中で見ず知らずの人の子どもが泣けば周りの大人がそろってあやしていた。カンボジアの農村では一体誰が誰の子か分からないほど、家々を子どもたちが自由に行き来していた。
 “子どもを産んでこそ”と言葉をかける前に、今私たちは子どもたちが“産まれてきてよかった”と心から喜べる社会を築けているか、改めて問いかけを続けたい。

すくすくと育っているサラちゃん。お姉さんたちや近所の人々に見守られながら成長を続けている。