何もやらないと宣言していた年末年始、すべての正月関連行事(大掃除、おせち料理)からの撤退を宣言していた私は、2018年に築き上げた積ん読の山を少しは切り崩そうと、せっせと読書に励んでいた。その中でもっとも影響を受けたのは、こさささこさんの『ある日突然オタクの夫が亡くなったら? 身近な人が亡くなった時にやるべきこと、起こること』(KADOKAWA)だった。

 Twitterで話題になったこささんのまんがは読んでいたが、書籍化にあたり、家族の死後に遺族が行わなければならない様々な社会的手続きについての詳細が追記されたと知って、書籍でも必ず読もうと決めていた。そして読めば読むほど、4年前、母の死後に経験した、とんでもない数の手続きを思い出した。

 75年という歳月、この世に存在していた母が残した遺品は少なかったが(とはいえ処分には時間がかかった)、用意しなければならない書類や処理しなければならない手続きの多さたるや……。後期高齢者でひとり暮らし、どちらかと言えば静かに淡々と暮らしていたはずの母の人生をきっちりと終わらせるために、何度役所に電話をかけ、郵便局に足を運び、コンビニのコピー機の前でため息をついたかわからない。そういった作業に腹を立てたことはなかったが、悲しむ精神的余裕を奪われたことは確かだ。そして、一連の作業は終わることを知らない。つい先日も、母に支払われていた年金について日本年金機構から連絡があり、再び書類を用意して郵送するという作業が発生した。死後4年経過しているにも関わらず、である。

 こささんのご主人は、権威あるオタクであり「全方位オタク」でおられた。そのコレクションはまさにメガトン級。すべてを分類するだけで大変な作業だったとある。突然ご主人を亡くされ、幼い二人の子どもを抱えながら、一切合切を取り仕切ることになったこささんのご苦労は計り知れない。故人が目をキラキラさせながら楽しそうに集めていた遺品について、「本音を言えばすべて残しておきたい」と、こささんは綴る。

 わかる。すごくわかります……。

 うんうんと頷きながら、一気に読み終えた。そして決意した。2019年最初の仕事は、私物の整理にしよう。やろう。やっぱりやっておこう。いわゆる、終活ってやつなのかもしれない。年始に決意するには多少縁起が悪いのかもしれないが、とりあえず、絶対にやっておくべきだ。いつ何時、自分に何があっても、残された家族がその処分をスムーズに行えるように、すべてを整理しておかなくてはならないと並々ならぬ決意を固めたのだ。

 実は昨年の療養中に、ヒマに飽かせて私物の整理はある程度済ましていた。衣類は半分以下に減らしたし、山ほどあった雑貨もほとんど処分した。しかし、手が付けられていない物も多く残っていた。一番多かったのが紙の原稿だ。翻訳作業の途中で行う原稿チェック用にと紙に印刷した原稿が、どんど焼きができそうなほど保管されていた。捨てればいいのだが、大量に赤ペンを入れた原稿にかぎってなんとなく捨てられなくて、過去10年分ほど溜まっていたのだ(怖い)。手始めに、これらをすべて処分した。成仏してくれ。

 そして次は、書籍である。こればかりは今までどうにも手を付けられなかったのだが、学生時代に購入したものから選んでいき、確実に読み返さないと思ったものは処分した。一部の古いまんがや雑誌は思い入れが強すぎて今回は捨てられなかったが、それらを整理する過程で見つけた古いノート類は急いで破いた。こんなものを死後に読まれたら死んでしまう。結局、処分した書籍やノートは段ボール2箱分になった。

 今現在着手しているのは、いわゆるデジタル遺品となるものの整理だ。契約しているネット上のサービスで、契約していたことをすっかり忘れていたもの、契約はしているけれど実際には必要ないものなど、すべて解約した。現在も継続して契約中の様々なサービスの詳細とID&パスワードをまとめて一覧表にし、家族がすぐにわかる場所に保管した。携帯電話に、契約中の各種サービス関連のアプリをインストールした。そうすることで、私が何を契約し、利用していたのかが一目でわかる。日々の支払いや設定変更などの作業手順も簡略化できる。インターネットバンキングで利用していた口座も、必要ないものは解約しようと計画している。解約してすっきりしたら、契約中の口座を利用して積み立てでもしてみるかという気分になった。なんだかわくわくしてきたぞ。SNSのアカウントに関しては、今現在、どのように処理してもらうのがいいのか考えているところだ。あとは、遺言書とか、印鑑とかマイナンバーカードとか、まだまだたくさんあるな……。

 長年生きていれば、ありとあらゆる場所に、様々な形で自分の持ち物は存在する。それらを少しずつまとめて整理していくと、不思議なことに、これからもしっかり暮らしていこうという気持ちが湧いてくる。家族のためにしていたことが、いつの間にか、自分のよりよい人生のためになっていた。とてもすがすがしい気分だ。