簡体字には法則がある
高校生の時に中国語を学び始めたころ、簡体字がぜんぜん読めないのに面食らった。なんとか楽をして覚えたいので、法則性を知りたいと思ったものだ。当時、私の高校ではいちおうお遊び程度の中国語の授業が選択できて、中国人の先生もいるにはいたので、「簡体字の規則性を教えてください」と頼んだところ、全文中国語の「漢字簡化方案」を渡された記憶が残っている。今思えば、いくらなんでも適当な返答である(結局私はほとんど独学で中国語を勉強した)。
もちろん、簡体字はやみくもに簡略化されているわけではない。ちゃんと法則はある。どんな仕組みか見てみよう。
①発音が同じ字で代替する
谷(穀)、几(幾)、机(機)、后(後)
簡略化する目的は、記憶の負担を減らすことと、書くスピードを上げることにある。記憶の負担を減らすには、漢字の総数を削減する必要がある。書くスピードを上げるには、画数を減らす必要がある。そこで、画数の多い文字を発音が同じで画数の少ないものに統一してしまった。
「谷」と「穀」は発音が同じなので、画数の多い「穀」のほうも「谷」で書く。「谷崎潤一郎」は「穀崎潤一郎」と誤解されるかもしれない。「几」は本来「つくえ」の意味だが、そちらの意味で使うことは現代中国語では多くない。そこで「幾」の代替として使われることになった。このため、「機」も“机”と書くようになった。よって“飞机”も飛ぶ机ではなく、「飛行機」である。
「后」は「キサキ」の意味ではなく、「後」の代替として使われる。「後」を略字で「后」と書くことは日本でもあった。昭和から続いている医院の看板などをよく見ていると「午后」と書いてあるところがある。
簡体字の字体の多くは一九五〇年代になってから突然生み出されたものではない。昔はすべて手書きだったわけで、手書きで書く場合には速く簡単に書きたくなるものだ。もともと簡略化された手書き文字として存在していたものを、正式な文字として採用したパターンも少なくないのである。
②新しい形声文字
粮(糧)、态(態)、 钟(鐘)、远(遠)、迟(遅)、肤(膚)、胜(勝)、战(戦)
形声文字とは、一部分が意味を表し、一部分が音符の役割を果たしているものである。例えば「江」の字は、「氵(サンズイ)」が水に関係しているという意味を示し、「工」の部分は「コウ」という音を表しているだけである。簡体字では、新たな形声文字も採用されることになった。
「糧」は画数が多くて面倒なので、「量」の部分を同じ発音の「良」にすれば“粮”が出来上がる。「態」は画数が多いので、同じ発音の「太」を一部採用して、 “态”となる。「鐘」の「童」はやはり画数が多いから、「中」に変えてしまって“钟”とした( 「鐘」と「中」は現代中国語では同じ音)。同様に「袁」と「元」が同音なので、「遠」は“远”となる。
①では、漢字を丸ごと同音の漢字に入れ替えていたが、②では、一部分は残し、もう一部分を同音の漢字に置き換えていることがわかる。
③草書体を楷書にしたもの
东(東)、长(長)、门(門)、乐(楽)、书(書)、见(見)、贝(貝)、鸟(鳥)
楷書はカクカクした字体だが、草書体は筆で速く書けるように、曲線が多くなり、また画数が少ない。そこで、草書の形を楷書化する形で作られている簡体字も多くある。草書体を知らなければ、一見して元の字がわからないものが多い。なお印刷ではわかりにくいが、“长”は四画である。縦線は真ん中で一度切りたくなるが、実際にはまっすぐつらぬく。“见”と“贝”は繁体字では間違えようがないが、簡体字では手書きで適当に書くと紛らわしくなる(私は悪筆なので「見」が「貝」に見えると怒られたことがある)。
④特徴的な部分を残したもの
录(録)、丽(麗)、术(術)、类(類)、里(裏)、飞(飛)、云(雲)、电(電)
無くなっても識別上こまらない部分を消去してしまった。大胆に省略されているが、確かにこれだけ省略しても現代語ではそれほど困らない。むしろ、慣れてしまうと「麗」だとか「飛」だとか、画数が多すぎて書く気がなくなる。「雲」は「雨」を除いてしまうと「云う」の「云」と同じになってしまうが、実際の文脈上で「いう」なのか「雲」なのか紛らわしいことはまずないので、特に問題にはならない。「電」も同様に、「雨」が削除されてしまった。
⑤字の輪郭を残したもの
齐(斎)、团(團)、粪(糞)、夺(奪)、妇(婦)
だいたい④と似たような方法だが、「輪郭を残す」という方針なので、こちらに分類されているものの方がもとの形を残している。「團」は日本だと「団」と略している。最後の線の方向が違うだけだ。「糞」は「両手で塵取りを持ち、その上にゴミが載っている形」を表す文字だが、真ん中を省略したので、「粪」になっており、「米と共にあるもの」と誤解されそうである(もとの字形でも「米が異なる形になったもの」と誤解されそうだが)。「奪」は真ん中が、「婦」は右下の部分がそれぞれ省略されている。これらの形が奇妙に見えなくなったら、中国語脳になったと言えるかもしれない。
⑥新しい会意文字
体(體)、灶(竈)、尘(塵)
会意文字とはパーツの意味を組み合わせて作る文字のこと。「体」の繁体字「體」は会意文字ではなく、形声文字で、「豊」の部分が音を表しているが、簡体字では「人」の「本」で「体」だ、と解釈しているらしい。なお、「体」は「體」の俗字として古くから使われてきたものだ。簡体字にはこのように、昔から使われていた俗字も多くある。「竈」も書きにくい文字の代表みたいなものだが、「土」と「火」の意味の合体でそれを表すことになった。「小さい土」をもって「塵」の意味に代替しているのが「尘」である。
⑦ 一部分を符号化したもの
赵(趙)、汉(漢)、劝(勧)、对(對)、归(帰)
一部分を簡単にしてしまったもの。画数が大幅に削減されている。「归」の右側は一部削除のパターンのようにみえるが、旧字体の「歸」を基準とすると、左側は「一部符号化」である。
漢字を減らすのは難しい
さて、初学者の方は、「この法則性さえわかれば、暗記が簡単になる!」と思っただろうか? 多分思わないだろう。結局、ひとつひとつ覚えるしかないのだ。今思えば、高校生の私に「漢字簡化方案」を渡した中国人教師も、「法則性を学んでも役に立たないよ」という気持ちだったのかもしれない。
簡体字として採用されたものは、もともと民間で使われていた俗字も多く、それほど多くの混乱はきたしていない。ただ、本来の目標だった漢字の削減ができているかというと、実はほとんどできてはいない。簡略化しただけで、総数はそれほど減っていないからである。
漢字の数自体を減らすために、一一〇〇字の基本漢字のみに使用を制限しようとか、yiという発音の漢字は、すべて乙という符号を音符として用いよう、というようなアイディアもあったらしい。中国語を表記するのに一一〇〇ではとてもたりない。後者を採用すると「億」も「倚」も「亿」になる。この方式を徹底するとさすがに意味がよくわからなくなるだろう。
さらなる斬新なアイディアとして、漢字の一部分をアルファベットにして新しい形声文字を作ったらどうか、などというのも、真面目に検討されていた。例えば、「梧桐」という木がある。「吾」と「同」は音を表しているだけなので、wutongという発音の木、という概念を表している。そこで「木wu木tong」と書けば、表音性が高まり、木であることも表せる。同様の法則を適用すると、木の名前についてはすべて「木+アルファベット」の文字で表せることになる……が、圧倒的にダサい。さすがに発展史観に取り憑かれたマルクス主義者たちの間でも不評だったようで、この案もお蔵入りとなった(詳しくは周有光『拼音化问题』や、『汉字改革概论』を参照)。
複雑でわけのわからない表記システムを新たに作るよりは、全面アルファベットにしてしまったほうがまだよさそうだ。
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橋本陽介
1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。
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とは
はじめまして。2021年2月1日よりウェブマガジン「考える人」の編集長をつとめることになりました、金寿煥と申します。いつもサイトにお立ち寄りいただきありがとうございます。
「考える人」との縁は、2002年の雑誌創刊まで遡ります。その前年、入社以来所属していた写真週刊誌が休刊となり、社内における進路があやふやとなっていた私は、2002年1月に部署異動を命じられ、創刊スタッフとして「考える人」の編集に携わることになりました。とはいえ、まだまだ駆け出しの入社3年目。「考える」どころか、右も左もわかりません。慌ただしく立ち働く諸先輩方の邪魔にならぬよう、ただただ気配を殺していました。
どうして自分が「考える人」なんだろう――。
手持ち無沙汰であった以上に、居心地の悪さを感じたのは、「考える人」というその“屋号”です。口はばったいというか、柄じゃないというか。どう見ても「1勝9敗」で名前負け。そんな自分にはたして何ができるというのだろうか――手を動かす前に、そんなことばかり考えていたように記憶しています。
それから19年が経ち、何の因果か編集長に就任。それなりに経験を積んだとはいえ、まだまだ「考える人」という四文字に重みを感じる自分がいます。
それだけ大きな“屋号”なのでしょう。この19年でどれだけ時代が変化しても、創刊時に標榜した「"Plain living, high thinking"(シンプルな暮らし、自分の頭で考える力)」という編集理念は色褪せないどころか、ますますその必要性を増しているように感じています。相手にとって不足なし。胸を借りるつもりで、その任にあたりたいと考えています。どうぞよろしくお願いいたします。
「考える人」編集長
金寿煥
著者プロフィール
- 橋本陽介
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1982年埼玉県生まれ。お茶の水女子大学基幹研究院助教。慶應義塾志木高等学校卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く―最新言語学Q&A―』(新潮選書)、『中国語実況講義』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)、『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)など。
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